14 キス


 頬に伝わる沢西君の体温が心地いい。

 必死な私はありったけの理性を以て口走る。


「や、やめとく」


 沢西君の復讐に協力すると昨日決めたばかりだったのに。いざするとなると怖気付いてしまう。


「何でですか? オレとじゃ嫌ですか?」


 すぐ近くから問われる。


「ち、違うのっ」


 誤解されそうになって急いで否定した。目を大きく左に逸らした。恥ずかしくて。ゴニョゴニョと密かに危惧していた考えを白状する。


「一回だけじゃ済まなくなりそうだからっ……! 本で読んだ事があるけど、キスって気持ちいいもの……なんだよね? 引かれちゃうと思って……」


「えっ、そっち? オレじゃなくて先輩が済まなくなりそうなの? ハハハ……」


 それまで暗かった沢西君の声が一転した。明るい笑い声。


「先輩?」


 呼ばれて相手の目を見た。意志の強そうな眼差しで言われた。


「望むところです」


 えっ……と思った時には唇同士が触れていた。ファーストだったキスがすぐにファーストじゃなくなる。少しだけ離れて直後にまた合わさるから。行為に感情が追いついていない。どこかフワフワした気分だ。


 沢西君が私の両肩に手を置いて俯いた。


「あー。先輩の言ってた事が分かりました。確かに一回じゃ終われませんね。……引きました?」


 沢西君へ首を横に振って見せる。


「じゃあ何で目を逸らすんですか」


 彼の不服そうな物言いへ返答する。


「や、やっぱりこういうのは両想いの人とするものでしょ。沢西君は私の事、好きじゃないでしょ」


 キスしていても沢西君の心が私にないという現実に納得できない部分があって、つい捻くれた事を言ってしまった。それなのに手を放してほしくなくて彼のシャツの胸元を握り締めていた指に力が籠もる。その左右の手を沢西君に片手で掴まれた。顔を上げた私は真剣な目をした彼に尋ねられた。


「オレはしたい。坂上先輩と。先輩は?」


 一拍、言葉に詰まった。昨日の決意は必要なかったのだと思った。私の進みたい方向に彼がいるのだから。心に従って答えた。


「私もしたい。……沢西君と」


 沢西君の左手に引き寄せられた。私の両手は彼の右手の下で心臓の響きを聴いていた。




「先輩、オレ……っ」


 沢西君が何か言い掛けた時、戸が開けられる音がした。


「内巻先輩も人使いが荒いよねー。『ハンカチ忘れたかも』って……自分で取りにくればいいじゃんねーっ」


「シッ! 誰かに聞かれたらどーすんのっ! あの人は私たちの憎悪を上手くコントロールしてくれてるんだから文句言うのは筋ちが……っ」


 女子二人が喋りながら室内に入って来た。びっくりしたような彼女たちと目が合う。直前に沢西君から慌てて離れたけど間に合ったかな?


「先輩行きましょう」


 沢西君に促され手早く荷物を持って廊下へ出た。手を引かれて後に続く。

 先程、第二図書室にやって来た女子たちは晴菜ちゃんの話をしていたような……。


「ねぇ、沢西君」


 前を行く彼に呼び掛けるけど返事がない。そう言えばさっき……彼は何か言い掛けていた。その事も聞きたいけど聞ける雰囲気じゃなさそうな気配。だけど意を決して問う。


「沢西君? 何か怒ってる?」


「何で怒ってると思うんです?」


 反応してくれたのでホッとしたけど、やはり怒っているような言い草だ。


「私……何かした?」


「先輩は本当に復讐したいと思ってます?」


 鋭く言及されてハッと目を開く。足を止めた彼が振り向いた。


「オレたちの今の関係って何なんです?」


「恋……人……」


 自分では満点の答えを返したと思った。


「そうですよね。オレ、そう言いましたもんね。ちゃんとそのつもりでいてくれていいんですけど、いやよくないのか? ……とにかく。恥ずかしかったのは分かりますけど、さっきはチャンスだったのに。相手方に知らしめる絶好の。人づてに聞くのもジワジワ傷に響くと思うんですよね」


 沢西君が何を言いたいのか分かった。さっき……第二図書室に人が来たので慌てて彼を押しのけてしまった。その事を言っているんだ!


「ご、ごめん! そっか。そうだよね! 見せ付けるいい機会だったのに私ったら……」


「…………いえ。オレの方こそ、すみません。本当は違う理由なのにちゃんと言えなくて。何でもないです。……あっ! もしよかったら今日、帰りに商店街に寄ってもいいですか? ちょっと行きたい所があって」


「う、うん分かった」


 途中、話をはぐらかされたような気もするけど無理に聞き出さなくてもいいかと思って沢西君に合わせた。




 塾へ行く道を辿った先に商店街はある。昨日も同じ道を沢西君と一緒だったけど昨日の今日でこんなに、この恋が進展しているとは思わなかった。


 数歩分前を歩く彼の手を握った。ぎゅっと握り返してくれる。凄く凄く幸せな気持ちになる。


 これがただの……復讐が終わるまでの「フリ」だとしても。

 せっかくの満たされた心情がしぼんでしまいそうな気がしたので、それ以上考えるのはやめた。




 商店街の通りに入った。「沢西君はどこへ行くのかな?」とワクワクしてきた。


 でもこの日は結局、目的の場所には行かなかった。何故かというと偶然……知り合いと遭遇して沢西君が「オレの用事は今度で大丈夫です」と言い出したからだ。


 商店街の中程を歩いていたら前方右側の建物から出て来た二人と鉢合わせした。足を止めて見ていた私と沢西君に、あちらも気付いたようで二人とも顔を強張らせて動きを止めた。


 朔菜ちゃんと……ほとりちゃん。組み合わせに違和感がある。


 あれ? 二人は確か対立していなかったっけ?

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