第38話 剣鬼の化身
一つ、二つ……夜の底に落ちていくさなか、時を数えながら敵を見据えた。
三つを数えた時、地面に着地した音が敵に伝わったらしい。大男は獣のごとく咆哮し、持っていた鞭を放り投げた。
敵を見つけた熊のように構えると、その大口を開けて唾を散らす。
「きたきたきたきたあああぁぁッ!! 待たせてくれやがって
えぇ!! 今度はちゃんと強えんだろうなぁ!!」
血に飢えた猛獣が前のめりの姿勢で待ち構えたその瞬間――
「おいおいおい……ッ!」
――その首は、アヴァルの短剣の間合いに入った。
熊男は常人離れした反応で刃を
「いってえええぇぇッ!!」
――男がとっさに左手で首を庇ったために、剣は手の甲を貫通した。アヴァルはそれにかまわず、その手を骨まで抉るようにして引き抜く。
アヴァルの着地を狙った女が鞭を構えていたが、小さくうめいて動きを止めた。メイドが投げた毒針が刺さったのだ。
「うぉッ!」
ほぼ同時に大男の馬鹿でかいうめき声も背後から聞こえる。
(先に女を斬る――)
前進する勢いのまま、容赦なく女に迫ろうとしたその時――地面を踏みつける重たい振動が背後から伝わってきた。
「うらあああぁぁぁッ!!」
咆哮とともに巨大な何かがすさまじい速度で背中に近づいている――ッ!
とっさに脇に避けると、それは地面を削っていき、鞭女の足元で止まった。
竜の首であれば一振りで切り落としうる巨大な両刃の斧――その持ち手の部分の底と男の右手首は太い鎖で繋がれており、引き寄せると男の手元に帰っていく。
「でっけぇだろう……? オレの斧は……」
男は誇示するように軽々と振り回し、ニヤリと口元を歪めて笑った。
一方で、アヴァルは男が気にするほど武器の大きさには関心が湧かなかった。それは考慮すべき材料に過ぎない。
即効性の毒は効かなかったのか、癒しの魔法を使ったのか……考えることは多い――いずれにせよ、一切のためらいなく、切り伏せるのみ。
「ちっこいくせによぉ――」
男はそう言って見下ろした。その目には小動物が走っているように見えたかもしれない。小さな剣を携えて、向かってくるアヴァルに言い放った。
「――でっけえじゃねえかあああぁぁぁッ!!!」
アヴァルの間合いに入る前に、
視界が暗い中での攻撃を兼ねた目くらまし――それを躱すべく、少し身体を捻って斧の真上に飛ぶ。
「背中がお留守だぜええぇぇッ!!」
地面に深くめり込んだ斧をあっさり引き抜くと、男は後ろに倒れ込むようにそれを振るった。
凄まじい膂力だ――男のやりたい放題な動きを見て素直にそう思う。
しかし、凶刃が肌に触れる寸前に、さらに鮮烈な光景を思い出す。
(エフティアの剣の方がよほど怖い)
どんなに力が優れていても、振り下ろす時よりも速度は遅かった。加えて斧の側面は広く、両刃なだけあって二歩は足を置ける。足場代わりにはちょうど良い。
男が仰向けになった時に見たのは二つに分かれた肉塊ではなく――
「すっげ」
――剣鬼だった。
がら空きになった首に剣を振り下ろす。
初めて人を斬る感触――男のあまりにも強靭な筋肉のせいか、首を切り落とすには至らなかった。念のため、喉笛に剣を突き立てて抉る。
剣を抜こうとして、上手く抜けないことに気づいた。手が震えていて力が入らないのだ。
「グラーグッ!!」
女の叫び声の方に振り向いた瞬間、女の首が斬られた。
女が倒れるのを待たず、メイドは短刀でその心臓を刺し、押し込んでから抜いた。
女の姿を、アヴァルは不覚にもかつて見た母親が死んだ光景と重ねた。
「……母さん」
不意に口を突いて出てきた言葉のせいか、アヴァルは吐き気を催す。
こみ上げてくるものを必死に抑えようとして地面にうずくまった。
すぐさまメイドが駆けつけると、アヴァルの背中に手を置き、顔を覗き込んだ。
「アヴァル様、どこか怪我をされたのですか」
「……大丈夫……です」
メイドは横たわっている巨体を横目で見て、手の平から火を放った。火は死体に燃え移り、やがて全身を覆う。
『グラーグ』とあの女が叫んでいたのは、この男の名だったのだろうか。
女の死体も既に燃やされていた。名前すら知らない女だったが、死ぬ間際の姿だけは目に焼き付いて離れなかった。
何だこの匂い……?
違和感を覚えて間もなく、燃える死体から細長く鋭利な影が二つ――それが一瞬にも満たない速さで伸びてきた。
メイドを突き飛ばし、その影の一本を腹に受けてしまうが、すぐさま剣で切り落として離脱する。女の死体の方からも影が伸びてきたが、臨戦態勢に戻ったメイドがそれらを切り落とした。
「坊ちゃんッ!!」
燃える死体二つから距離を取り、メイドと背中合わせに立つ。
「怪我は!?」メイドは珍しく緊迫感のある声を出した。
「脇腹を少し刺されましたが、動けます。それよりも――」
燃え盛る死体から、何本もの細長い影が這い出し、炎から逃れるように蠢いていた。しかし、やがて力を失ったかのように地面にしな垂れ、動かなくなる。
「――人が焼ける匂いは、ああいうものなんですか」
「いえ、これは……もっと別の……」
メイドも匂いの正体を掴めずにいるらしい。
〈……そこの人……悪いが……縄をほどいてくれないか〉
滅多打ちにされていた男の絞り出すような声が聞こえてくる。
駆け寄って、すぐに縄をほどこうとするが、メイドに止められた。
「メイドさん……?」
「様子がおかしいです」
体へのダメージがあるからでは……?
そう思ったが、メイドは彼に近づくことを許さなかった。
「あぁ……あぁ……どうして縄をほどいてくれないんだぁ……ほどいてくれよぉ……。ほどいてくれたら、俺何でもしてやるのにさぁ……! うぐっ!」
メイドが男の首に針を投げると、男はぐったりと動かなくなる。
「何をッ!?」
アヴァルはメイドを睨んだが、メイドはいたって冷静な顔をしていた。
「この男、魔薬中毒にかかっています」
「魔薬……?」
「誰が誰とも分からない錯乱状態です。ほどくのはかえって危険なので、おとなしくしておいてもらいましょう」
「……詳しいんですね」
「えぇ、少し」
嘘はついていないように見える。
アヴァルは剣を向けるのをやめた。
念のため、メイドは他の男たちにも同様の処置を施す。
男たちを洞窟の入口から離れたところに安置し、アヴァルとメイドは顔を合わせる。
「お嬢様のご学友を助けにいきましょう」
二人で周囲を警戒しつつ、人が囚われている洞窟に入ってゆく。
そして、ついにメイドの指先に灯された火が、縄で後ろ手に縛られた少女たちを照らした。
「これは……ッ」
ミルラとイルマ、それに一緒に縛られている他の二人の少女も、先ほどの男と同じように見えた。
「面倒なことになっていますね」
先ほどのようにメイドが針を投げようとした瞬間、虚ろだったミルラとイルマの目が見開かれた。
針は投げられたが、二人はそれをかわしてこちらに向かってくる。
縄はいつの間にかほどかれていたらしい。
「メイドさん、外に……!」
「承知しました……!」
狭い洞窟内でどうにかすることは出来そうになかった。
目を見張るほどに隙がなく、錯乱状態とは思えないほどに二人の息がそろっていたからだ。
洞窟の外に出て、体勢を立て直す。
「僕が彼女たちを相手します。あなたは隙をついてください」
「……承知しました。魔薬は一時的な身体能力の向上も引き起こします。どうかお気をつけて」
メイドが闇に隠れ、一対二の構図となる。
ミルラとイルマは肩を合わせながら曲刀を振りかざすと、じっと動きを止めた。
「ケンシヲ……コロス」「ケンシヲ……コロス」
なんだって……?
君たちは、剣使を育てる学園の生徒じゃないか。
分からないことを言う二人の周囲を動き回って牽制するが、向こうから攻めてくる気配はなかった。
「僕は、君達と話をしないといけないんだ……!」
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