異世界転移したと思うことにしよう
「うん、異世界だこれ」
ひとしきり泣きじゃくった後、おっかなびっくりドラゴンの死体を調べた。
それから家の周囲の植生と、更には自分のスマホも。
——結論。
ここは現代日本ではない。
自分でもなにを言っているのかと正直思うが、首ちょんぱされたドラゴンの死体の生々しさや地面にどくどく溢れている血のにおい、加えてさっきまではまったく生えてなかった見たことのない形の木々と草花。おまけにここへ来る際に通ったはずの山道はどこにもなく、極め付けは圏外と成り果ててしまった己のスマホ——以上の状況を鑑みるに、僕の知識と想像力の及ぶ範囲で結論付けるなら、もうそれしかない。
僕とショコラは、この家(正確には庭と塀の周辺を含めた円形範囲)ごと、異世界転移したのだ。
異世界転生とか転移とか、その手の
いやたとえ二次元ではありふれていても現実で起きる訳がないだろともうひとりの自分が盛大につっこんではくるのだが、それでもだ。
ドラゴンの死体と意味わからん草木が目の前にある以上、これは実際に僕らの身に起きていることなのだという前提で行動するべきで、かつ、いま決してやってはいけないのは『こんなの嘘だ、幻覚だ』と闇雲に山を降りようとして道に迷うことである。
錯乱してそれをしないため、落ち着いて行動するため——僕の心に最も都合のよいのが『異世界転移しました』なのだった。
尻尾を振るショコラの背を撫でながら語りかける。
「お前のあの訳わからん強さとか家の結界とかも、ひとまずは異世界パワーってことにしとこう」
「わう!」
またドラゴンが襲ってきたとして、同じ対処ができるかはわからない。そこは果てしなく不安だが、それでも怯えて膝を抱えている訳にはいくまい。
とはいえ開けっぱなしは怖いので、縁側に続く掃き出し窓とカーテンは閉める。まずは家の中を探索、確認してみましょうかね。
では最も大事なインフラから。
「……電気は通ってない、か」
電灯のスイッチをパチパチしてみるがうんともすんとも。
これは予想していた。父さんの遺した通帳にはどれも、この家の光熱費が引き落とされている形跡がなかったからだ(ここへ来る前に調べていた)。つまり転移とは関係なく、そもそも電力会社との契約が成されていない。おそらくはガスもだろう。
では水道はどうかというと、なんとびっくりこれは出た。水道局と契約していないのに水が出るということは、
そういえば家ごと転移する話だと生活基盤がチートで完備されてたな、などと思う。水道はこれだろうか。だったら電気も通っていて欲しかった。
結果、電気ガス水道という生活基盤のうち使えるのは水道のみ。しかも山水だとしたらそのまま飲むのはちょっと怖い。
絶望的な気持ちになりつつ、それでも一縷の希望をかけて
「ふおおおおおおお! 神かよ父さん! 僕は神の子だった!!」
居間の奥、キッチンの戸棚。
加えて洗面所の隣にあった物置部屋。
そこにはペットボトルの水と、缶詰などの各種携帯食料が山のように積まれてあったのだ。
賞味期限を確認する。どうも備蓄として定期的に入れ替えていたらしく、全然いける。中にはサトウのごはんとか、お湯が必要なものもあるが——キッチンにライターがあったのでそこはなんとかなりそう。
「ひとまず一カ月くらいは飢え死にしなさそうだ」
「わう!」
なんと備蓄にはドッグフードもあった。しかもショコラが好きなやつ。父さんはいずれ僕らをここに連れてくることも考えていたんだろうか。電気が来ていないとはいえ家はしっかりした洋風家屋だし、豪華なキャンプと思えば楽しめたかもしれない。
そんなことを考えながら、続いて二階へ赴く。
階段をのぼった先には洗面所とトイレ、それから部屋が四つ。
ひとつめ、一番奥の右。ドアの大きさが違っていたから予想していた通り、物置部屋だった。掃除用具をはじめとしたなんやかんやが押し込められている。埃っぽいし確認は後でいいか。
その手前は寝室——というより、ベッドがひとつ置かれただけの部屋だ。クローゼットも空っぽで、ほんとにベッド以外はなにもない、って感じ。ただ寝具は整えられていて、シーツに汚れはない。よし、当面の寝床は確保できた。
続いて調べようとした左手前の部屋は、ドアに鍵がかかっていた。玄関に使ったやつは形状が違う。この家を探せばどこかにあるのだろうか? まあ、ひとまず置いておこう。
そして最後、左手奥。物置の向かい側にある部屋は——ノブを回すと、開く。
書斎だった。
机と本棚のみで構成された、いかにも書斎って感じの書斎。
机の上にはペン立てと卓上ライト。電気も来てないのに卓上ライト? と思ったが、それをいうならすべての部屋には電灯があるし、まあそこは置いておこう。
引き出しを調べてみるが目ぼしいものは入っていない。父さんはここをどんなふうに使っていたのだろう。
本棚を眺める。
ハードカバーの百科事典がまず目に付く。その下はエンタメ系。源氏物語だのシェイクスピアだのの古典が多く、変わったものではビートルズのバンドスコアなんかもあった。
それから建築入門だの機械工学入門だのの、初心者向けのものがずらりと並ぶ。『日常で使える科学・化学』とか『家庭で役立つ医学』、『発酵のすすめ』『サバイバル入門』とかまで。
「どんな趣味なんだよ……」
これらを集めた人——まあほぼ間違いなく父さんなんだけど——の目的がわからない。まるで手当たり次第に知識を求めるかのような、あるいはなにかの資料のような。
謎すぎる、と首を傾げる中。
背表紙になにも書かれていない、ナイロンの透明カバーが巻かれたもの。
「これ……アルバム?」
取り出して開く。
そこには家族の、つまり僕と父さん、それからショコラの写真が貼られていた。
時期は、僕が六歳の頃——小学校の入学式から始まっている。
小学校の門の前で記念写真としてお決まりの構図。真新しいランドセルを背負った僕と、その横で腰を屈める父さん。そしてそれとほぼ同じように、今度は家の前でショコラを加えての一枚。
そこから運動会、授業参観、はては普段の食事の様子。僕とショコラが遊んでいるだけのものもある。撮影者はほとんどが父さんで、だから本人が写っているのは行事とか旅行とかの節目ごと、第三者にシャッターを切ってもらったものだけだ。
やがて僕が小学生から中学生となり、高校生、今の僕へと近付いていく。それでも写真の数はあまり減らない。代わりに減っていくのは僕のカメラ目線だ。正直、自分でも覚えがない。いつの間に撮られていたんだろう。
そういえばよくスマホのカメラを構えていたな、と思い出す。
食事の時には必ず一枚ぱしゃりとやっていた。食べたものの記録でもつけているのかと思っていたけど、まさか僕も写っていたなんて。
父さんが遺したものとの思わぬ邂逅に胸がじんとする。ただ同時に、なんでこんなところ——山奥の家にアルバム仕舞ってたんだ、とも思う。
そもそもデータ保存とかじゃなくてちゃんとプリントアウトしてまとめているのも妙だ。いや普通の家庭ではやっているのかもしれないけど、少なくとも僕らの暮らしていたあっちの家には、こういうのは一冊もなかった。
疑問に首を傾げ、ひょっとして僕に見られるのが恥ずかしかったのかな、などと思いつつ。僕はアルバムを再び閉じて書斎を後にする。
ひと通り家探しは終わった。次は——庭も調べなきゃね。
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