17 お兄さん
川沿いにあるバス停で下車した。
五分も歩かないうちに七、八階建てくらいのマンションが見えてきた。川に並行するように横に長い造りで、一階は駐車場になっている。
「沢西君のお家……ドキドキしてきた。急にお邪魔して大丈夫なのかな?」
「全然大丈夫です。散らかってますけどね」
沢西君に続いてマンションの中へ入る。エレベーターで彼は四階のボタンを押した。四階でエレベーターを降り沢西君の後を追う。通路の中頃で沢西君の足が止まった。インターホンを押している。
「はい」
インターホンから応答があった。落ち着いた印象の男性の声だ。沢西君がインターホンに向かって言う。
「オレ。理(さとし)兄ちゃん、ちょっと頼みたい事あるんだけど……。今からうちに来れる?」
「分かった。今、電話中だからもう少しして行く」
話を終えて沢西君が歩き出した。インターホンで会話したお宅の隣家の戸を開け中へ入っていく。
「どうぞ」
促され戸の内へ足を踏み入れた。
「お邪魔します」
玄関の先に廊下があり、その奥は広いLDKになっていた。窓際にテレビがあって、テレビの前にヘッドホンを装着しゲームに熱中している人物の姿があった。
「あれ、うちの兄です。ちょっと残念なところがあって……。大目に見て下さい」
沢西君は私にそう微笑んで、こちらに背を向けたまま弟の帰宅にも気付いていない様子のお兄さんに近付いて行く。沢西君がお兄さんの頭部にあったヘッドホンを掴んで外した。
「なっ! 何す……えっ? 誰? まさか彼女?」
「そうだよ」
えっ?
お兄さんの問いに即答した沢西君を驚いて見つめる。
『彼女』……! 彼女って紹介してくれた……! 本当は違うって分かっていても凄く嬉しい。
沢西君のお兄さんは沢西君に似た顔立ちで眼鏡はしていない。少し外側に撥ねている若干長めの黒髪が特徴的で、少しよれっとした白地に茶色のチェック柄シャツを着用している。猫背だ。
お兄さんはポケーッとした表情で私を見上げている。
「先輩、兄の花織(かおる)です。花織、坂上明さん」
沢西君が紹介してくれて慌てて頭を下げた。
「初めましてっ! よろしくお願いします!」
「は……はあ。どうも」
沢西君のお兄さんも、この急な状況に戸惑っている様子だった。狐につままれたような顔をしている。そんな時インターホンが鳴った。
「理兄ちゃんだ」
「ゲッ! アイツ呼んだの?」
沢西君がドアを開けに行った。沢西君のお兄さんは来訪者の名を聞いて露骨に顔を歪めた後、テレビに向き直りゲームを再開した。
キッチンの横にあるドアを開けて沢西君と「理兄ちゃん」と呼ばれる人物が入って来た。
私より三、四歳くらい年上に見えるその人は、今まで見たどんな人より美形だった。黒のサラサラした髪はさっぱりと整っている。切れ長の双眸。背もドアの縦の長さくらい高い。スラッとした体型に黒のシャツが何とも格好いい。綺麗過ぎて凝視してしまった。
「先輩、こちら理兄ちゃん。大学生でうちの兄と同級生。隣に一人暮らししてる。理兄ちゃん、彼女の坂上先輩」
「桜場理です」
「坂上明です」
沢西君の紹介後、お互いに名乗った。「理兄ちゃん」と呼ばれているその人は物静かな性格なのかもしれないと感じた。落ち着いた雰囲気で表情に笑みらしきものが微塵も見当たらない。悪く言えば不愛想な気もするけど、怜悧に思わせる眼差しが美し過ぎてクールと表現した方が近いのかもしれない。
こちらに背を向けゲームに熱中している沢西君のお兄さんを、お隣のお兄さんが見ていた。近付いて行ったお隣のお兄さんは沢西君のお兄さんの頭にあったヘッドホンを引き剥がした。
「なっ……! 何すんだよ!」
沢西君のお兄さんが振り向いて抗議している。
「お前もそろそろ現実に目を向ければ? まだアニメのキャラに拗れてんの?」
お隣のお兄さんの言葉に沢西君のお兄さんは「ぐっ」と呻って床に手をついた。彼の握り締めた拳が震えている。内にくすぶった感情を吐き出すが如く沢西君のお兄さんの声は切実だった。
「現実の女で妥協する訳ないだろ? 二次元こそ至高! 幻想の中だけだよ。オレの想い人がいるのは」
「……難儀な奴だな」
沢西君のお兄さんの返答を受け、お隣のお兄さんはそう呟き閉口した。沢西君のお兄さんの話は続いている。
「オレも子孫を残す為に彼女を作らないととは思ってるんだ。でもどうしても現実の女には幻滅してしまうんだ! すまん!」
沢西君のお兄さんが勢いよく頭を下げた。私に向かって土下座する体勢になっている。私へ謝られたみたいで複雑な気持ちになった。
隣に立っていた沢西君にコッソリ呟く。
「お兄さん何か……不憫だね」
「うん。こういう奴なんだ。よろしく」
沢西君も苦い顔で笑った。
「理兄ちゃんって免許持ってたよな? 車も。頼みって言うのは……」
沢西君とお隣のお兄さんが少し離れた場所でこそこそ話し始めた。きっと例の件だ。
でも何故か沢西君のお兄さんには聞かれたくない話のようだった。「もしかしたら花織の弱みになるかもしれないモノが手に入るかもしれない」「……何?」という内容の一部分が聞こえたからそう感じた。
その時には既に、沢西君のお兄さんはゲーム世界に戻っていたので気付いていないと思う。
「分かった。いいよ」
お隣のお兄さんは了承してくれた。
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