第10話【名前】
「いやー凄いよねー。全然お金取っちゃってもいいレベルなのに、無料でSNSで公開しちゃうなんてさ......って、沙優ちゃん聞いてる?」
吉田さんと行った夏祭りから数日後の平日。
エアコンがほどよく効いた家の中。
あさみの話に相づちを打ちながら指輪を眺めていたのが気付かれてしまった。
「え? あ、ごめん。何の話だっけ?」
「焼けますねぇ奥さん。旦那様からの婚約指輪。羨ましいですなぁ♪」
「やだ......旦那様じゃないよ、まだ」
顔の前で手を横に振って否定する私を、テーブルに
最近こんな調子だ。
暇さえあれば左手の薬指にはめられた指輪を眺め、あの日のことを思い出し、胸が幸せでいっぱいになる。
吉田さんから貰った誓いの証――毎晩のように彼から愛されていることは実感できるけど、こうして形となって常に見えるものになると、嬉しさでつい頬が緩んでしまう。
「あさみも策士だよね。急に遊びに来て「手相見せてほしい」って言われた時は何事かと思ったよ」
「おやー? なんのことかなー? 私は沙優ちゃんの手相が無性に見たくなったから遊びに来ただけだしー」
「なにその変な理由」
白々しい言い回しでかわすが、私は覚えている。
手相を見せてほしいと言っておきながら、あさみは左手、主に薬指ら辺ばかりを不自然なまでに触っていたことを。
おおかた、吉田さんに急遽頼まれ入れ替わりでやってきたのだろう。
女性へのプレゼントを買い慣れていなそうな彼のことだ。指輪を買いに行ったはいいけど、肝心のサイズの存在をその場で知り、急遽友人でもあり家が近いあさみに助けを求めた――というのが私の立てた推理。
未来のお嫁さんとしては、いざという時に頼れる異性の友人がいるのは嬉しく思う反面、やっぱりちょっと嫉妬してしまう。
二人には、この部屋で築いてきた、私の知らない空白の二年間がある。
あさみも私のためを思って吉田さんに会いに来ていたことを頭では理解していても、その空白と嫉妬を埋めるにはもう少し時間がかかりそうだ。
「ちょい気になったんだけどさ」
「どうしたの?」
再び自分の世界にふける私に、あさみは体を起こし訊ねた。眉間にしわを寄せて。
「沙優ちゃん、恋人になった今でも吉田さんのこと吉田さん呼びだよね。それってなんか変じゃない? 距離が遠いというか......もしかして、二人っきりの時は名前呼びだったり?」
「ううん。二人っきりの時も吉田さん呼び」
「ベッドの上でも?」
「あさみ」
「すいません。調子に乗りました」
唇を結んであさみは頭を下げた。
「なんでまた?」
「えーとね......上手く言えないんだけど......吉田さんは吉田さんだから......かな」
あさみが疑問に思うのも無理はない。
お父さんみたいな人で、恩人で、そして――将来を誓いあった恋人。
関係や意味は変わっても、私にとって吉田さんが吉田さんであることに変わりはないのだ。
名前で呼ぶ方が逆に彼との距離を感じてしまい、付き合って三ヶ月が経った今も呼び方はそのまま。
吉田さん的にも、私に名前で呼ばれるのはこそばゆくてたまらないらしいので、お互い様だったりする。
せめて私も正式に『吉田さん』になるまでは、今の呼び方を続けたい。
「ほうほう。二人にしか伝わらない何かがあるってことですか。付き合ってもしっかり恋してるね、沙優ちゃん」
「私よりあさみの方は最近どうなの。先輩様」
「あーダメダメ! 新入生も相変わらずお子様な連中ばっかりで話にならない。それに言ってるでしょ、私はまず恋人よりも小説のコンテストでの入賞が最優先! 大学卒業までに少しでも良い結果を残して、実家を出る口実にしなきゃいけないんだから」
腕を組み、ブンブンと音が聴こえてきそうなくらいに顔を横に大きく振るあさみ。
鼻息荒く告げた彼女も、吉田さんに淡い想いを抱いていた。
でなければいくら私に情報提供するためとはいえ、二年間もここに通わないはず。
神田さんも言っていたが、吉田さんは油断するとすぐ誰かに好かれしまうタイプだという例が、親友で実証されてしまった。難儀な人だ。
まぁ、吉田さんが魅力的な人だというのは、彼女の私が一番に感じている。そこは譲れない。
「来月の始めには夏の新作が一本書き上がるから。吉田さんに楽しみにしておいてって言っといて」
「うん。私も楽しみにしてるね。今度は恋愛モノを書いてるんだっけ?」
「そっ。これまでファンタジー系の物語しか書いてこなかったんだけど、自分の可能性を広げるためには、他ジャンルに手をつけてみるのもありかなーってさ」
アイスコーヒーの入ったグラスを見つめるあさみの視線は熱い。
北海道に帰り、生まれて初めて『夢』という名の将来の目標を得て、あさみの気持ちがわかった気がした。
夢を持つと、人は強くなれる。
どれだけ苦しく辛い状況に置かれていても、
『また会いたい』
『大人になった私を見てもらいたい』
どれだけその想いに支えらてきたことか。
私の場合、それに『恋』も含まれていたから効果は二倍。いやもっとかも。
「いいと思うよ。刺激、大事だし」
「沙優ちゃんもたまには大胆なのを身に着けてみるのも、誰かさんが喜んでいいんじゃない?」
「......? 夢の話......だよね?」
頭の上に疑問符を浮かべ首を傾げる私を、あさみは不敵に微笑む。
あれ? これってもしかして......。
「残念。夜の営みの話でした」
「あーさーみー!」
「ちょっ! 沙優ちゃんストップ! 頭グリグリはやめて! 地味に痛いから!」
国民的アニメの有名な5歳児を叱る母親みたいに、親友の左右のこめかみへと拳を押し当て回す。
あさみの悲鳴は、外から聴こえるセミの鳴き声をかき消すほど大きく、騒がしかった。
吉田さんと結ばれても、私の恋は――夢は終わらない。
結婚して、それこそしわしわのお婆ちゃんになっても、私は永遠に吉田さんに恋をし続けていると思う。
そうなれたらいいなぁ――。
◇
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