修学旅行へ犬を連れてきた

九十九ねね子

 大好きな大切な大事な愛犬ポチ。

 わたしが飼ってる可愛い生き物。にゃーんと鳴く可愛い生き物。ツルツル、ペタペタな可愛いわんちゃん。

 自慢のペット。わたしの友達。


「あら、ポチが見つからないわね」


 顔を真っ黒く塗り染めたお母さんが言った。いつもならそそくさと玄関まで見送りに来てくれるポチがいないのだ。

 今日のお見送りはなし。だって

 大荷物のリュックの中に、ポチはぐちゅりと音を立てて詰まっていた。

 しーーっ! ママには内緒だよ。

 いつ鳴いてしまうか気が気でないが、それも家を出るまでの話。あとちょっとで通学路。


 お父さんは黒いぐちょりとしたパンケーキをつまみながらわたしに手を振った。にこやかに笑うお父さんは缶ビールをグビッと一気飲みし、見送りの挨拶をする。


「■芽、修学旅行楽しんでってね」

「うん!」

「気をつけて、先生の言うことをちゃんと聞くのよ?」

「わかってるって〜!」


 わたしは家を出た。

 この日をずーっと楽しみにしていた。ずっとずっと、ずーっと楽しみにしていたのだ。

 嬉しくて、この喜びを共有したくて、ポチをリュックから取り出す。外に出ることができて嬉しいのか、ポチはあっちこっちへてんやわんや。リードをつけててよかったな。

 ニコニコ、ニコニコ、ご機嫌な足取り。スキップでもしようかしら。でも普通に歩かないとポチを引きずってしまいそうなので、ゆっくり、ゆっくり、歩幅を合わせて歩いてあげる。


 そろそろ学校が近づいてきた、というところで、地べたにリュックを広げる。ポチがいることがバレたらダメなのでまた隠さなければいけない。

 ちょっと面倒かもしれない。でも愛しいペットのためだから、ぜんぜん大丈夫なのです。


 学校に着いたらいっぱいっぱい人がいた。同じ学年の全部のクラスが集まる機会はなかなかないので、いつもよりたくさんいる気がする。

 その中から目当ての女の子を一人見つけ出す。


「おはよう! 結愛ちゃん」

「おはよう、■■ちゃん」


 可愛い編み込みのおさげとレースがあしらわれた子供服。いつももとってもかわいいけれど、今日は一段と気合の入った結愛ちゃんだったのでした。

 結愛ちゃんの後ろに並んで、列になる。

 わたしの荷物が邪魔で隊列が崩れていると、隣の男子に言われてしまった。しょうがないでしょ、ポチを詰めてるんだから。

 でも周りに迷惑をかけるのはよろしくないので、リュックの中から着替えを放り出して捨てた。一番面積を取っていた物が消えたので、他のみんなの二倍くらいに膨らんでいたリュックが少しちっちゃくなった。


 電車に揺られてガタンゴトン。

 あっちへよろめいたり、こっちへよろめいたり。みんながそんなことをしているとわたしのリュックにもとうとう人がぶつかった。


「……に゛ゃっ」


 かわいそう!

 酷い、酷い、と抗議のつもりでぶつかってきた子の方を向けば、彼は顔を青くして固まっていた。一緒にふざけていた彼の友達はわたしに謝りつつ、彼の反応が不思議でしょうがないらしい。どうしたの? なんて声をかけている。

 ……もしかして、ポチの声が聞こえちゃったのかな?

 あぁ、だとしたら大失態。わたしとしたことが、ポチの口を封じるのを忘れていた。あとで猿轡を噛ませなければ。


 結局ぶつかってきた子は怯えながら電車の端の方へ逃げていった。

 なんだったんだろうねと、結愛ちゃんと私は顔を見合わせた。



 旅館に着いて、布団を敷く間も無くわたしは畳へ倒れ込んだ。残念なことに、着いたら終わりではないのだ。

 しおりを一緒に見る。

 今日することはご飯を食べること、お風呂に入ること、星を見ること。あと感想の欄を書かなければ。


「”結愛ちゃんと二人で部屋をふたり占めすることができてよかったです”」

「ちょ、ちょっと! そんなの書いたら怒られちゃうよ」


 かきかきと鉛筆を進めていると、隣で一緒に書いていた結愛ちゃんに叱られた。結愛ちゃんは慌ててわたしの消しゴムを奪って文字を消す。


「部屋が広くなったよ。嬉しくないの?」

「でも……二人とも熱でたいへんなんだよ」

「そっかぁ」


 わたしはそれで納得したので、結愛ちゃんに習い文字を跡形もなく消すことにした。ゴシゴシ、ゴシゴシ。

 感想欄のフレームが薄くなったころ、結愛ちゃんは小さな声で問いかけてきた。


「■■ちゃん、綺羅ちゃんと光樹ちゃんといっしょはなの?」


 心なしか、しょんぼりとしている。

 わたしも、そんな結愛ちゃんと同じようにだんだんしょんぼりしてくる。


「……だって、綺羅ちゃんと光樹ちゃん、わたしのこと避けるんだもん」

「え? 二人と■■ちゃん仲良かったよね。犬の話でよく盛り上がってた」

「うん。でも、月曜日にポチの話したら態度がおかしくなっちゃたの」


 思い出したらまた気分が下向きになっていく。

 二人とも酷いんだ。ポチのこと話したら、おかしい、おかしい、気持ち悪いって、それしか言わないんだ。


「■■ちゃん家のわんこ?」

「そーだよ。とっても可愛くて、すっごい忠実なわんちゃんなの」


 おかしいわけない。気持ち悪いわけない。

 こんなに可愛い、わたしのイヌなのに。


「ポチにひどいこと言う人といっしょの部屋にいたくないもん」

「そっかぁ……。わたしも妹の悪口言う子とは仲良くしたくないから、気持ちわかるかも」

「ねー」

「でも、なおさら綺羅ちゃん達と一緒の方が良かったんじゃない?」

「…………わたしは結愛ちゃんだけでいいけど?」

「仲直りするチャンスだったもん! 二人とも本当は悪い子じゃないから、きっと謝ってくれるよ」


 わたしはぱちくり目を開く。結愛ちゃんはニコニコと素敵な提案をしてくれたのだ。


「……したな」

「? 学校戻ったら仲直りしよーね!」

「うん」


 結愛ちゃんと話しているとすごく気分が浮かぶ。ぷかぷか、ぷかぷか、とっても楽しい。

 そうやって会話をたくさん楽しむ。学校だと結愛ちゃんはいろんな子と話す人気者だから、こうやって思う存分話せるのは修学旅行のときだけ。

 だから大事に、大事に、大切な時間を使っていたのに。


「ねぇ、三組の奏くん、■■のこと呼んでたよ!」


 きゃーきゃーと騒ぎながらやってきたのは、女子の集団だった。楽しそうにぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、五月蝿いったらありゃしない。殺してやろうかな。

 結愛ちゃんが不安げな表情で見てくる。


「大丈夫かな……。奏くんってたしか、行きの電車で■■ちゃんにぶつかってきた子じゃない?」


 眉を下げて、こてんと首をかしげている姿はとても可愛らしい。もしかしたら、ポチと同じくらいかも。


「わたしあの子きらいだな。すぐわたしのこと馬鹿にしてくるの」


 なんと。それならとっちめなければ。

 いそいそと支度をする。ご飯の時間まではまだあったはずだ。


「ほ、ほんとうに行くの? 朝の仕返しかもよ、危ないよ」

「大丈夫。それに朝、ポチにしたこと許したわけじゃないから」

「……ポチ?」


 あ、いけない。これは言っちゃダメなやつだった。

 でも結愛ちゃんはとっても優しい子で信用できるので、内緒話のささやき声を準備。


「……実はね、ポチ、修学旅行に持ってきたの」

「…………え!?」

「ないしょだよ!」


 結愛ちゃんはとっても驚いていたけど、きっと内緒にしてくれる。

 なのでわたしは指定された場所へとそろりそろり。紅葉がひらひら舞い落ちる景色の中で、奏くんは待っていた。


「なぁ、お前、何持ってきたの」


 どうやら仕返しじゃないらしい。奏くんはすごく怖がっていて、やけに真剣な表情だった。

 なんだ、そんなことか。

 わたしはにこりと笑ってみた。



 にこり、にこり、近づいていく。

 ずさり、ずさり、後退り。


「リュックにはね、ポチが入ってたの。ひどいよね。奏くんが押してきたから苦しそうだった」

「犬じゃないだろ、あれ、だって」

「ポチは犬だよ?」

「……だ、だとしても、修学旅行にそんなもん持って来んなよ!」


 ……”そんなもん”?

 お前も馬鹿にするんだ。綺羅ちゃんと光樹ちゃんみたいに。


「ポチは、わたしの大事な大切な大好きなペット」


 仕方ないよね。結愛ちゃんもこいつ嫌いって言ってたし、仲直りなんてしなくていいよね。

 親指の付け根をむしり取る。そうして、彼の背中に埋め込むのだ。

 しかし、それを完全に体から取り外す前に奏くんは泣きながら逃げていった。


「ゆ、結愛ちゃんになんかしたら、こ、殺してやるから」


 鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔をむけて、最後に捨て吐く。

 ちょっとムカつくから暴露しちゃうけど、彼のズボンは股間の辺りの色がちょっと濃かった。




 部屋に戻ると、畳の上にリュックからはみ出たポチが倒れていた。


「あれ、ポチ、出てきちゃってる」


 肌色ですべすべ。目と口と鼻がある、かわいいかわいい人間さん。

 うん、わたしの犬は今日も可愛い。


「ゆあちゃ、にげて」


 足をばたつかせる。わたしの手を引っ掻く。

 でもそれが可愛い。とっても可愛い。


「あれれ〜? 鳴き声はー?」

「にゃ、にゃん! にゃん、に゛ゃん」


 狂ったように鳴き出す可愛いわんちゃん。

 それに隠れた、小さい、小さい、可愛い吐息。


「ゆ、■芽ちゃ、夢芽ちゃん……ッ!」


 あーあー、声も聞こえちゃったね。

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