#3【さきぶれ】
東の旗二本を玄関の内側へと立てかけてから草履を履く。
なぜ靴じゃなく草履なのかというと、野辺帰りで死上げ部屋へと入ったあと、履物を燃やすことになっているからだ。
改めて気を引き締め、母屋へ再び一礼すると匣鞍だけを持ち、いったん外へ。
「当代、遅かったな」
先々代が既に馬の準備を終え、手綱を持って待っていた。
送り車も馬に繋いである。
送り車とは、畳よりも若干細長い
全て樟と麻紐のみで作られており、釘も使っていなれければ、車輪にもゴムなどのクッション材は使用していない。
「急ぎます」
「焦るな。とにかく丁寧にやれ」
「はい」
普段は優しい口調の祖父だが、儀式のある日だけは先々代としてとにかく厳しくなる。互いの名前を呼ばないからこそ、余計にそう感じるのかもしれないが。
焦るなとは言われたが、急がなくともよいとは言われていない。
集中して準備を進める。
馬への礼から始まり匣鞍の取り付け、再び礼をしてから母屋の玄関へと戻り、礼をして中へ。二本の旗を持ち礼をしてから外へ。礼をしてから旗を匣鞍へと取り付け、礼をして下がる。
あとは死華の入ったビニール袋と、松明を入れたバケツ。そして傘。
傘はビーチパラソルくらいの大きさがある。
雨の場合は松明の火が消えないよう覆うのでそれだけの長さがあるのだが、今日の天気は薄曇りで本来の用途としては必要ない。
だが、最近は天気に関係なく必要なのだ。いやむしろ雨の日でない方が。
これらを持った後は礼をして外へ出て、再び礼をしてからしっかりと施錠する――そのとき、先々代の声が背中に届いた。
「傘は俺が持つ」
先々代へ傘を手渡すと、礼をしてから送り車に死華と松明とを乗せる。
ただし、今度の礼は送り車ではなく馬へ。
送り車の柱の一本にバケツを引っ掛け、別の柱に死華の入った袋も結びつけ、再び馬へと礼をする。
こうして何度も礼をするのは、馬が人よりも位が高いと周囲に思わせることで、何かが憑こうとしたときに馬ではなく人の方へと向かうため、と先々代には聞いている。
うちの野辺送りでは、故人の親族は棺を――今は骨壷を、送り車に乗せて以降は決して触れてはいけないルールだ。
棺だった時代は送り車を引く馬に何かあったりすると、とんでもなく大変なことになるから馬は本当に大切なのだ。
「遅れているぞ。早く行け」
先々代の声にも焦りを感じたから、僕は馬の手綱を握り、火葬場へと出発した。
火葬場から送りまでの流れは順調だった。
名帖へ故人名を書いた紙を貼り付け、飯鉢に小豆と白米とをよそっていただき、骨壷を包み布で巻いたものを送り車の中央へと安置する。
僕がその儀式を執り行っている間、遺族の方々には死華を各々の服に取り付けてもらう。
ここで『もくべさん』も合流する。
『もくべさん』は、『おくりもん』同様に、この地域ならではの特化した職業。
匣鞍も名帖も飯鉢も送り車も境橋も全て『もくべさん』が作ってくださる。
儀式中、儀式に使うものに何かあった場合に備えて、胸には死華をつけ、送り車と共にご同行してくださる。
ちなみに、『もくべさん』は『おくりもん』とは異なり、地域の人との婚姻が許されている。
松明に火を点け、送り車の松明台へと取り付ける。もちろん各所にて馬への礼を忘れてはいない。
パチパチと松脂が爆ぜる音と香油の香りが辺りに広がってゆく。
この一度点けた松明の火は、野辺に着くまでは絶対に絶やしてはいけないので、神経を使う。
今日は雨も風もないのでありがたい。
風雨は参列者から死華を取り上げることもあるので、本当にありがたい。
その参列者の皆様方も、送り車の後ろに二列縦隊にて並び終える。もう全員、死華を付けたということだろう。
そろそろかな。
「野辺ー送ーりーまいーろーうぞー」
天へ向かって呼びかけ、野辺送りがとうとう始まる。
この呼びかけは、当代の仕事の一つ。
『おくりもん』は儀式中、参列者や『もくべさん』へ直接声をかけてはいけないことになっている。
何か伝えたいことがある場合は天へと向かって呼びかけ、それを勝手に聞いた人たちが勝手に行動する、という
手綱を引くと、馬も歩き始める。
送り車の出すガラガラという音だけが響く。
「野辺」までの道すがらにある民家は軒並み雨戸を閉め、今日はこの道を走る車もほとんど見かけない。
音を出すことは生きている証であり、死者に存在を知らせてしまうこと、というのを理解しているから。
送り車の車輪が木製なのは大きな音を出すためで、周囲でうっかり音を出された場合でもこちらへ引き付けるためだ。
時折、空を見上げるが、雨の気配はない。
儀式を行う当代は後ろを振り返ってはならないため、足音だけで皆がついてきているかを判断しなければならない。
今日は参列者に子供が居なかったから、それほどゆっくり歩かなくとも問題はないだろう。
あとはこっちについても問題が置きなければいいが――この、僕の周囲にぺたぺたと裸足の足音を立てている幾つもの、足首から下だけの影たちについても。
ちょっと前まではこんなことはなかった。
僕は元々見えるほうではなかったし、そもそも『おくりもん』だって継ぐつもりはなかったし。
それどころかこの地元を離れて遠くの大学へと進学し、桃歌と出会い、そのままそっちで就職した。
桃歌のご家族はもう既に皆さん他界されていたし、うちの家族の勧めもあり、大学を出てすぐ結婚式も二人だけでひっそりと済ませた。
この地元のことを忘れて新しい生活の中に人生を埋もれさせてゆく予定だった。
先代の死を知らされるまでは。
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