第28話 大切なこと
戦勝セール中の百貨店は平日の夕方も賑わう。母親と揃いのデザインのドレス姿の女の子。福引引換券を片手に親に肩車される男の子。おもちゃを使用人にせがむ少年。大きなぬいぐるみの前で動かなくなる少女。
だめだ。子供に目がいって、欲しい物が全然思いつかない。
「アナ。ほら、探していたものがここにあるよ」
馬車で仮眠をとったからか、顔色が良くなったニールがショーケースを指差す。良かった。
ショーケースには装飾されたカッター、カッター板、金属製の定規が並んでいた。
「ありがとう。カッターと
「2本? 長いのを探すか?」
「そうじゃないの。2本を垂直に当てて使うと長さが正確に測れるのよ。紙を正確に測るのに役立つの」
修繕の道具は彼に言わせると必要品であり贈り物にならないと言われた。のりと刷毛入りの紙袋に金尺を入れて、彼が店員に手をかざし決済をしている間も子どもを探してしまう。
ハンドベルの音と、歓声が聞こえる。抽選会をしているらしい。
「アナスタシア? 会話が上の空だが、喫茶店で休憩するかい?」
隣で自動人形が出した宝石を見ていたニールが心配そうに私を見下ろした。
「いいえ、なんでもないの。素敵な指輪よね」
「アナ、これはどう見てもペンダントトップだぞ?」
確かに並んでいるのはよく見れば指輪じゃない。だめだ、完全に集中できてない。
「レストランはキャンセルして帰ろうか?」
「いいえ、そうじゃないの! ちょっと考えごと」
「何を?」
「いや、とりとめないことよ」
はっきりと言えなかったが、彼は私の顔色を見て何か思うところがあったらしい。
「ちょっと風に当たりに屋上に行こうか?」
「ええと……」
迷っている間にエスコートされ自動昇降機に乗って屋上に上がった。百貨店の屋上は硝子に覆われた温室で、セール会場とは変わって静かだ。
ニールは温室の薔薇のアーチで飾られたベンチに私を座らせた。屋上からは夕暮れの王都の街並みが一望でき、見上げれば新婚旅行で訪れた海沿いの街が星のようにまたたいていた。
ベンチにハンカチを敷いた彼は金髪が暮れる日にキラキラと輝いて見える。
「アナスタシアは自分の血で子供が欲しいか?」
確信を突かれて固まっていると、ニールが口元をゆるめた。
「君の視線の先を見れば察するよ。おおかた治療院に来たのも、調べ物だけじゃないんだろう?」
図星すぎて言葉が出ない。だがニールは気を悪くした様子はなく黙っていた。
「……シン先生に聞いて初めて知ったことがあるの。結婚1年以内に子がいないと夫は爵位を剥奪されるって。あなたがお医者様を辞めることになるのは、嫌だわ」
「それで採血魔術具で得たいのか?」
「な、なんで知ってるの!?」
「シンが教えてくれたんだよ。あいつは悪い奴じゃないが、お節介だからな。『ちゃんと話し合え』と言われた」
そうだったのか……全部知った上で、私が話すのを待っていたんだ。ニールは薔薇のアーチに咲く虹色の薔薇をひと枝手折った。
「アナ、見ていてごらん」
薔薇の茎には鋭いトゲがある。彼はそれを他のひらで手で握ると薔薇の茎を扱くように動かした。
「何してるの! 茎には棘があるし、傷ができわよ!」
「大丈夫だ」
彼が見せた手のひらに傷ができたが、棘の刺さった手のひらから血が滲む。慌ててハンカチを取り出すと、「見てごらんアナ」と彼は言って、無造作に手のひらに残った棘を抜いた。
血を彼が素手で拭うと、手のひらの切り傷はみるみる消えた。まるで傷などなかったかのように。
「魔術?」
「いや、違う。体質だ。もっと深い傷てもすぐに治る」
私は彼を見つめた。魔術ではなく自動で回復するなんて……自動人形は傷はつかないし、血は出ないけど……?
「俺は君と違う別種だ」
「別種? 私と同じ姿なのに?」
「そうだ。父は自分の遺伝子に絶滅した生物の遺伝子を組み込み受精卵を母に宿した。遺伝子組み換えだよ。俺には地上のあらゆる病原菌に対する免疫がある。それに老化を司るテロメア劣化がない……限りなく不死に近い強化された生命だ」
私は呆然と彼をみる。つまり、青少年育成センターで妖精のユーサが見せた情景は人類史でも生物学の講義でもなく、ニール自身の生い立ちだったんだ……。
「それって……一般的なの?」
「いいや特殊だ。父は公爵位を持つ魔術師で遺伝学を研究していた。絶滅生物の設計図を魔術で再現し、人間の設計図に折り畳んで入れ込む。病弱な母でも産める子を創ろうとしてやり過ぎたんだよ。絶滅した小型類人猿はね、ヒトと1.23%しか違わないが、俺は2%も君とは違う」
「つまり、私とニールは全く違う
「そうだよ。この虹色の薔薇のように品種改良されたんだ。だが俺は既に薔薇ではない。……だから俺は自分の血は残したいと思えないんだ。子が生まれたら、何十万年も生まれなかった新しい人類が誕生する。かつて旧人たちが新人たちに滅ぼされたように、君たち人類という種を滅ぼしたくはないんだ」
ニールは固い表情でそう言い切った。私が神聖すぎる、と言ったのはそういう意味だったの?
「どうして? 新しい人類がだめなの?」
文化はいくらだって変容する。合わさって混ざって新しい物が生まれる。この半世紀は新しいものは生まれなくなり、文化司書の仕事はもっぱら名づけ分類する事で新しい価値を生み出そうともがいているだけだ。新しいものを悪いと思う理由がわからない。
「どうしてだって? 俺には絶滅種からの教訓……いわばより生存が強い遺伝子が仕組まれている。遠くない未来に人類は淘汰され滅ぶかもしれない。聡明だった母はだから俺を忌み嫌い、悩んだ末に赤子に過酷なバスタブでの出産を選んだ。バスタブは汚染されているからな。だが俺には強靭な免疫と
目と鼻の奥がじんと熱くなった。
「淘汰だなんて……赤ちゃんの貴方にそんなこと言う人、いないわよ」
ニールは情けないくらい眉尻を下げる、棘が除かれた虹色の薔薇を私に手渡した。
「アナスタシア、貴方はそういうと思ったよ。だが歴史から見れば淘汰になるだろう。それが人類史にどう影響を与えるか想像がつかない。自分の子ども達がヒトを駆逐する未来は見たくない。だから俺の血に拘らなくていいよ」
それは、聖人を頼れと言っているのだ瞬時に理解できた。ニール以外の血を私に宿せと言うのだ。
「嫌よ! 絶対にそれだけ……貴方以外の誰かを自分に入れるなんてまっぴらごめん! だって私は貴方がす……」
あごを持ち上げられニールの唇が言葉を遮った。閉じた金色のまつ毛、間近でゆっくりと現れる碧色の瞳が夕日に照らされて綺麗だ。
「好きだよ、アナスタシア。今言ったのは最悪の場合の話だ。まずはアナの……ご家族を説得して養子を認めてもらおう」
こんなタイミングであれほどして欲しかったキスをするなんて、ずるい……。
「ニール……大切なことを言わせて……」
彼の指先が私の頰に流れ落ちる涙を拭う。蒼い瞳が優しく私を見つめている。
「私も貴方が好きよ。心から好きよ……だから、貴方の考えを尊重したいと思う、だから……」
一緒にいて……
最後までは言えなかった。言えなくとも、夕日が消えゆくまで、私たちは影を一つに重ねた。
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