19 変身
七人乗りの大きめな車で目的の撮影場所へ向かっている。運転手は理お兄さん。助手席に花織君。二列目に沢西君、私。三列目に朔菜ちゃん、ほとりちゃん、さりあちゃん……という感じに座っている。
……そう。何故か沢西君のお兄さん……花織君も同乗している。
花織君が顔を右に向け理お兄さんを睨んでいる。
「オレは見張りだからな。少しでも女子高生に手を出せば即刻、佳耶に報告する!」
花織君は理お兄さんに咬みつかんばかりに宣言する。だが理お兄さんはおかしそうに「フフッ」と一笑した。
「俺と佳耶、別に付き合ってないんだけど」
「んな訳あるかっ!」
「お前こそ、どうなの? 佳耶の事、何とも思ってないの?」
理お兄さんの追及に花織君が「ぐっ」と言って一瞬黙った。再び前方に頭を向けた彼から弱々しい声が出る。
「あっ当たり前だろっ? オレの恋人はこの次元にはいないんだ……」
二人の会話から、そこはかとなく三角関係の匂いがしている。二人が沈黙したので車内がシーンと静まった。ほかの皆もお兄さんズの話を聞いていたようだ。だがすぐに騒がしくなる。
「なんっで朔菜と一緒なのよ! ほとり、あんたって子は……!」
「こっちのセリフだね! 会う度に身長伸ばしてんじゃねーぞ。忌々しい!」
「ま……まあまあ」
後方を見ると問題の人たち。間に座るほとりちゃんが壁になって掴み合ったりとかはしていないけどいがみ合っている。挟まれたほとりちゃんは二人を落ち着かせようと頑張っている。
「まあまあまあ……。あっ、そういえば朔菜ちゃんって何が切っ掛けでユララを好きになったの?」
ほとりちゃんが話題を変えてくれた。振り向いて賛同する。
「私も聞きたい!」
「別に……」
朔菜ちゃんは私から視線を逸らした。だけどちゃんと答えてくれた。
「最初にユララを見た時、『可愛い何これ』って思っただけだよ。それから『私もユララになりたい』って密かな夢を持つようになった。もしかしたらこれが私の初恋なのかもしれない」
前を向いて朔菜ちゃんの声に耳を傾けていた。ひとつ前の席に座る花織君の頭がピクッと揺れた気がした。花織君もアニメが好きそうだったし何か思うところがあるのかもしれない。
彼については「沢西君のお兄さん」では長くて呼びづらいので私たちの間では「花織君」と呼ぶ事になった。朔菜ちゃんだけは呼び捨てにしていたけど。
「沢西君ちのお隣のお兄さん」も長かったので「理お兄さん」で定着した。朔菜ちゃんもそう呼んでいる。「理は呼び捨てにしてない! 何故だ!」と花織君が憤っていた。
「こんな地方じゃアニメのそれらしいイベントもないし、都会で開催されるイベントに参加しようにも交通費だけで数万円失うもんね」
ほとりちゃんが溜め息をついて愚痴っている。朔菜ちゃんがポツリと零す。
「写真だけでいい。手元に残して、それでこの恋は諦める」
「朔菜ちゃん……。よし! 今日は全力で楽しもうね!」
ほとりちゃんが意気込んでいる。
「さりあちゃんも! そろそろ覚悟は決まった?」
ほとりちゃんがさりあちゃんに話を振っている。さりあちゃんはまだためらっているようで「舞花様を差し置いて私が……なんて!」という呟きが後ろの席から聞こえてきた。ほとりちゃんが「舞花様もこのアニメ好きだもんねー」と和やかに笑っている気配がした。
右後方でガサゴソ音がしている。見ると朔菜ちゃんが鮮やかな濃い水色のウィッグを手にしていた。
「あんたの分も用意してやったよ。私にここまでさせといて、まさか怖気付いたなんて言わないよね?」
朔菜ちゃんがさりあちゃんへ挑発するように目を細めている。朔菜ちゃんは続けてこう言った。
「メイクも私がしたげる。ちょっと時間がかかるけど自信あるから任せていいよ」
「ふ……フン! 今回は任せてあげてもいいけど」
よかった。朔菜ちゃんとさりあちゃんが仲良くなれそうな雰囲気で。後方の三人はその後、アニメの話で盛り上がっていた。ほっとして前を向いた。
……何だろう? 花織君の頭が揺れている。理お兄さんが言及する。
「お前もアニメの話したいんだろ? まぜてもらえよ」
「うっせー! 心を読むんじゃねー!」
反抗期の少年とその親みたいなやり取りだった。
山間や海沿いの道を進み目的地に到着した。無料駐車場の側に大きなトイレがあり、その裏は結構広い休憩所になっている。ウッドデッキのそこから先一帯は広大な薄の原が続いている。とても眺めがいい。山々を背景に遠くの方には小さく民家が点在している。海はもう少し道を進んだ先にある。
「お化粧の時間もあるし、ユララになった姿を見られるのは恥ずかしいらしいので……お兄さんたちと沢西君は二時間くらいどこか別の場所で時間をつぶしてきて下さい」
ほとりちゃんがお兄さんズと沢西君に無情な事を言っている。花織君が目を大きくして聞き返した。
「二時間? こんな何もないド田舎で? コンビニだって2キロは離れてるぞ。連れて来たのにこの仕打ち、エグくない?」
「未成年だけ残してこの場を離れるのもな……そうだ。すぐ近くの海辺にも公園があるから、そこら辺にいるよ。何かあったら電話して」
理お兄さんは穏やかに笑って歩き出した。
「じゃあ先輩、また後で」
「うん。ちゃんと写真は見せるから!」
沢西君と手を振り合った。
見送った後、さっそく準備に取り掛かる。トイレはたまにほかの利用者も来るけど、裏にある休憩所の方は滅多に人が来ない穴場だった。テーブルや椅子、大人数が座れるベンチもあるし。そこで朔菜ちゃんとさりあちゃんは化粧をし、トイレで着替えてからウィッグを被った。
トイレでウィッグを整え終わった朔菜ちゃんが出て来た。一拍息が止まった。思わず口にする。
「え……? 朔菜ちゃん……。ここまでやるとは思わなかったよ」
流れる濃い水色のポニーテール、水色の瞳。レースや妖精風の翅があしらわれた、どこか和モダンな衣装。こんなに細かく手の込んだものを普通の高校生が作れるものなのか疑問に思う程に妥協がなかった。可憐な出で立ちなのに、凛とした表情には気高ささえ感じる。透き通るような桜色の肌も目元のホクロも髪の流れも忠実に再現されている。
紛れもない美少女……ユララだ。この世界で今、一番ユララに近いのは彼女だと断言できる程に常軌を逸したなりきり具合だった。
もはや朔菜ちゃんの面影はどこにもなかった。
「正直、舐めてたよ。朔菜ちゃんの執念を」
感想を述べると彼女はニッと笑った。「これ持ってて」と言われ道具の入ったバッグを預かった。軽い素材で立体的に作られているタイプのもので、閉めてあるチャックの端から髪の毛がはみ出ている。
「ん?」
もう一度見る。……髪の毛がはみ出ている。
恐る恐るその房に触れてみた。ウィッグ? ……あっ、そっか。これ、朔菜ちゃんのいつもの髪型のウィッグだ! うん……そうだよね。よく考えたら地毛で元の朔菜ちゃんの髪色だったら学校の先生に注意されるもんね。
意外な事実に、ちょっとドキドキした。
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