31 証(※沢西春夜視点)


 その瞳がオレを映している。


「私は坂上明……って知ってるよね」


 彼女はそう言って小さく笑った後、本題へ入った。


「あなたの名前も教えてほしい。そして図々しいけどお願いを聞いてもらえたらとても助かる。何分晴菜ちゃんのほかに友達いなくて頼める人の当てがほかにないの」


 第二図書室の本棚の間を半歩後退した。動悸が半端ない。オレ好みの可愛い顔が切実な表情で迫ってくる。


 ちょ、待って。心の準備が。

 彼女はオレに言った。


「私の彼氏になってほしい」


 オレの願望が現実となったので立ったまま夢を見ているのかと思った。本当に自分が今、正気なのか疑った。


「あ! もちろんフリでいいの! 復讐を達成できたらすぐにやめるから。引き受けてくれると、とても助かる。……はっ! もしかして付き合ってる人いる? それならこの話はなかった事にして!」


 彼女が慌てた様子で補足してくれた。何だ、そっか。そうだよな。オレ、夢見過ぎ。自分の勘違いに苦笑いする。しかしこちらにとってはおいしい要望だ。もちろん承諾する。


「オレもちょっと色々あって、あいつらに復讐したい気分なんです」


 言いながら考えている。あいつら坂上先輩を泣かせて許せねえ。

 内心荒れているけど表情には出さず話を続ける。


「付き合ってる人はいないので大丈夫です。名前は沢西春夜です。よろしく先輩。岸谷先輩に揺さ振りをかけてあいつらの仲を引き裂こうという企みですね? 坂上先輩って無害そうな顔して実はエグい事考えてるんですねー」


 違うのは分かっていたけど、ついからかってしまう。きっと可愛い反応を返してくれるから。


「えっ……? そこまで考えてなかったよ! 岸谷君が私の事を好きだったのかどうかの確認と、こっちには未練がないところを見せ付けて惜しい事したかもって後悔させられたらなっていう些細な嫌がらせで一矢報いたいと……」


 両手の指をモジモジと合わせながら説明してくれる。やっぱり。仕草が一々可愛いし理由も甘いっていうか優しい。


「奪ってやりましょうよ、どうせなら。そして捨ててやるんです」


 言い切る。オレはこのどうしようもなく至上の先輩に幸せになってほしい。「岸谷先輩との事、協力しますよ」心の内で呟いて微笑んだ。




 やがてキスまでする仲になったけど決定的な告白はしていない。彼女は岸谷が好きだから。告白して拒絶されたりしたら下手すると、あの二人に復讐するという共通の目的で結ばれた関係さえ失ってしまうかもしれない。


 彼女がオレを好きになってくれればな……そんな甘い考えを幾度夢想しただろう。でもキスを拒まれないって事は少なくとも嫌われてはいない筈。


 彼女の気持ちを尊重して岸谷と彼女が上手くいくように手伝う……そんな当初の思惑は嘘っぱちだった。


 オレを好きになってほしい。オレだけを見てほしい。オレが彼女を幸せにしたい。


 本心は欲に塗れていた。最後に僅かに残った理性で彼女に選択肢を与えた。彼女は岸谷と付き合ってみて、それでも奴を拒めるのか。……もしもオレの事を少しでも好きになってくれているのなら、何か変化があるかもしれないと期待して。




 彼女から連絡があった。自宅マンションから近いバス停で待ち合わせた。

 オレは内心焦っていた。きっと彼女と岸谷との間に何かあったのだ。やはり付き合わせるべきじゃなかったんだ。

 バスから降りて歩道に立った彼女は明らかに元気がなかった。岸谷と何かあったのか問うけど反応から違うようだと感じた。涙を流す彼女の両腕を掴む。もしかして。


「もしかして、オレ何かしました?」


 彼女はオレのせいだとは言わず「心配かけてごめんね」と微笑んで見せた。心配で堪らなくなる。「何かあったらいつでもうちに来て下さい」と伝えた。彼女の目から涙が零れる。


「今日……春夜君のお家に行きたい」


 彼女がそう言ってくれたのに状況に思い至って焦った。「いつでも来て下さい」と誘いはしたけど今日は両親が旅行に行っている。花織も旅行先の近くにアニメの聖地があるとかで付いて行ったし。さすがにほかの家族がいない時に好きな人と二人きりのシチュエーションはまずいよな。


 思考しているうちに手首を掴まれた。彼女に引っ張られて自宅のある方面へと進んで行く。マンションのエレベーターを降りた時に尋ねられた。


「私たちは運命共同体なんだよね? ……両想いになったよね?」


 その時近くのドアが開いて理兄ちゃんが出て来た。何か注意されたような気がしたけど、気が動転していてよく覚えていない。話の途中で先輩の手を掴み自宅へ入った。自室に彼女を招く。


 覚悟を決めた。これから何があっても彼女はオレのものだ。誰にも渡さない。


 俯いている彼女に近付いた。彼女の右手がオレの上着の左袖を引っ張ったから、オレは彼女に必要とされているんだと感じた。泣きたいような衝動に駆られて抱きしめる。


 部屋に二人だけ。オレのものにしたい。あいつにはもう触らせない。


 キスをする。喉にも首にも。……まだダメだ。まだ確実な言葉をもらっていない。じっと相手を見つめた。


「私、春夜君のものになりたい」


 オレの願望が彼女の口から零れた。驚いて目を見開く。


「そして終わりにしよう? ……復讐はもうしなくていい」


 彼女が続け様に放った言葉に、オレは大いに戸惑った。


「え……?」


「やめる」


 その言動に思い至る。彼女はあいつを選んだんだ。

 そりゃあ、あいつと付き合ってる訳だから……もうオレは必要ないって事だよな?

 虚しい。納得できない。オレは何の為にここにいるんだろう。もう役目は終わったって事?

 教えてくれよ。


「言ったよね? 今、オレのものになりたいって。何で? 何の目的で? 復讐の為? だからそれで終わりにしたい? 信じられない。本当にそう思ってる?」


 焦燥のまま彼女を問い詰める。止められなかった。


 オレが見す見す、あいつのところに行かせると思ってるの?

 怒りにも似た感情を押し殺して歪んだ要求を口にする。


「証明してみせてよ」


 荒く口付けた。力でねじ伏せるように強引に。奥を嬲って苦しませた。拒まれなかったのが不思議だった。彼女は優しいからオレの望みを叶えてくれたんだと思った。オレにされるまま抵抗もできずに震えている。彼女に証を付ける。オレのものだという証を目立つところに。




 夜九時頃、オレのスマホが鳴った。無視したけどしつこいので出た。


「……はい」


「あっもしもし? 私だけど単刀直入に話すね。もう岸谷に疲れちゃった。あいつマジでムカつく。今、明ちゃんと一緒にいるんでしょ? メッセージで送った時間と場所に明ちゃんと一緒に来て。フィナーレにするから」


 通話がプツッと切れた。内巻先輩は本当に自分勝手だな。それにしても何で坂上先輩といるって知ってるんだ? 女子の情報網が怖過ぎる。


 電気を消した暗がりで目覚まし時計の薄ぼんやりした緑の光を頼りに坂上先輩を見下ろした。彼女はオレと内巻先輩が裏で手を組んでいる事を知らない筈だ。不審に思われるかもしれない。


「晴菜ちゃん?」


 坂上先輩が聞いてくる。


「はい」


 答えると先輩は「そっか」と、どこか寂しげに笑った。

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