美味しいよ、と泣いた
『手早く、手は抜かない』。
野営で料理を作る際、僕が気にかけていることだ。
行軍があるので悠長に時間をかけるわけにはいかないが、一方でぞんざいに作っては食べてくれる人たちにも失礼だし、せっかくの食材も無駄になる。なので手早く、それでいて決して手抜きはせず。
野外料理に関してけっこうな場数を踏んできたからか、『
かくして二十分後。
ドルチェさんのための食事ができあがる。
メニューは野草と猪肉のポトフ、森で採れた果物と豆乳のセーキ、それからシュトレン。
「さ、どうぞ」
「……、っ。いいん、すか」
お椀を勧めると、ドルチェさんは声を震わせる。まるで——自分にこんな料理を食べる権利があるのか、とでもいうような、そんなおどおどとした顔で。
衆人環視だと緊張させてしまうので、小屋の中には僕とショコラ、そして彼女だけだ。ショコラが「いいから食べなよ」とばかりにドルチェさんのほっぺたをぺろりと舐めた。豆乳セーキを目の前にしても涎を垂らしてないのえらい。
「お前にもあとでやるからな」
「わふっ! はっはっはっはっ……」
そんな僕とショコラとのやりとりを横目に、ドルチェさんの視線はお椀の中、ポトフに釘付けで。
ゆっくりと吸い込まれるようにおそるおそるスプーンを入れ、具材をすくう。
ひと口。
ふた口。
三口めからはがつがつと、お椀を口元まで持っていってかき込むように——こちらが大丈夫かなと心配になるほどに。
痩せてはいたものの、肌の感じから見て飢餓状態というほどではなさそうだったし、ポトフもできるだけ胃に優しく作ってはいる。食物繊維少なめな野草に、猪肉は薄切りに。だから大丈夫だとは思うんだけど……。
お椀の中身はすぐ空になった。
ドルチェさんはそこから、豆乳セーキの入った金属カップを手に取ると両手で抱えながらこくこくと飲んで、すぐに驚いたように口を離す。
その目、その顔、その表情が崩れていく。
「う、うう……」
カップを抱き締めながら、背中が丸まっていく。
「うう。ひっく。……おい、しい。美味しいよう……びえええええ!」
ドルチェさんはとうとう、大声で泣きじゃくり始めた。
僕は内心で痛ましいものを覚えながら、それでも笑顔で、そんな彼女に言うのだった。
「大丈夫。おかわりもあるから、ゆっくり、しっかり食べて」
※※※
やがて——。
ポトフを一回、セーキを二回おかわりし、最後にシュトレンをたいらげて、ドルチェさんの食欲と情緒は落ち着いていく。
こっちのことを敵ではないと認識してくれたようで、相変わらず布団をかぶったままではあるのだがそれでも頭部だけは出してくれた。
なので外で待っていた一同のうちエルフの三人を中に招き入れ、ドルチェさんから話を聞くことにする。
ちなみにベルデさんとシュナイさん、ノアとパルケルさんには外の警戒と探索を進めてもらっている。
おこぼれで豆乳セーキにあずかれてご満悦なショコラに寄り添ってもらいながら、ドルチェさんは語り始めた。
ゆっくりと辿々しく、けれどさっきまでとは比べ物にならないほどスムーズに。
「アテナクは……集落にいた人らは、引っ越したっす。たぶん山脈を抜けて森の外に。どこ行ったかは知らないし、戻ってこないと思うっす」
「引っ越した? なにそれ……」
戸惑うノエミさん。
「ん。だったらあなたはどうしてここに残っているの?」
「置いていかれたんっすよ。フギノコだから」
カレンの問いに、彼女は自嘲気味に答えた。
「ドルチェの母親はインランなバイタで、生まれたドルチェは父親のわからないフギノコだったんすよ。母親はドルチェが生まれてすぐいなくなったとかで、顔は見たことないんすけど。なんにせよ、じいちゃんもばあちゃんも死んじゃったあとは、みんなドルチェのこと、気にもしなくなったから……引っ越しの時に忘れてたか、連れていくのが面倒くさかったかじゃないっすかね?」
「……それは、なんというか」
リックさんが顔をしかめながら小さく、重々しくつぶやいた。
彼だけじゃなく僕も同様に、かける言葉がない。
淫乱な売女、とか。不義の子、とか。
たぶんドルチェさん自身は、よく意味がわからないまま口にしている。
そして言葉の意味をよくわかってないのに単語がすらすら出てくるってことは——この子はそれを、日常的に耳にしてきたんだ。
本人のいる目の前で、母親のことを淫乱な売女と呼び。
本人に面と向かって、不義の子と詰る。
挙げ句の果てには集落揃っての引っ越しに、この子だけを置いていく——。
仮に出生が事実であろうとも、許されることじゃない。
「住人たちが引っ越して、どれくらいになるんだ?」
「そろそろ季節がひと回りするっす」
「っ……じゃあ、あなたは、一年近く、ここにひとりで……?」
カレンが息を呑む。
僕も拳をぎゅっと握った。
聞けばドルチェさんは十四歳だという。
だったら置いていかれたのは十三歳の時だ。
こっちの世界と日本とじゃ成人年齢が違っていて、十三歳はひとり立ちしてもおかしくない歳だそうだけど。
だけどそれにしたって、あんまりだ。
「ねえ。どうしてアテナクはここを去ったの? しかも本国に連絡もせず」
「みんな、坩堝砕きの責務に嫌気がさしてたみたいっす。たいへんな儀式だし、本国にいるエルフたちのほとんどはアテナクに責務を押し付けていることを知りもせず、感謝もしない……って。もううんざりだ、知ったことか、とかなんとか、よく言ってたっす」
「『
「
「ん、私も聞いたことがない。でも、だからこそ……私たちが知らないからこそ、アテナクはそれに嫌気がさしたんじゃ?」
「じゃあ、大人たちは知っているっていうのか? 長老会は?」
「帰って、問いただす必要があるわね。そもそも、私たちになにも教えないまま調査に遣わしたってことでしょ? ふざけるなって感じよ」
ヒートアップするリックさんとノエミさん。
カレンは眉を寄せながら、ドルチェさんへ視線を向けた。
「坩堝砕き、って言った。それは、魔力坩堝と関係があるの?」
「そうっす。ドルチェは使えないノケモノだったから、詳しくは知らないんっすけど」
「ん……お願い。私たちに教えて欲しい。『坩堝砕き』っていうのがなんなのか。なんのために行う儀式なのか。そして……それが行われないと、どうなるのか」
僕は彼女たちの会話を聞きながら、
アテナクの集落に伝わる謎の儀式。
それが嫌になって、姿を消してしまった一族。
エジェティアの双子に調査を頼んでいながら仔細は知らせず、
その『坩堝砕き』というものに、なにが隠されているのか——。
そうしてドルチェさんは、続ける。
「ええと。『坩堝砕き』っていうのは、魔力坩堝を消去して回る作業っす。アテナクができてたのはこの森の中層部までっすけど……これをやんないままだと、魔力坩堝が連結して『
「その、テイコウ……ができると、どうなるの?」
「魔力坩堝は変異種を生むっすけど、
体内に
つまり外見からは、
大いに、心当たりがあった。
けれど、はっとした顔をした僕らに気付かず、ドルチェさんは諦観に満ちた顔で言葉を続ける。
「儀式なくなったせいでこないだ、とうとう生まれちゃったんすよ、稀存種。この辺を縄張りにしてて、定期的にやってくるっす。さっきまで外が騒がしかったし、たぶん来てたんじゃないかなあ」
「……あの」
「でも静かになったし、もうどっか行った後っすよ。おにーさんたち、入れ違いだ。運が良かったっすね」
「ねえ、ドルチェさん。その『稀存種』っていうの、ひょっとして、獅子と山羊の頭を持ってて、蝙蝠の翼が生えてて……尻尾が蛇の化け物だったりしない?」
「はい、それっすよ。けっこう広い範囲を巡回してるんで、ここには十日に一回くらいしかやってこないんすけど……だからあんまりここにいずに、早く逃げた方が」
「そいつ。さっき倒しちゃったんだけど……まずかった?」
「………………ぴゃふぁっ!?」
——————————————————
ドルチェ「このひとたちなんなんっすか。こわいっす……」
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