第36話 悪しき者ども


真夜中の埠頭ふとうにて、泊めてある船のことごとくに潜入し終えたソーニャは、深くため息をついた。


「メイドって信用ならんのにゃ」


独り言を言って、夜空に浮かんだ星を見上げると、メイドの腹立たしいすまし顔が想起された。


(ミルラ様とイルマ様は、よく波止場はとばに行かれます。人や物資の出入りが多く、にも気づきにくい。そのような場所には魔薬の売人、奴隷商……このあたりの海は岩礁が多いのが幸いですね。朝まで船は出せません)


ソーニャはメイドの言葉を心の中で反芻する。

ミルラとイルマはどこにも見つからず、怪しい人影も一つもない。


「好みじゃないにゃー」


暗闇にその身を溶かし、元来た道に駆け出した。




音もなくドアが開き、音もなく閉じられた。

侵入者にも音はなく、衣擦れの音すら聞こえない。


「起こしてしまいましたか。それとも、起きていましたか」


いたずらっぽい不敵な笑みが、暗い部屋にも見えた気がした。

その声の主に問いかける。


「何をしに来たんですか」

「起きていなければ、少し楽しいことがあったかもしれませんのに」


突然小さな火が浮かんだかと思うと、黒い衣の女が現れる。

身にまとう服は異なるが、その声と目はリゼのメイドのそれだった。


「目を引かれるエイドスですね。」


手のひらの上に火を浮かべたまま、メイドは興味深そうに自分に向けられた短剣を眺める。刀身は鈍く光り、夕暮れの山並みのように存在感を放っていた。

一瞬、女が恍惚としているように見えたので、身構える。


「あなたはその下に隠し持っているんですね。それに、魔法も使える……音を消せるんだ」

「魔法を使わなくても、音は消せます。火は出せませんけど」


メイドはそういうと、火を出したり消したりし始めた。面白がるように明滅させる。

アヴァルはその間もずっと右目を閉じて身じろぎひとつしなかった。


「嘘もつく――その扉、どうやっても音はなりますよ」

「学生という身分は、あなたには役不足のようですね」

「何をしに来たのか、答えてください」


少し残念そうに、少し微笑むと、メイドはその手の火を消した。

暗闇と静寂が帰ってくる。


「私はこれから、お嬢様のおともだちを助けに行きます。心細いので、お誘いに参りました。いかがでしょうか」


殺意は感じられないが、怪しい人物の急な誘い――それも危険な匂いが漂う誘いを、いったいどうして受け入れようか。


(お二人に会えたら、お話をしてくださいな)


不意によぎったリゼの声が、拒絶の意志を押しとどめた。


「誘いに乗るかは、これから考えます。移動しながら説明してください」

「話が早くて助かります」


メイドは窓のカーテンを開き、窓を開けると、外に飛び降りる。全ての動作に音はなかった。

それに続いて飛び降りる。


「猫のような着地ですね」メイドが不敵に笑う。

猫人ソーニャには負けますよ」

「小悪党相手には十分ですよ。行きましょう」

「……飛び降りる意味はあったんですか」



学園都市をぐるりと回る影二つ――アヴァルは常に同行者に刃先を向けながら夜を駆けていた。


「あなたは何者なんですか」

「ライナザル家お抱えのメイドです。お嬢様の夏季休暇入りに合わせて退職予定ですが」


そういう事を聞いたわけではない。


「……退職後はどうなるんですか」

「暗殺者ギルドの構成員です」

「さすがに真に受けませんよ」

「そうですか」

「……」


聞かないと話が進みそうになかった。


「暗殺者ギルドとは、何なのですか」

「古来より続く、極悪人を裁く秘密集団です」

「今、秘密じゃなくなりましたよ」

「もっと洒落しゃれた切り返しはありませんか。そんな分かり切った言葉ではなく」

「たかが学生が暗殺者に切り返せるわけないでしょう」

「うふふ……確かに。けれど、ではないから教えたんですよ」


自称暗殺者は初めてまともに笑うと、「お嬢様には、私が笑ったなどと言わないでくださいね」と口元に人差し指を添えた。


「勧誘です。仲間になれば、秘密は守られます」

「仲間にならなかったら?」


殺しますとか言いそう。


「殺します」

「やっぱり」

「嘘ですよ」

「そうですか」


冷たく言葉を返したつもりが、かえって喜ばせてしまったらしく、「いいものですね。こういうやり取りも」と言って再び笑った。暗殺者などという割には……よく喋る。


「なぜ、僕を誘うんです」

「一目惚れです」

「……」

「半分冗談です。今回のは少し骨が折れそうでしたので、腕の立つ仲間が欲しかった――それが理由です」

「いったい何と戦うんですか」

「ザーティアンの人身売買組織ですよ」

悪しき者どもザーティアン……? こんな南東の果てまで……?」


どこまで信じればいいのだろうか。


「私からもよろしいでしょうか」

「どうぞ」

「アヴァル様は、あっさりと私に着いて来られましたね」

「今さら僕を騙したというのですか」

「いいえ。おともだちの心配はなさらないのだと思いまして。突然武器を隠し持った不審者が寝室を訪ねたのに」


もちろん警戒はした。けれど、それ以上にリゼとの約束のことが気にかかっていた。それに、メイドが部屋に来た時点で既にリゼたちがいる部屋に行っていたとしたら、僕にできることはなかった。


「……それは、リゼさんのために――」

「違いますね」


なんか、言い終わる前に遮られることが最近多い気がする。

気のせいだろうか。


は私に魅かれた。私があなたに興味を持ったように、あなたも私に興味を持った。だから危険を承知で私に着いてきた。他のことは二の次だった」


何だこの人……いきなり。

さも何かを知った風に……。


「違いますか?」

「あなた、まだメイドなんでしょう。馴れ馴れしいですよ」

「これは失礼いたしました。


着いて来たのは間違いだったろうか。

そうは思いつつ、彼女の言っていたことの一部は間違っていなかった。


(私があなたに興味を持ったように、あなたも私に興味を持った)


興味と言われると納得したくなかったが、このメイドを接していると無性に腹が立ってくるのだ。でも、この感情をどう表すべきなのか分からなかった。

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