第17話:演説と実家カレー

 ルイナ村の広場に竈門かまどを作り、羽釜を乗せている。

 前に炊飯器の魔道具を作ったんだけど、外で食べる時にはこっちの方が美味しい気がしている。

 竈門の横には寸胴の鍋が置いてあって、たくさんの野菜と肉が煮込まれている。


 実家にいた頃、カレーといえば豚肉だった。

 外食では牛肉や鶏肉もあったけど、家で出てくるのは豚肉だった。


 たくさんの玉ねぎとにんじんとジャガイモが入っていて、切り方なんて揃っていないんだけど、そんな気取らなさがむしろ良かったのだと今なら分かる。


 今日は元の世界でありふれていた「普通のカレー」を作っている。

 ここに来るまでにいろいろな街を見てきたけれど、どの街でもカレーの店が多かった。スパイスの供給量が少ないせいもあると思うけれど、それぞれが個性的だった。


 味わったことのないカレーを食べられるから嬉しいんだけど、やっぱり最高なのは実家のカレーだと僕は信じている。


 鍋を火からおろして、ルーを投入する。

 このルーはさっき僕がスパイスを薬研やげんで挽いてから小麦と共に炒めたものだ。中毒成分は除いていない。


 ルーを入れるとカレーの暴力的な香りが広がって行く。

 さっきまではエレノア、ソフィア、ペトロニーア、ルシアンヌなど身内しかいなかったけれど、段々と村人達が集まってきている。


 僕が再現に最も苦労したカレー。

 技術の粋を集めて作った渾身のカレー。

 皇国の皇女殿下を一口でスパイスの沼に引き摺り込んだカレーをここにいる全ての人に叩き込もうと思う。




 カレー依存症の発作は中毒成分を摂取したいのに得られないことによるストレスが原因だと思っている。僕に知識がもう少しあったら【鑑定】スキルで詳細に調べられたのだろうけど、残念ながら依存症のことなんて勉強したことがない。


 でも原因がわからないからといって対処しなければ、仲間達が戦場で発作に襲われる恐れがある。そこで僕は中毒成分を摂取してもらうことで発作を解消するという単純な方法を取ることにした。


「そろそろできるから待って」


 さっきからペトロニーアが何度も鍋のフタを取ろうとしてくるけど、もう少し待った方が美味しくなると分かっているので制止している。


 エレノアやソフィアは行動こそ起こしていないが、口の端から涎が垂れそうになっている。国を代表する淑女だとは思えない様子だ。


 道中でもカレーを食べていたけれど、ここまでの様子になることはなかった。症状が進んでくると本能的にこれが本物だと分かるのかもしれない。


 神聖国や帝国でも中毒成分の有無に気づいていた人がいるようだし、執念や狂気のようなものを感じてしまう。


「⋯⋯よし。できた」


 ご飯も炊けたし、カレーの煮込み具合もちょうど良い。とてもうまくできた気がする。


「じゃあ、カレーを配っていくぞ!」


 そう言った瞬間、エレノア、ソフィア、ペトロニーア、ルシアンヌの四人が凄まじい早さで皿を手に取り、お米を盛った。


「早くカレーをかけて!」


 エレノアがもどかしさを隠すことなくせがんでくる。

 僕は大きなお玉でカレーをすくい、エレノアが持っているお皿にたくさんかけてあげた。


「やったぁ!」


 エレノアは少女みたいな笑みで喜び、カレーを食べに机に走って行った。

 他の三人もあとから続いてくる。

 あれからソフィアとはあんまり話していないけれど、変な雰囲気はない。


 いまはひとまず戦いに集中しようと思っているけれど、聖女ソフィアの純潔を奪ってしまったことの重さは分かっているので結婚を申し込むことになるだろう。




 カレーを食べた人たちの反応はさまざまだった。

 エレノアやソフィアは恍惚とした表情を浮かべていて、周りの人もカレーに夢中でなかったら見せられないような顔だった。


 ペトロニーアは相変わらず無表情に見えたけれど顔は少し赤くなっていたし、無駄に衣服をはだけさせていた。


 ルシアンヌは感涙にむせびながらも瞬時にカレーを平らげるという離れ業を見せていた。こっそり列に並び、三回お代わりしたのに気づいたけれど僕は何も言わなかった。


 他にも騎士団や魔法団の団員達、そして村の人たちもさまざまな反応を示していた。

 今日作った量では全ての村人にカレーが行き渡らず、食いっぱぐれた人たちはすごい形相で虚空を見つめていた。


 危ない予感がするので明日と明後日もカレーを作り、村人たちのご機嫌を伺う予定だ。





 三日間カレーを作り続け、僕たちはついに前線に出る日を迎えた。


「ユウト、本当にあれで良かったの?」


「あぁ、あれで良いよ。エレノアは作戦に不備があると思っているの?」


「そういうわけじゃないわ。でも私はユウトが心配なの。戦いについていけるわけじゃないし⋯⋯」


 僕たちはいまルイナ村の前で出発の準備を整えている。

 夜はまだ明けておらず暗い。


 エレノアには立場があるのでここでお別れだ。彼女は戦地から離れたところで待機することになる。

 ソフィアも前線には出ないが後方で治療活動を行うと聞いた。


 僕たちはこれから静かに兵を進め、森に潜伏する予定だ。

 エレノアの推測では最短で明後日には大規模な軍の衝突が起こるため、その前に身を潜めなければならない。


「両国とも万全な態勢とは言えないけれど、おそらく早まきに戦いに踏み切ることになると思うわ。これまでのことを考えると戦いを前にした兵士たちを止められるとは思わないから」


「まぁそうだろうな。でも、だからこそエレノアの作戦はうまくいくと僕は思っているよ」


「もし作戦がうまくいったら、それは神の力を借りたからよ。私の力ではないわ」


 謙遜することないんだけどなぁと思ったけれど、ここで否定する必要はないので何も言わなかった。




 僕とエレノアの話が落ち着いたのを見て、ルシアンヌが静かに言った。


「ユウト、出発の時間だ」


 ルシアンヌからはここで出発の演説をするように言われている。

 夜なので大きな声は出せないし、僕は嫌だといったのだけれど、ルシアンヌはどうしても必要だと言って聞かなかった。


 演説することが決まってからも何を言えば良いのか分からなかったのだけれど、いざみんなの前に立ってみると話す言葉が浮かんでくる。


「⋯⋯いま僕たちは歴史の転換点にいる」


 帝国と神聖国は大国だ。この二つの国の戦いが激化すれば歴史の流れは大きく変わるだろう。

 だけど僕が言いたいのはそういうことじゃない。


「すでにフェランドレン帝国と神聖シオネル王国の戦いは始まっていて、少なくない犠牲者が出ている。事態をこのまま放置すれば両者の因縁は深まり、さらに多くの命が犠牲になるだろう」


 辺りは静かなので小さい声でもよく通る。


「両国の戦力は大きい。どちらもできる限りの戦力をこの地に集めていて、過去に類を見ないほどの大きな戦いになる兆しが見えている。僕たちはそんな戦争をこれから止めようとしているんだ」


 みんなの身体は強張り、口が真一文字に結ばれている。


「状況は良くない。両国合わせて十五万人の兵を僕たちはたった十一人で止めようとしているんだからね。もし失敗したら後世の歴史家は僕たちを笑うだろう。それくらい無謀なことを僕は計画したんだ」


 十人の仲間達、一人一人と目を合わせるとみんな難しい顔をしていた。

 改めて客観的に状況を見ると絶望的に思えてくるだろう。だから本心を伝えたい。


「⋯⋯だけど、僕は戦争を止められると確信している。ここにいるのは精鋭で、一人一人が一軍に匹敵すると言われる猛者達ばかりだ。作戦を立てたのは大陸一の才女で、祝福を与えるのは神に最も愛された聖女だ」


 身体がどんどん熱くなっていくのが分かる。

 僕の信念をみんなに伝えたいと思うほど、僕の声は拍子を得て語気が強くなっていく。


「いま僕たちは歴史の転換点にいる! 後世に伝わる歴史は『大戦の勃発』じゃない。たった十一人の英雄による『戦争の停止』だ。僕たちは持っている力を全て発揮して、あいつらに見せつける必要がある。僕らと戦っても敵うはずがないと奴らに理解させる必要がある」


 さきほどまで強張っていたみんなの顔が今は少しだけ緩んでいるように見える。


「歴史を変えるのは僕たちだ。平和な未来を勝ち取ろう!」


 僕が拳を天に突き上げると全員が同じように拳を突き上げた。

 誰も声は出さなかったけれど、肌を刺すような覇気が辺りに満ちていた。

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