#5【なれそめ】
桃歌は見える人だった。
それ故に、家族を亡くしたこと以外でも孤独だった。
僕と桃歌は出会ったというよりも、周囲から二人だけ取り残されたという表現の方が近い。
大学では僕も浮いていたから。
狭いコミュニティの、しかも特殊な環境で育ったせいで、こんなにも常識が異なるのかと思うことばかりで。
それに軽い女性恐怖症になっていた、というのもある。
最初に声をかけてくれたのは桃歌の方からだった。
僕の落とし物を拾ってくれて。
警戒していた僕に、桃歌が言ってくれた言葉を今でも覚えている。
「彼女さんのいらっしゃる方に、そんなつもりはないですよ」
僕は桃歌の視線の先を追った――そこには誰も居ない。
思わず聞き返してしまった。
「彼女なんて居ませんが……ちなみに、どんな人が……?」
桃歌の言った特徴は全て愛生穂に当てはまった。それなのに桃歌は自分の勘違いだと謝ってきて、すぐに離れようとした。
いつもだったらそのまま離れてゆくのを見送っていただろうけど、そのときの僕は、桃歌に対して不審を感じるよりも、もしかして愛生穂がここまで追いかけて来たのかもという恐怖の方が強くて桃歌を呼び止めた。
もう少し詳しく聞かせてください、と。
夕暮れの近い空き教室に二人、僕らは随分と長く話し込んだ。
僕にリアルな女性がつきまとっているのではなく、彼女だけに見えるモノ――つまり愛生穂の生き霊なのだろうと。
生き霊はタチが悪く、お祓いに行って祓えたとしても、死霊と違ってまた新しいのが憑いてくることがあると。
どうしたらいいですか、という僕の問に、桃歌は優しい笑顔で「健康な生活をすること、それから忘れること」と言った。
確かに僕の生活は歪んでいた。
愛生穂に見張られている気がして、夜は部屋の電気を消していた。
それでも寝られなくて、昼間、多くの人に囲まれた講義中に睡魔に襲われて。
初めてで突然の一人暮らしだったから、食事の方もいい加減だった。
一応自炊をしていたつもりだったが、桃歌に言わせてみれば栄養バランスが最悪だと。
食欲もあまり湧かなかったし。
桃歌は熱心にいろいろ教えてくれた。
眠れないときによく効くお香とか、簡単な自炊メニューとか。
決して弾む話ではなかったけれど、桃歌の言葉はどれもなんだか優しくて、僕に深く沁みた。
それからは事あるごとに桃歌に質問していた気がする。
桃歌と話している間は、愛生穂のことを忘れていられると気づいたのも、一緒にいられる時間を多く取ろうとした理由の一つだった。
やがて実際に料理を作りに来てくれるようになり、僕自身も料理の楽しさに気づいて今度は桃歌をもてなすための料理を作ったりして。
二人で過ごす時間が長くなるにつれ、僕は自然と桃歌に惹かれていった。
真っ当な、人らしい恋愛だった。
僕らは「残り物の二人」ではなく、互いに一緒にいることを選び、そのうち桃歌の穏やかな優しさが、それでも芯は強いところが、僕の支えになっていった。
愛生穂の死を聞かされたときも、桃歌がずっとそばに居てくれたおかげで恐怖を乗り越えられた。
多分、それからだと思う。桃歌が僕と一緒に住むようになってくれたのは。
桃歌と二人で過ごす日々は毎日が贈り物をもらっているようだった。
そんな数多の贈り物の中でただ一つだけ、あまり歓迎したくないものが霊感というやつだった。
霊感は、カメラのフォーカスやラジオのチューニングに似ている。
普通の日常では見たり聞こえたりしないものが、フォーカスやチューニングが合ってしまうと感じることができてしまう。
見えない人というのは、そのフォーカスやチューニングを動かす方法がわからないのだが、そういうことができる人と一緒に居ると、なんとなくそういうことができるようになってしまう場合がある、らしい。
少なくとも僕はなってしまった。
勝手に「合ってしまう」。
「合ってしまった」ときはもう「合ってないフリ」をするしかない。
それが最初のうちは大変だった。
でも桃歌がずっと僕の手を握ってくれて、「合ってしまったモノ」から気を逸らしてくれて、それでなんとかやってこれた。
僕が今、手綱を引いていない方の手をぎゅっと握り込んでいるのは、桃歌の手を思い出しているから。
見ないフリ、聞こえないフリをしながら、ようやく野辺の渡り橋を四半分めまで渡り切る。
まだ橋は終わっていないのだが、橋のこの付近の下は川から河原へと変わる場所。
これより先は「野辺」扱いなのだ。
だから野辺送りに参加している参列者も、『もくべさん』でさえも、ここから先へは立ち入らない。
ここから向こうへと踏み入るのは、『おくりもん』か、何も知らない外部の人間だけ。
野辺側の橋のたもとは桜並木の土手となっていて桜の季節は本当にもう見事なのだが、それでもあの土手に足を踏み入れて花見をする者は見たことがない。
皆、橋は渡らず、川の此方側から眺めるだけ。
立ち並ぶ桜並木と、その向こうに桜を描いたキャンバスのように白く立ちはだかる御曽木堂の壁とを。
その壁がぐんぐんと近づいてくる。
やがて橋が終わる一歩手前にて立ち止まった。
「野辺ーのー渡ーりー橋ー、渡ーりーそーろー」
実際にはこれからの一歩で渡りきるのだが、橋の中ほどまで戻っているはずの参列者の皆様に聞こえるよう、渡りきる直前に言う決まりだから。
そして一歩。
僕は野辺に踏み入れた。
その途端、今までに感じたことのない寒気、それから腐臭。
御曽木堂の初期安置場は遺灰や遺骨ではなく遺体を安置しているとのことだが、増築する際に入り口部分はそのまま、もう何重にも閉じられた扉の向こうであり、何度も入っている最新の安置場でこのような腐臭を嗅いだことがない。
「当代」
先々代の言葉で足が止まっていたことに気付く。
儀式の途中で「返してはならぬ」のには
意を決して前へと進む。
送り車の出す音が変わる。
柔らかい草をかき分ける音に。
野辺は舗装が一切なされていないのと、人がめったに歩かないのとで、道というか辺りが草に覆われているのだ。
それでも御曽木堂の周囲だけは、除草剤を
御曽木堂の白壁に近づき、馬の方向を白壁と並行に向けたときにはもう、送り車の出す音から柔らかさが消える。
寒気も腐臭の方は相変わらず。
それどころか
御曽木堂の屋根に、今までに見たことのないほど多くの烏が集まっている。
ただやけに静かなのが不自然すぎて気味が悪い。いや既にこの量の烏自体も不自然すぎてはいるのだけど。
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