インタールード - 王都ソルクス城:国王執務室

 ソルクス王国は広大な領土を持つ世界有数の国家で、その面積は大陸のおよそ三分の一を占める。ただ、その更に四分の一は前人未到の代名詞たる『神威しんい煮凝にこごり』——『うろの森』であり、版図そのものは地図上の区分ほどには大きくない。


 とはいえ国力に関しては随一であり、大陸国家群の枢軸すうじくとして、平和維持という名の示威じい牽制けんせいに勤しんできた歴史を持つ。ここ百年ほど大陸内で国家間戦争が起きていないのは、曲がりなりにもソルクス王国の存在によるところが大きい。


 さて、そんなソルクス王国の現国王たる、シャップス=デル=ディ=ソルクスである。


 歳の頃は四十半ば、王家の血筋による高い魔力で見かけ上の若さは維持しているが、どうにも風采がぱっとしない。常にぽわぽわと呑気な顔で、穏やかで親しみやすいと言えば聞こえはいいものの、天賦の魅力カリスマは皆無であり、諸外国はもちろん家臣や貴族からも軽く見られがちな男である。


 ただし、その隣にはべらせている王妃は別だ。

 国王と同様の若さと美貌を保つ彼女の名は、ファウンティア=デル=リィ=シエーラ=ソルクス。


 シエーラ侯爵家の令嬢であった彼女は国王シャップスの幼馴染であり、婚約者時代から常にシャップスを陰日向かげひなたに支え、内政、外務、社交に折衷せっちゅうと、あらゆる分野において高い能力を発揮してきた。魔導にも熟達し、さすがに『魔女』には足りないもののそれに次ぐ『賢者』の称号を有し、水属性の透き通ったあおの魔眼と相まって『王国の甘泉かんせん』とも綽名あだなされている。


 つまり有り体に言うと、王は王妃の尻に敷かれていた。


 とはいえ王が王妃の傀儡かいらいなのかと言われれば、決してそうではない。

 かつて、王太子を凡愚ぼんぐであると侮ったシエーラ侯爵家は、息女である彼女を通して国を操り権勢を得ようと目論んだが、その野望は他ならないファウンティア本人によって封殺された。策謀のことごとくは事前に叩き潰され、侯爵家にはなんの権力もわたることなく、嫁いで二十年が経った今でもまつりごとにほとんど介入できないまま、先年とうとう息子——王妃である姉に盲信的な弟へと代替わりをした。


 両親に対してであったのだから、いわんや他の有象無象うぞうむぞうをや。


 王はそんな王妃を深く信頼し、尻に敷かれていようと意に介さず、小人物たる自分を大きく見せることもせず、融通無碍ありのままの凡愚として泰然と玉座に在る。その夫婦の有りように、なんだかんだで類稀たぐいまれなる治世であると評する者も多い。


 さて、そんな国王夫婦であるが。

 先だって北東グレゴルム地方——シデラ村から届いた報せは、彼らの執務室を騒がせることとなった。



※※※



「えー、まとめますよ。冒険者組合ギルド、シデラ支部は変異種の死体を入手。変異種を爆発させることなく仕留めたのは境界融蝕ゆうしょく現象でこちらの世界に戻ってきた『天鈴』さまのご子息、スイ=ハタノ殿。ギルドは王国に検体を提供し、既に王立魔導院からは研究員が出立しております。現地には『零下れいか』さまが先遣隊として駐在しておられるとのことで、研究の陣頭指揮も執るとのことです」

 

 国王夫妻の執務室にて、羊皮紙を片手に報告をするのは彼らの右腕、若き宰相さいしょうエイデル=タイナイ。ふたりがまだ王太子夫妻だった頃、視察先の地方都市でその才を見出し、養子に迎え入れたという来歴を持つ、平民出身の大器である。


「変異種の死骸が人の手元に残るのは、歴史上でも数例しか報告がありません。たいへん貴重な検体サンプルであり、研究によっては思いもよらない成果があがるでしょう。が、両陛下におきましては、お気になるのはそこではありますまい」


「……うん、なんかすごいのはわかったけど、どうすごいのかはさっぱりである」


 シャップスはあっけらかんと肩をすくめてみせた。国王としての威厳などどこかへ放り出した態度だが、いつものことなので王妃も宰相もなにも言わない。


「まあ、専門的なことは専門家に任せておきましょう。それよりもエイデル、あなたの言う通り、気になるのは……」

「『天鈴てんれい』さまの動向、でしょうね」

「正確には、あのよ。……ついに、ひとり増えましたね」


 王妃と宰相は揃って溜息をく。


『天鈴の魔女』にして鹿撃ちの位を持つヴィオレ=エラ=ミュカレ=ハタノ。

 そしてその義娘むすめである『春凪はるなぎの魔女』、カレン=トトリア=クィーオーユ。


 この親子が起こした騒動により王家が頭を抱えた回数は、枚挙まいきょいとまがない。もっともここに、十三年前に行方不明となったヴィオレの夫——カズテル=ハタノを加えると、頭を抱えるどころか突っ伏して放心した数の方が多くなる。


 カズテルが活躍していたのは国王夫妻がかろうじて王太子夫妻だった頃で、というよりもシャップスが王位を継承した際の騒動にそもそもあの夫婦が深く関わっているのだが、なんにせよ今はその息子である。


「カズテル殿とヴィオレ殿のご子息か。会ってみたくはあるなあ」


 呑気にそんなことを言うシャップスに、ファウンティアとエイデルは揃って嘆息たんそくした。


「呼んでも、絶対に来ないでしょうね」

「『そっちが来い』くらいは仰りそうですね。ご家族との再会は彼女の念願でしたから。ただ個人的には、『終夜しゅうや』殿とはもう一度お話をしたかったです」

「あなたはまだ子供でしたものね」


「カズテル殿かあ。王太子だった頃は、顔を見るや逃げ回るほど苦手だったが……亡くなられたと聞くと、やるせないものよ。いなくなって初めて、まだまだ教わりたいことがたくさんあったと悔いた。あの御仁を慕っていたのだと気付いた。余らにとって、無二の友であった」


 王の飾らない言葉に、三人はしばし瞑目めいもくする。

 ややあって王妃が、


「まあ、我らがその想いを忘れなければ、いずれ天鈴さまも顔を見せに来てくれるでしょう。間違っても呼びつけなどしてはいけません。セーラリンデを通して文とぎょくを送っておきなさい。私がしたためます」


 そう笑うと、議題は再開された。

 王妃は表情を施政者のそれに変え、宰相へ問う。


「それで……ご子息は、のですか?」

「性は善良、物腰も穏やかで、傲慢ごうまんなところは微塵もなく、人当たりも懇篤こんとくそのものであると。接触した者たちからの評判は高いです」

「……猫をかぶっているのではなくて?」

「虚偽のない為人ひととなりでしょう。変異種に襲われた冒険者の救助に、深奥部から単身で向かったとのことです」


 竜族ドラゴンの背に乗ってきた、という情報を、宰相は伏せた。


 その後もシデラへは度々ドラゴンとともに来訪しており、その異常な光景に現地の住人は慣れつつある——と伝えるのも、今はやめておこうと思った。


 何故なら次にする報告だけでも、ふたりの溜息は執務室を満たすであろうから。


「それから、魔導の力量に関してです。変異種を討伐したことからもご賢察けんさつなさっておられるでしょうが……『春凪』さまはもちろん、ともすれば『天鈴』さまにも届き得るかと」


「だよねえ」

「ですよね……」


 案の定。

 王、王妃ともに、はあ、と懊悩おうのうする。


「あのふたりの息子だしなあ」

「私も、こればかりは陛下とともに肩をすくめるしかありませんね」


「現地からによれば、かの『終夜』さまよりも深く黒い魔眼を持っておられると。変異種の放った雷撃をこともなげにさばき、居合わせた者たちにり傷すら負わせることなくあっさりと討伐せしめたそうです。その際に用いた闇属性魔術は驚嘆にして規格外。二角獣バイコーンの群れを単独で完璧に封じ込め、冒険者たちに狩らせたとのことです」


「はああああ、参ったなああ」


 ついに国王が執務机に突っ伏した。


「ティア、エイデル。余、どうすればいい?」


 そうして縋るようにふたりを見てくる。その姿は王として情けなくはあるが、一方で純朴な性根と遠慮なく他者へ頼る素直さは施政者としての美点でもある。


 王妃は、愛称で呼ばれたことに微笑みを浮かべつつ、目下の問題に嘆息で応えた。


「しばらくは放置していてよいでしょう。もちろん、貴族たちが余計なことをしないよう根回しをする必要はありますが……『天鈴』さまが既に、先遣隊との議事録を通して強烈な牽制をしておられます。欲をかいて屋敷を更地にされたい愚か者はそうそういないはず」

「諸外国へは?」

「こちらも特段、渉外しょうがいの必要はありません。幸いにも融蝕現象が起きたのは我が国土。『天鈴』さまはこれまでと変わらず、我が国ソルクスに留まってくださるのですから」


「住居は、『虚の森』の深奥部へと移ってしまいましたがね」

「前人未到の『神威の煮凝り』とはいえ、我が国の一部であることは変わりありません。韜晦とうかいであろうと事実です」


エルフ国アルフヘイムにもですか?」

「そもそもあの国、今はのです?」

「確か先月の時点で、獣人領南東部でしたか」

「必要ないでしょう。必要があれば『春凪』殿が接触するでしょうし、そもそも報せたとしても報せなかったとしても、なにかを要求してくるとも思えません」


「……いっそ、うちの姫でも嫁がせるか?」

「なにを莫迦ばかなことを。政略婚など打診すれば城が燃えて凍りますよ」


 王の冗談めかした提案は王妃に斬って捨てられた。

 が、それでもそこから次善案を捻り出すのが王妃の才覚である。


「……ノアップ辺りの耳に、さりげなく入れておきますか」


 まつりごとに興味がなく、民たちを愛し、冒険者の真似事をしては国内外をうろつき回っている放蕩ほうとう息子の第三王子。あれはヴィオレを師と慕っている。興味を持てば、シデラまですっ飛んでいくかもしれない。


 初対面の民と一緒に肩を組んで酒を酌み交わすような息子だ。あれがスイ=ハタノと友にでもなってくれたらという思いが、王妃の頭によぎった——施政者として、同時に親として。


「なんにせよ、『天鈴』さまのご子息です。利用しようなどとは考えず、敵対しないことを第一に。願わくば友好的でいられれば。森の深奥部を拠点に、たまにシデラへ出てくるくらいでしたら、むしろ今までよりも平穏でしょう」


 ファウンティアはそう言って、夫と義息むすこに同意を求める。


「確かに、そうだな。カズテル殿やヴィオレ殿に比肩する強さと聞いて震えていたが、聞けば穏やかな人柄のようだし、さすがにカズテル殿みたいな無茶をやらかしはせんだろう」


 王が鷹揚おうように頷くと、


「車軸の改良から始まって、世界G間測位P魔術M通信水晶クリスタルですか。当時、子供だった私にはまるで理解できないものばかりでしたよ。今になるとその画期性とともに……とんでもないことをしでかしたな、と思わずにはいられません」


 宰相も、はははと乾いた笑いを浮かべる。


 それで話がまとまりかけていた時だった。


 執務室の扉が控えめに叩かれ、応対した宰相に、伝令騎士が文を差し出す。

 騎士が辞したのを確かめて扉を閉め、封を切り、中を見るエイデル。


「……義父ちち上、義母はは上」


 臣下としての態度を完全に忘却するほどに、宰相は狼狽ろうばいしていた。

 故に届けられた報告書を、彼は棒のごとくに読み上げる。


「スイ=ハタノが、まったく新しい糧食りょうしょくを開発。携帯と長期保存が可能で、湯に溶かすだけで滋味溢れるスープとなり、具材を煮込めば王都の料理店で供するような一品になる。……旅の糧食としてのみならず一般家庭の調味料としても有用で、普及すれば民の食に変革が起きる可能性あり。……だ、そうです」






 王と王妃は——。

 たっぷり十を数える沈黙の後、揃って声をあげた。

「息子はそういう方向かあ……」

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