27 思い出


 バスを降りて岸谷君と二人並んで歩いていた。岸谷君が何か喋り掛けてくれているようだけど、私は曖昧な相槌しか返していない。


 身体は岸谷君と家路についているのに、頭の中は春夜君と晴菜ちゃんの事で埋め尽くされていた。二人を残して帰ってしまった。

 帰りたくなかったけど岸谷君に「残りたい」とも言えないし。岸谷君からしたら今、私は紛れもない「彼女」なんだ。私に全然そのつもりがなくても「付き合っている」という事実は揺らがない。


 私たちの家がある丘の下、パン屋さんを通り過ぎた頃に岸谷君がこっちを見た。


「坂上」


「ん?」


「手、繋いでもいいか?」


 問われて一瞬、言葉に詰まった。だけど明るく返答する。


「うん、いいよ」


 付き合っているのに手を繋ぐのを拒むのも変かなと思い了承した。

 大きくて骨ばった手が私の右手を包んだ。


 岸谷君と歩いているのに、ずっと春夜君の事を考えていた。この道で手を繋いで帰った日の事。


 今、二週間前まであんなに好きだった人と付き合えて一緒にいるのに全然満たされていない心に自覚する。私、やっぱり春夜君が好きなんだ。


 ……これからどうなるんだろう。横目に岸谷君を盗み見た。岸谷君と付き合って復讐して、それから? 春夜君からはその先の事を聞いていない。


 思えば岸谷君とは幼馴染なのに、まともに一緒に過ごした記憶がない。いつも私の傍にいたのは晴菜ちゃんだった。


 長年一緒にいた彼女の事さえ私はよく知らないんだと最近になってやっと気付いた。

 何を考えているのかも掴めない。先週知り合った彼女のお母さんの事も。


 小さい頃「お母さんは都会で働いてるからなかなか会えない」って晴菜ちゃんが泣いていたのを思い出していた。その時、慰めになるといいなと考え髪留めをあげた。誕生日プレゼントに買ってもらったお気に入りだったけど後悔はない。彼女は今もそのヘアピンを使ってくれているから。ヘアピンなんて特に子供の時分はすぐに失くしてしまいそうな物なのに。


 晴菜ちゃんは本当は凄く優しい子だって、それだけは知っている。



 見晴らしのいい場所に差し掛かった時、岸谷君が立ち止まった。


「坂上、俺と付き合ってくれてありがとう。幾つか気になってる事があって確認しておきたい」


 岸谷君が真剣な眼差しを向けてくる。気圧されて「分かった」と言ってしまった。

 岸谷君は直球に聞いてきた。


「本当はあいつの事が好きな癖に何で俺と付き合ってるんだ?」


「えっと……?」


 呟いて思わず視線を外してしまう。岸谷君に両腕を掴まれた。


「何を企んでるんだ?」


 不機嫌そうな声で問われ恐る恐る相手を窺う。短めの黒髪が風に揺れている。ややつり目気味の双眸を細めてこちらを見返してくる。


 どうしよう。本当の事なんて言えない。


 「岸谷君に復讐する為に沢西君とイチャイチャしています」なんて。素直に答えたら間違いなく計画は失敗する。



「私、岸谷君の事好きだよ?」


 精一杯の回答を出した。笑顔を作った筈だけど苦笑いになってしまった自覚がある。

 岸谷君の事は……うん、好きだよ。晴菜ちゃんとキスしてるのを見る以前の好きより濃さも大きさも十分の一以下になった「好き」だけど。


「言ったな?」


 何故か岸谷君の口角が上がり、面白がるような雰囲気で言われた。


「じゃあ俺が今、坂上とキスしたいって言ったらさせてくれる訳?」


「えっ?」


「当然、付き合ってるんだからそういう『好き』だよな?」


 鋭く痛いところを突かれてぐっと返事に困ってしまう。


 引き寄せられて腕の中に囲われた。その時になって漸く、春夜君が以前してきた質問の真意を垣間見た気がした。


『岸谷先輩とだったらキスしたいですか?』


 あの時まだ未練のあった私を、岸谷君とくっつけようと考えたの?


 根拠もなくただ、そんな気がしたのだ。



 力いっぱい岸谷君の胸を押して離れた。


「ごめん。まだ心の整理がついてなくて。岸谷君は晴菜ちゃんが好きでしょ? 何で私と付き合ってるの?」


 逆に問い質した。相手は少し怯んだ様子だった。顔をしかめて一拍言葉に詰まったような間があった。


「俺が好きなのは坂上だけだよ」


「じゃあ何で晴菜ちゃんとキスしてたの? 好きじゃない人ともするの?」


「それは内巻に脅されてて……」


「岸谷君。小一の時、私にプロポーズしてくれたよね。私、嬉しかったんだ。でも今はもう何もかも汚い思い出になった。ぐちゃぐちゃに踏みにじられた気分だった。だから私は本当に好きな人としかキスしない。岸谷君はきっと私の事は好きじゃないんだと思うよ?」


 言いたい事だけ言って背を向けた。岸谷君を置き去りにして走って帰った。

 岸谷君に触られたところがぞわっとしている。「春夜君に復習してもらわなければ」そればかり考えていた。


 家に着いて息を整えている時スマホが鳴った。メッセージが届いたら鳴るよう設定した音。


 その後、送り主と通話し話の内容に大きく心を揺さぶられる事態に陥る。

 居ても立っても居られず、春夜君に連絡して会いに行く為バスに乗った。

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