ヴァンパイア年代記 インターミッション(一)
須賀マサキ
第一話 死神の影
みすみす手放してなるものか。
決して逃がしはしない。
自分の運命、課せられた使命を受け入れろ。
おまえの生き延びる道は、それしかない――。
☆ ☆ ☆
降り積もった雪の上に、
灰色の厚い雲から白く冷たい雪がゆっくりと舞い降りる。
身体に降り注ぐそれは時折吹き抜ける風に追いやられ、幸いにして積もることはない。だがそのたびに体温は奪われ、命の灯火が小さくなるのを感じる。
レンは顔に落ちた雪を力なく払いのけた。息をするために必要最低限の行為だ。
すぐそばには豪華な造りの洋館が立っている。以前の持ち主がわざわざ英国から移転させた、本格的なものだ。
起き上がってそこに入れば、少なくとも体温を奪われることはない。しかし今のレンには、失血のためにたったそれだけ体力も残っていなかった。
心臓の鼓動にあわせて、切られた右足から血が噴き出し、雪を赤く染める。
染まっているのはここだけではない。広い庭に積もった雪は、いたるところが踏みにじられ、血の跡が点在していた。
先ほどまで繰り広げられていた死闘の痕跡だ。
レンはそのようすを一段高いところから観察していた。
ダンピールと呼ばれる彼らは人間のハンターと違い、いとも簡単にヴァンパイアの息の根をとめる。もちろんそれには生まれたときからの訓練の積み重ねが必要だ。
しかし聖夜は自分の能力を知らずに育った。覚醒したところで大して役に立たないだろう。貴重なダンピールをみすみす犬死にさせるわけにはいかない。
ヴァンパイア・ハンターの組織からダンピールがいなくなって、数十年単位の時間が過ぎている。ヴァンパイアにはなんでもない時間でも、人間にとっては気の遠くなる時間だ。
人間のハンターたちは、ヴァンパイア退治に疲れ切っていた。そして組織内にダンピールを探すことを専用にした部門が立ち上がり、ブラッディ・ハンターをそれとなくウォッチし続ける。
結果、そんな貴重なダンピール候補をやっと見つけた。しかしその候補者である月島聖夜は、自らがそこまで重要な存在と知らず、もう少しで覚醒し損なうところだった。
――組織で訓練を受けさせたのち、ブラッディ・マスターと対決させる。
それは幹部たちのくだした決定だ。
レンは彼らの命令で身分を隠したままドルーに近づき、新たなダンピールの誕生を待っていた。
そしてようやく月島聖夜は、期限まであと少しというところで自らの本能に目覚めた。
聖夜は何の訓練も受けていないダンピールゆえ、マスターどころかスレーブにさえやられる可能性の方が高いと思われていた。
だが聖夜は苦労の末とはいえ、覚醒前にヴァンパイアを消滅させた。
そして何の技術もない未熟なはずのダンピールが覚醒直後に、最強のひとりと言われるドルー――ブラッディ・マスター――を倒した。レンにとって、この目で見ても信じられない光景だ。まったくの計算外だった。
それだけではない。人間の身体を流れる血の道を、正確に読み取る。
人間としてヴァンバイア・ハンターの訓練を重ねてきたレンは、覚醒直後の聖夜を一度取り逃すという失敗をした上に、組織への合流を拒絶された。
そしてあろうことか、いとも簡単に致命傷を負わされ、今こうして死の淵に立たされている。
「ダンピールとはそこまでの能力をもっているのか」
組織の、そして自分自身の判断ミスだ。いまさら悔やんでもしかたがない。
手足が少しずつ冷えてくる。だが止血に使えそうな布がない。
「仕方がないか」
レンは最後の力で体を起こしてコートを脱ぎ、袖の部分を傷口に固く結びつけた。寒さを防ぐより血を止める方が先だ。
愛用の黒いコートだったが、こんなに大量の血を吸ってしまえばもう着られない。
もっとも着る人間が死んでしまっては、コートが無事でも意味がない。残されたところで形見分けの価値すらないだろう。
「はぁ」
一息ついて雪の上で仰向けになると、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、残された力で部下にもう一度連絡を入れる。
『す、すみません。一分前後でそちらに到着します』
聖夜を組織に連れて帰るために待機させていた者たちだ。
「ダンピールに……逃げられた。そ……そのときに……致命傷を負った……」
現状を説明すると、部下の声に動揺の色がにじむ。
「わかりました。救助班を至急まわしますっ」
そういうと電話を切った。
「月島――聖夜か」
こちらが差し伸べた手を取り、素直についてくればよいものを。
ダンピールと自分たちの組織は、ヴァンパイアを倒し昼の世界を守るという同じ目的を持っている。それなのになぜ奴は拒否した?
組織のメンバーは皆、実戦においてはダンピールを中心に行動する。彼らの手足も同然だ。協力することはあっても、敵対するために集まったのではない。
「おまえはまだ、自分が何者かを理解していない」
人々がダンピールに寄せる期待と畏怖、課せられた仕事、そして人間を
冷たい聖夜の瞳が、レンの脳裏に浮かんだ。
不意に噛まれた首筋が熱くなる。降る雪に体温を奪われているのに、そこだけが熱を持っている。
あの瞬間の得難い感覚。あそこまで甘美なものは、二十数年間の人生で得たことがない。
一度襲われた犠牲者が、逃げることなく何度も血を与える理由が今までどうしても解らなかったが、体験すればすんなりと理解できるものだった。
全身が冷え、手足の感覚が消え始めた。寒さは雪のせいか、あるいは血を流しすぎたためか。
もう、我が身に降り積もる雪を払いのける気力は残っていない。冷たいはずの雪が暖かく感じられる。まぶたが重くなり、気を緩ませると今にも眠ってしまいそうだ。
意識が途切れるのと、部下たちが救助に来るのと、どちらが先だろう。
死にたくない。組織をまとめて絶対にヴァンパイアの魔の手から人間を守る。志半ばで死んではならない。
遠くで車のエンジン音がかすかに聞こえる。救助の者たちだといいが。
だがそれを確認する前に、レンのまぶたは閉じられ、意識が途切れた。
☆ ☆ ☆
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