見たかった光景があって

 エミシさんたちに連れられて外に出ると、そこには街が広がっていた。


 最初の印象は『都会』だった。

 もちろん日本的な感覚での都会ではない。建物の造りも道ゆく人たちの服装も、シデラの文明レベルと変わりはない、僕の知るこの世界の平均的な水準だ。


 だが、整理された区画と密集する家屋。石畳の道路はまっすぐ伸び、建ち並ぶ家々はほぼ同一の規格で揃えられ、全体的にきっちりしている。発展とともに開拓、増築していったシデラとはまったく逆の、こうあるべしと定められて設計された、言わば計画都市とでも呼ぶべきものだった。


「……私が最後に見た時とは、だいぶおもむきが違うわね」


 母さんがぽつりとつぶやいた。


「そうなの?」

「ええ。第三区はもっと雑然としていたわ。道路もごちゃごちゃ入り組んでいて、気を抜くと道に迷いそうだった。町並みが造り直されてるとはカレンから聞いていたけど、まさかこれほどだなんて」

「先の『大発生』以来、十五年ほどをかけて行ったそうです」


 答えてくれたのはノエミさんだ。


「私たちより天鈴てんれいさまの方がご存知かと思いますが、『大発生』では、第三区の無秩序な構造があだとなって被害が拡大しました。それを反省し、ほぼ一から城下町……第三区を再設計したんです。提案、指揮したのは……」


 言葉を遮るように、前方からわっと声があがる。


「おお、エミシさま! 久しいな」

「エミシさまとハジメ嬢ちゃんじゃないか! 元気にしてたか?」

「ハジメねーちゃん! 見てこの兵隊、おれが作ったんだぜ!」

「ずるい、私もハジメお姉さまにぬいぐるみ見てもらうの……!」

「エミシさま、いらしてたんなら後で店に寄ってくれよ!」


 驚いてそっちを見れば、町の住民たちがエミシさんハジメさん親娘おやこを取り囲んでいる。誰も彼もが笑顔で、慕われていることがひと目でわかった。


「引っ張りだこだ……」

「ご覧の通りです。指揮したのは、エミシ長老です」


「被害のあった南だけじゃなく、こっち側もなの?」

「ええ、第三区全域を。なのでアクアノは、民からの人気が高いのですよ」


「……そう。あいつがね」


 母さんは神妙な顔をして、エミシさんを眺めていた。

 僕はカレンに向き直り、カレンとリックさんに問う。


「ところで、第三区、って?」

「ん。浮島は中央に城、その周囲に城下町がある。城が第一区、その外側の貴族居住区が第二区、ここが一般国民の住む第三区。更にその外側は農場の第四区」

「それぞれが壁で仕切られていて、往来には手続きが要るんだ。昔はそれも煩雑はんざつだったらしいけど、僕らが生まれた後からかなり改善された」

「『大発生』で被害が出たからか。じゃあ、その手続きの簡略化をやったのも……」

「ああ。エミシさまだと聞いている」

「そっか……」


 住民たちに囲まれるエミシさんとハジメさんを改めて見る。


 エミシさんは相変わらずの仏頂面だが、それでもまとう空気は心なしか柔らかく、なによりその視線が、ひとりひとりの顔へ向けられているのがわかる。一方でハジメさんの方はもう完全ににっこにこ。満面の笑みで子供たちの相手をしていた。


 どちらも、僕の知らない顔だ。

 外国の交渉相手である僕には、これまで見せなかった姿だ。


「それにしても……孤島、城を囲むように、壁が三重か……ねえカレン、その壁って名前あったりする? ローゼとかシーナとか……」

「? なんで壁に名前が要るの?」

「ですよねえ」


 思い付いて発言して、急に恥ずかしくなった。

 僕は照れ隠しで足元のショコラを撫でる。


「わふ?」

「少し待っててくれな。勝手にどっか行くんじゃないぞ」

「わうっ!」


 ただ、思わずそんなことを口にしたのは、僕自身がこの国——この町に、興味を持ったからだ。


「ちょっと探検してみたいよな。時間取れたりしないかな」

「くぅーん」

「もちろん、お前も一緒に来てくれるよな?」

「わん!」


 エミシさんとハジメさんに群がる人々はみな、笑っている。

 道ゆく通行人たちも、軒に開かれた店も、穏やかにゆったりとしている。


 ——僕はずっと、警戒していた。


 空の上という浮世離れした場所に住んでいて。

 地上にいたアテナクを放置していて。

稀存種きぞんしゅ』のことでなにか秘密を隠していて。

 カレンとドルチェさんに身勝手な要求を突きつけてきて。

 おまけに交渉相手として出てきたのは、油断のならない相手で——。

 そんな振る舞いを見せてきたエルフ国アルフヘイムを、得体の知れない相手として警戒していたんだ。


 だけどこの光景を見て、ちょっとだけ安心した。


 ここには人の営みがある。子供たちがはしゃぎ、大人たちが微笑み、老若男女のおのおのが、それぞれの自然さで暮らしている。

 地上から遠く離れてはいるけれど、地には足をつけているように思える。


「……四季シキさん、いますか?」

「ああ」


 僕は隣の虚空に向かって小さく呼びかけた。

 ふ——と。

 霞の中から浮かぶように、妖精王が幽世かくりよから現出してくる。


「平和だね。みな、いい顔をしている。偽りではないし、あざむかれてもいない。本当に平和に暮らしている」

「よかったです。あなたにそう言ってもらえて」

「よかったよ。ぼくも、そう言うことができて」


 四季シキさんたちが二千年前に変えた世界、そこに新たに生まれた種族がエルフだ。彼らはみな、四季シキさんのかつての仲間たち——日本から来た転移者たちを祖先にしている。


 そんな彼らが——姿形は変わっても、日本からの血を継いできた人たちが、胡乱な奴らばかりだとは思いたくなかった。四季シキさんたちの生きた結末が、悪意と偏見にまみれているとは、思いたくなかったんだ。


「もちろん、綺麗なものがあったからって、すべてが綺麗ってわけじゃない。僕らが知らないだけで汚いものはきっとこの町にもあるし、長老会の悪意と偏見も嫌な感じに立ちはだかってくるんでしょうけど……」


 それでも。

 ここには、見たかった光景がある。

 見せたかった光景が、あるんだ。


「平和的にいきたいもんですね」

「ああ、まったくだよ」


 ようやく人混みから解放されたエミシさんたちが、僕らを一瞥する。

 そこにはわずかな気まずさがあった。きっと本来は、こういう姿を僕らに晒すつもりではなかったんだろう。


 だから僕はわざと視線を逸らす。

 その先で見上げるのは、壁。

 その向こうに聳える、絢爛けんらんな城——エルフ国アルフヘイムの中心。


 第三区を隔てる壁が、民の笑顔と長老会の思想を断絶するものではありませんように。そんなことを考えながら、僕らは再び歩きだす。

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