第39話【憧れ】

 すっかり元気になったアオイさんと橋本を見送り、境内けいだいに戻って今度こそおみくじを引いた俺と沙優。

 沙優は『中吉』と、まあ上から二番目なので良い方だろう。俺の方はというと――。


「そんなに落ち込まないの。中途半端な吉を引くより、ある意味ついてると思うけどな~」

「俺も沙優と同じ立場だったらそう励ましただろうが、実際引くと精神的に結構来るぞ......」


 人助けをしたあとに引いたおみくじでまさか『凶』を引くなんて。誰が想像できよう。

 お清め代わりに神社が無料で配っている甘酒を体内に流し込む。ドロっとした感触が喉を通り抜け、冷えた体を内側から温めてゆく。

 

「凶って本当に入ってるんだね。私、初めて見たかも」

「そうか。なら凶でも引いたかいは少しはあったかもな」

「吉田さんといると色んな”初めて”を経験できるのは、今年も変わらないね」


 桜色の唇に白い液体を付けたまま、沙優はほんのり頬を赤くさせて微笑んだ。

 いつかの甘く激しい夜の記憶が蘇り、屋外、そのうえ神聖な場所にもかかわらず鎌首をもたげそうになる。これは甘酒の影響ということにしておこう。


「育休、か」

「橋本さんの話?」

「俺と橋本の年代なら、もう子供の一人や二人いてもおかしくないんだよな」


 高校時代の同級生で卒業と同時にできちゃった婚をし、現在4人の子供を育てている奴がいたのをふと思い出した。

 そこまで親しい間柄ではなかったが、子供を、それも4人も誤った道に進まないよう教育していくのは相当難儀なはず。とてもじゃないが俺には無理な話だ。


「子供いいよね。ああやってお父さんとお母さんと手を繋いで歩いてる姿見ると、無条件に幸せでほっこりしちゃうよね」


「わかる。子供嫌いな俺でもなんつうか、つい顔が緩んじまう」

「目つきも?」

「うるせえ」


 隣でクスクス笑う沙優は放っておいて。俺が子供を嫌いなのは単純に『我儘わがままだから』というのが大きい。

 何か自分の気に入らないことがあれば所かまわずすぐに泣きわめき駄々をこね、家族や他人にまで迷惑をかける。

 善悪の判断も怪しい未成熟な相手に無茶な話だと思われるかもしれないが、大人になると嫌なことばかりでいちいち感情を爆発していられない。

 ある意味、感情を素直に表現しても許されてしまう身分が羨ましいのかもな。

 そんな風に目の前を通りかかる家族連れを眺めていると、沙優が感慨深いそうにぽつりと呟いた。


「アオイさんのお腹、温かかったなぁ」

「上手く腹周りを誤魔化せる着こなしだったから最初気付かなかったけど、仰向けになったら確かにちょっと膨らんでたな」


 沙優はアオイさんから特別に許可を得て、妊娠6ヶ月のお腹を触らせてもらった。

 初めて体感した生命の胎動たいどうに余程感動したらしく、終えてからも触れた手をじっと見つめ浸っていた。

 いずれは沙優も俺の子を――アオイさんと出会えたことが、俺だけではどうしようもない、沙優にとって今後の生活でやってくる不安の助けに少しでもなってくれればいい。


「愛する人の子供を身ごもる気持ちってどんな感じなんだろう」

「言っておくが、俺たちにはまだ早いからな」

「まだ、ね。わかってますって。純粋に興味があったから言ってみただけ」


 既成事実を作りそうな悪戯いたずらな笑みが怖いんだが。


「妊娠するとつわりやら何やらでいろいろ大変だって話はよく聞くが、やっぱり好きで一緒になろうと誓った相手の子供なんだから、もちろん幸せに決まってるだろ」


「うん。そうだよね。橋本さんを見るアオイさん、本当に心から愛してる人を見る表情かおしてたし」


「橋本も普段から穏和な奴だが、奥さんを前にすると輪をかけて優しい顔つきになりやがる。さすがは高校時代から続く愛の深さってところか」


 橋本の嫁に対する熱い想いを以前自宅にお邪魔した時に散々聞かされた身としては、ただ笑うしかなかった。


「私もあんなふうに仲睦まじい夫婦になりたいなぁ」

「......形にこだわらないで言うなら、俺たちだって充分負けてないと思うぞ」

「......うん。ありがと」


 結婚も結局は記号。

 そうしなければ社会の仕組み上、いろいろと面倒なことが生じるだけで、大事なのは相手を想う気持ちそのもの。

 今年に限らず俺たちの前には様々な障害が立ちふさがるだろうが、沙優とならどんな困難でも乗り越えられる気がする。


「――でも、すぐ近くに彼女がいるのに彼氏が巫女さんに見惚れてるようじゃ、私もまだまだ大人の修行が足りないかな」


「......気のせいじゃないか」

「休憩所まで案内してくれた巫女さん、綺麗だったよね~」


 俺の彼女兼未来の嫁さんがヤキモチやきだってことをいい加減学習しろ。

 満面の笑みなのに目がまったく笑っていない。甘酒が入ったカップを今にも握りつぶさん勢いでこっちを見ろとうながしてくる。


「......申し訳ございませんでした」

「よろしい。罰として吉田さんにはお昼をご馳走になってもらいます」

「どうぞ何なりとお食べ下さいませ。ただし持ち帰りできるものでお願いします」

「了解。せっかく母さんが送ってくれた晴れ着を汚すわけにもいかないもんね」


 昼時も終わり、人が増えてきた境内を、俺は沙優の手を取って歩き出した。

 

「何にしようかな~。あ、そういえば神社の入り口近くに串焼きの出店があったよね~」

「ちょっと待て! 俺の記憶が確かならそれ一串三千円もするヤツだろ!」

「浮気の慰謝料だと思えば安い安い。ほら、早く行こう♪」

「......少し目で追っただけで浮気認定されたら、迂闊に他の女性なんか見てられねえな」


 おみくじの『凶』の意味が段々と理解できてきた。だとすると唯一まともだった出産運『感情を抑え慎重に』は、例え相手が安全日でも油断するなという神様からの警告なのか?

 去年ほどじゃないにしても、今年もなんとなく騒がしい一年になりそうだ。



          ◇

 次回、第40話は5月24日(金)の午前6時01分に投稿予定です。

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