朝日が昇る前に
冬来たりなば春遠からじ——とは言うけれど、なかなかどうして寒い日々は続く。
年始のあの時を最後に雪は降っていないものの、空気は底冷えするかのようで、ポチの水飲み場などはもう、ずっと凍結したままだ。特に家の敷地外ともなると結界で守られていない分、環境はより過酷そうだった。
ただ、そんな中にあっても楽しみはある。
「すい、あれ、あそこにみえた!」
「お、もうすぐだね」
その日——僕はミントとショコラとともに森へ出ていた。
太陽が昇るよりちょっと前。東の空が白んできた中、早起きをして(というよりミントに起こしてもらって)、ぶるぶる震えながらの出立である。
目的は、
「それにしても寒いな……ミントもショコラも平気なの?」
「つち、つめたくてきもちいい!」
「わおんっ!」
驚くほど元気なふたりに苦笑しつつ、森の中を進む。
ショコラはまあ寒い地域の出身だからわかるけど、ミントはほんとすごいよね。暑いのもへっちゃらみたいだし——その調子ですくすく育っておくれ。
森の中を進み、指定された場所へと辿り着く。
この辺り一帯には、
そしてその巡った生命が、たまに——外へ漏れるのだ。
「すい、あった! あれ!」
「ほんとだ。よく見つけたね」
「むふー」
ミントが指差した先。
見上げるほどの高さに張った枝の先から、
あれは、樹液が凍ったものだ。
枝が折れるかなにかして傷が付き、そこから樹液が滲み出る。
滲み出た樹液は冬の寒さで少しずつ凍りつき、時間をかけて長く伸びていき——そうしてあんなふうに、氷柱となって枝からぶら下がるのだ。
「けっこう高いなあ。まあ、なんとかなるかな」
「わうっ!」
「お前にも余裕だろうな。でもさすがに、枝ごとぶち折っちゃうんじゃないか……」
「きゅー……ふすっ」
そしてこれが大事なポイントなのだけど。
白樺の樹液は、甘いのだ。
メープル——楓ほど有名ではないが、大量に集めて煮詰めればちゃんとシロップにもなる。地球じゃ樹液を売ってるECサイトなんかもあったっけ。お酒を割る時の水として使うみたいなやつだった気がする。
「よし、じゃあやるか」
軽く屈伸してからその場でぴょんぴょんし、感覚を確かめる。
見上げて位置を調整し、身体強化をかけながら力加減にあたりをつけつつ。
えいっ、と。
僕はその場で、垂直飛びをした。
加減はばっちり。高さは五メートルかそこらだろうか。最高到達点でちょうど、氷柱が目の前にきた。なので無重力になった一瞬を逃さず、ぽきんぽきんと折り取って——着地。
「成功だ。やったね」
「すごい、すい! ありがと!」
「二本だから、まずはミントとショコラ、どうぞ」
「ふおおお、いいの……?」
「もちろん。教えてくれたのはミントだしね」
昨日のことだった。
ミントが「あまいのがこおってるの」と言ってきた。
そして、食べてみたいこと。高さがちょっと届かないこと。せっかくだから家族みんなの分も見つけたいことなどをひと通り話してくれて——なので代表して僕が早起きし、採取へ行くことにしたのだ。
なのでいの一番に味わう権利があるのは当然、この子なのである。
ショコラは……なんかすごい物欲しげな目で見てくるから……。
目をきらきらさせながら氷柱を受け取ったミントは、「いただきますっ」と元気に宣言し、先端をぱくっと咥える。口をもごもごと動かして味わい、やがて頬を緩めた。
「あまい!」
「お、やったね」
「でも、すこしだけ? じゅーすよりも、あまくない」
「ほのかな甘さか、いいね。ショコラはどうだ?」
「わふっ」
僕がしゃがんで差し出してやった氷柱を、ぺろぺろ舐めたりかじかじしたりなどするショコラ。味の感想は定かでないが、食べているところを見るにけっこういい感じなのかもしれない。冷たいのも平気なようだ。
「家族みんなの分も探さないとね。ありそう?」
「うん! あっちと、そっちと、こっちにあるよっ」
「けっこう垂れてるんだなあ」
当然ながら、枝が傷付かないと樹液は流れない。ひょっとしたら昨日、ここで獣が暴れたのだろうか。森にはよくあることではあるが、少しだけ警戒を強めた。
「まあ、さすがにもういないか」
「なにが?」
「いや、なにかいたらショコラが知らせてくれるかなって」
ただしそのショコラはいま、必死で氷をはぐはぐしています。口を動かすのに合わせて手をばたばたさせながら……。
「お前それ、全部食べきれないだろ。預かっとくから後でまた舐めなさい」
「はぐっ……くぅーん……」
氷柱を没収しながら、僕は立ち上がる。
立ち上がって、眼前に広がる林を改めて眺めた。
「なにが暴れたかは知らないけど、でも。それでも白樺は、立ってるんだよな」
枝が傷付いて折れても、幹が抉れようとも、ものともせず。
あるいは幹を折るような奴もいるはずだ。それでもすべてが薙ぎ倒されることはなく、代わりとなる次の木がいずれ生えてくる。
僕らはこの森で快適に暮らすため、家の周囲を開拓し、けっこうな木を伐採してきた。特に裏手などは、サッカー場くらいの広さを牧場にしてしまっている。
それでもたぶん、この森にしてみれば——森の歴史からしてみれば、たいした傷ではないのだろう。
「知ってる? ミント。ここにはうんと昔、お城があったんだって」
「おしろ?」
「うん。すごく大きな建物だよ。二千年も前のことだ」
魔王城。
二千年前、この地にあった国が建てた、
「僕らが生きた証もきっと、千年もすれば綺麗になくなっちゃうんだろうな」
あの家も、畑も、倉庫も、厩舎も、牧場も——なにもかも。
寂しいとか悲しいとかは思わない。途方もなさすぎて現実味は薄い。
ただ。
世界の傷をも
白樺の枝から樹液をもらって、それを齧って食べるなんていう……そんなささやかな遊びをしている僕らは。
とてもちっぽけで、刹那的で。
だからこそ、とても楽しい。
「……すい?」
「なんでもないよ。溶けちゃう前に、みんなの分を集めようか」
「うー!」
「ミントの分も、もう一本だね」
「ふおお……いいの……?」
「そりゃあそうさ。みんなで一緒に食べたいでしょ?」
「やたっ! すい、すき!」
腰に突進して頭をぐりぐり押し付けてくるミントを撫でる。
この子もいずれ成長し、大人になるのだろう。それがいつのことになるのかはわからない。こうして甘えてくれるのは今だけなのかもしれない。
「僕もミントのことが大好きだよ。ずっと、ずーっとね」
それでも、変わらないものはある。
僕らの生活がどんなにちっぽけで刹那的でも、永遠なものがあるんだ。
差し出した手をミントが握る。
視線はもう白樺の木、甘い氷柱が垂れ下がっているのを探している。
その様子が愛おしくて、僕は繋いだ手をそっとゆらゆら揺らした。
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