鉄を点じて食となす

刃の形とその居場所

 ノアくんとパルケルさんに出会ってから五日ののち

 僕とショコラはまたシデラの街へとおもむいた。


 今回は母さんと一緒である。


 ポチとミントが家族に加わったことで、親子三人が揃ってシデラに行くことはほとんどなくなった。必ず誰かが留守番として残ることにしているのだ。


 いつか一度は家族全員で森の外、どこかを旅することもあるのかな。

 父さんと母さんみたいに世界を見て回りたいって気持ちがなくはないんだけど、ただそれよりも僕は、家族でのんびり過ごす時間の方が大切だと感じるタイプだ。あの家にも愛着があるし、長く留守にするのは僕が我慢できそうにない。


 まあ、決まってもいない未来のことはともあれ。

 

 街に降り立った僕らがまず向かうのは、ノビィウームさんの鍛冶屋だ。


「スイくん、嬉しそうね」

「え、そうかな? もしかして顔に出てる?」

「ええ、すごく」

「わうっ!」

「ほら、ショコラもわかるって言ってるわ」


 通りを歩く足もきっといつもより早い。

 でも、仕方ないじゃないか。


 依頼をしてから、およそ三月半。

 ついに完成したのだ——僕の、包丁たちが。


 目抜き通りから横道に入り、更にそこから裏通りへ。小さな看板の下がったそのお店は、いまやシデラでも最も通い慣れた場所のひとつとなっている。


「こんにちは、来ました!」

「おう、待っとったぞ。……今日は母御ははごが一緒か」

「ノビィウームさんね、初めまして。息子がお世話になってます。……ウィリアムレムのお弟子さんだと聞いてるわ」

「そうか、母御はお師さまと面識があったんだったな」


 ノビィウームさんはカウンターの向こうで立ち上がり、左拳で己の右肩を叩く。

 ドワーフの礼のようだ。


「王国が誇る『鉄』がひと振りたるウィリアムレムに鍛えられたつち、ノビィウームと申す。縁あってご子息の剣を打つ身となった。お見知り置きをくれ」

「『終夜の魔女』たるカズテル=ハタノの妻、『天鈴てんれい』を号するヴィオレといいます。……お師匠さまのことは息子伝手づてで知りました。お悔やみが今になった不義理をお詫びします」


「痛み入る。だが悔やまずともよい。スイから聞いていると思うが、大往生であった。死んだ十年前は『天鈴』殿も大変な時期だったかと思う。どうか気になさらずにいてくれ」


 ノビィウームさんはにかりと笑い、


「それに、おのれの弟子が旧友ともの息子に刃を打ったのだ。きっと常世とこよで、お師さまのさかなになっておるだろうさ」

「ええ、夫も同席してくれているでしょう」


 母さんも可笑しそうに頬を緩める。


「……さて、じゃあ、早速だ。見てもらうか」


 ひと通りの挨拶が終わった後、ノビィウームさんは髭面を引き締めた。

 母さんは一歩退がり、僕は逆に前に出る。


 この三カ月と十日あまり、何度も何度もここに通い、打ち合わせを続けてきた。

 どんな種類の包丁が、どのくらいの本数、欲しいのか。

 なにを切り、なにを断ち、なにを刻むのか。

 どういう特性を持たせたいか、どんな性質があれば便利か。


 そしてなにより、僕はどんな想いを込めてその刃を振るうつもりなのか——。


 ノビィウームさんに、時には言葉で、時には絵に描き伝えた。試作を眺めては議論を重ね、選定した鉄に魔術を込め、自分になにができるか、どんな特性を付与できるかを模索した。


 そうして積み重ねたふたりの作業の結実が、もうすぐ僕の目に触れようとしている。


「驚くなよ」

 

 ノビィウームさんはそう断ってから、カウンターの下に身を屈め。

 を恭しく、台の上に置く。


「え……?」


 驚くな、なんて事前の言葉は通じなかった。

 僕はきょとんとし、目をしばたたかせる。


 ——話し合いを経て、僕が依頼した包丁は全部で九本だ。


 まずは解体用に、骨スキと皮剥スキナー

 それから肉の調理に牛刀と、筋引すじびき

 加えて魚用に出刃と柳刃。

 更には野菜と果物用に、菜切なきり、薄刃、ペティナイフ。


 我ながら多いと思うが、せっかくひと揃えを作ってもらうのだからと、とことんこだわった。こっちの世界にある包丁と比較し、ないものは形状や用途を伝えて。正直、この擦り合わせに最も時間を取られたと言ってもいい。

 

 だけど、ノビィウームさんがカウンターに置いた包丁は、

 なんの変哲もない牛刀包丁、それだけだった。


「他のは?」

「ない。これだけだ」


 確かに牛刀包丁は三徳包丁と並び、それ一本でどんな用途にも使用できる万能包丁だ。これさえあればとりあえずひと通りの料理はいける。


 だけど、万能というのはつまり細かい部分ではそれぞれの専門に及ばないということで、だからこそ僕は九本という自分でもちょっとどうかと思う数の依頼をした訳で……。


「あの、ノビィウームさん」

「お前さんが言いたいことはようくわかる。まあ、ワシもわざと意地の悪い出し方をしたからな。……つまり、お前さんを困惑させてやりたいと思うほど苦労したってことよ。まあ、持ってみろ」


 くつくつと唇の端を歪め、ノビィウームさんは僕を促す。


「おっと、まずはでだぞ」

「え? はい。わかりまし……っ!?」


 普段は無意識で循環させている魔力の流れを故意に遮断し、それから手を伸ばして持ち上げようとして、僕は頬を引きらせる。


「これ、え? いったい何キロ……」


 すごく重い。めちゃくちゃ重い。牛刀包丁って200gかそこらだった気がするのに、これはグラムどころじゃない。2kg……3kg?


「身体強化をかけろ。お前さんの魔導なら軽いもんだろ」


 言われて魔力の循環を戻す。今やすっかり常時発動が当たり前になっている身体強化を経て、包丁は一気に軽くなった。これなら取り回しにはまったく困らない。


「重かっただろう? 酔狂で重いのではないぞ。それだけの分の鉄が使われているからだ」

「……この包丁に?」

「そろそろ種明かしをしてやるか」


 ノビィウームさんは脇に置いていた酒瓶を手に取ると、首をくわえてそのままぐいっと呷る。いや、語りの景気付けに酒を使うんじゃないよ——それだけ興が乗ってるのかな……。


「お前さんが注文した包丁は九本だ。こっちの世界にも普通にあるもん、風変わりなもん、聞いたこともないような形のもん……すべてワシとお前さんで知識を共有し、試作も重ねてきたな」

「はい。向こうの世界にしかない出刃包丁や柳刃包丁なんかは、苦労をかけました」


 その甲斐あって、試作の段階でノビィウームさんは、用途と特徴を完璧に捉えてくれた。正直、その試作を持って帰りたいくらいだった。


 だけど彼はそれ試作じゃ満足しなかった。

 おまけに、更にそこから一歩先を——僕には想像すらできていなかったゴールを、見ていた。


 ノビィウームさんは言う。

 己の腕と結果に、自負と誇りを持つ男の眼で。



「その。九本の包丁すべてが、そのひと振りの刃に内包されておる。平たく言やあ……そいつは、



「え……」

「九本のうちどれでもいい、頭の中で想像しながら魔力を込めてみろ」


 じゃあ、柳刃。

 細く長く鋭く、魚の肉をどこまでも薄く削げるような。


 魔力を流した瞬間、まさに。

 牛刀が変化した。


 ぐにゃり、と鉄が歪み、伸びて曲がり、形状記憶合金をお湯に漬けたみたいに——思い描く理想の、柳葉包丁へと。


 僕は呆然としながら、次をつぶやく。


「……骨スキ」

 先端を欠けさせた細長い直角三角形みたいな、独特の形状に。


「菜切」

 四角い、幅広の長方形に。


「ペティナイフ」

 小ぶりで鋭く、野菜や皮剥きをするする行えそうな形に——。


「……凄いわ」


 背後から見ていた母さんが、驚嘆の声をあげた。


「闇属性で複数の形状を固定させて、そこに座標を打ち込んでいるのね。スイくんの魔力を流すことで、それぞれの座標に応じた形状が再現される。刃だけじゃなくて柄にも同じ処置が施されているわ」


 確かに、柄の形も変形している。


「小型のナイフになる時は、鉄が圧縮されている? 見かけ上の大きさが変わっても重量は変わっていないのね。道理で重い訳よ」


 母さんがノビィウームさんに向ける視線には、敬意があった。


「なんにせよ、すごい技術ね。闇属性の魔導でできることを模索し、この発想に至ったことも、実現させたことも。あなたの魔導も用いているのでしょう? スイくんにはこんな複雑な術式はまだ編めないし……なにより本人が驚いているもの」


「かの『天鈴』にそう言ってもらえるとは面映おもはゆい。確かに、ワシの魔導も込めた。幸いにしてワシも、微かながら闇属性が混じっておってな。スイのとは相性が良かった」


 その赤ら顔は酒のせいか、それとも照れているからか。

 だけど——再び僕へ向き直ったノビィウームさんの表情は、再び引き締まっていた。


「まあただ、酔狂や思い付きで一本にまとめたわけでもない。……スイ、抜き身の包丁だけを納品する訳にはいかん、こいつも一緒セットだ」


 僕へ投げて寄越したのは、木製の鞘。

 そして鞘と繋がる革のベルト——両端に、留め具が付いている。


 受け取って、気付いた。

 鞘もベルトも、そして留め具も、見慣れた意匠で造られている。


に着けろ。ぴったりと合うはずだ」


 指差されたのは、左の腰。

 父さんの剣——『リディル』が納まる鞘を、繋いだベルト。


 取り付ける。

 剣と包丁の柄が綺麗に横並びとなる。


 それはデザインも色合いも、まるで同じ人が作ったみたいにぴったりで——。


「九本ぞろぞろと渡したんじゃあ、そいつの隣におれんだろう。お前さんが持ち歩くにも難儀するし、格好もつかん。それにワシもな……確信があったのよ。は、お師さまの最高傑作と比べても恥じぬ刃になると。かつて憧れ、背中を追った人の隣に、ワシは立てると……立ちたいと」


 かつて父さんが、家族のためにたずさえた刃と。

 これから僕が、家族のために携える刃。

 それらが僕の腰で、ふたつ並んで隣り合って——。


「ノビィウームさん。……ありがとうございます、想像以上です。ごめん、ちょっと賞賛の言葉が見付からないや」


 僕は、言った。

 万感の思いを込めて胸を張り、喜びの中で顔を綻ばせて。


「帰ったら、父さんの墓前で自慢する。僕の友達が、剣を打ってくれたって。僕はこれで家族を守っていくよって」

「ワシもお師さまに自慢しよう。ワシは、友に最高傑作を渡せたと。あんたと同じように、ワシの刃で、家族を守ると言ってくれたと」



 ほれ、と。

 差し出された酒瓶を、僕は受け取った。

 唇を湿らせる程度にひと口だけ味わったお酒は、それでも火のように熱い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る