第10話:決意
エレノアと話をした次の日、僕はペトロニーアと一緒にスパイス生産拠点の視察に来ていた。
想像以上にスパイスの価値が高まっているようなので、この場所の防備を改めて確認したくなったのだ。
「言ったでしょ? ここは魔道具で固めた方が良いって」
「あの時はペトロニーアが大袈裟なことを言ってるって思ったけれど、言うことを聞いておいて良かったよ」
初期投資は安い方が良いと思っていたので、スパイス生産場は適当に柵で囲って小屋を建てれば良いと以前僕は言っていた。
しかしペトロニーアを始めとしてみんなに反対されたことで今では軍事拠点と称しても大袈裟でないほどの防備で固められている。
カレーを失うことには何の問題もない。けれどここが狙いやすい場所だと思われると王都の人たちに迷惑をかけることになるだろう。
「でも、杞憂だったみたいだね」
「そりゃあね」
この拠点に設置されているのは最新鋭の魔道具で、そんじょそこらの戦力では近づくことすらできなさそうだった。
加えて、いつのまにか防衛隊が結成されて敷地内を徘徊していた。彼らの士気は異様に高く、隊長は崇めるような目を僕に向けて来た。
拠点内でさまざまな人に引き合わされながら僕は最近の情勢を振り返っていた。
カレーから中毒成分を除けば問題は解決すると思っていたけれど、精神症状は消えず多くの人が発作を起こしている。
その事態の対処法を考えていると、今度は帝国と神聖国の間で戦争が起きそうだという話が出てきた。
彼らは本当にカレーを欲しているのかもしれないけれど、依存症の発作のせいで思考が短絡的になっている可能性もあると僕は思っている。
「そんなことを予見できる訳ないよな⋯⋯」
ペトロニーアに聞こえないように僕は言った。
カレーを作っただけでこんな事態になるなんて分かるわけがない。元の世界では麻薬を巡って戦争が起きたと勉強したけれど、背景にはさまざまな要因があって最終的に戦争になってしまったんだと習った気がする。
決してここまでシンプルな情勢ではなかったはずだ。
「カレー戦争が始まってしまった⋯⋯」
僕はため息を吐いた。
カレーを作ったのは僕だけど、こうなったのは僕のせいじゃないと思う。
⋯⋯でも、この世界に生きる者として戦争を止めるために動く必要があるんじゃないかとずっと考えている。
「ユウト?」
上の空だったのでペトロニーアが声をかけてきた。さりげなく僕の腕に抱きついて控えめな胸を押し付けてくる。
真面目なことを考えていたのにその柔らかさが僕を惑わせる。
「きょ、拠点のことはよく分かったよ。王城に戻って情報を集めよう。こんな事態になってしまったけれど僕は出来るだけ被害を減らしたいんだ」
「⋯⋯ユウトはすごいね。勝手に始めたケンカなんだから放っておけば良いとボクは思うけどね」
ペトロニーアは感心しているけど、彼女が言うほど僕は殊勝な男じゃない。
元の世界での教育の影響なのか、どうしても戦争に反応してしまうのだ。もちろんカレーが原因だと言われればその感情は強くなる。
元の世界でダイナマイトを開発した偉人もそれが兵器利用されてしまったことで酷く胸を痛めたという話を聞いたことがある。
今の僕はその人と似た気持ちになっているかもしれない。
作ろっかな平和賞⋯⋯。
そんなことを考えているとペトロニーアの胸の押し付けが強くなった。
「ユウト、本当に大丈夫? ユウトは悪くないんだよ?」
「そうだとしても僕は気になって仕方がないんだ⋯⋯。ペトロニーア、どうにかできないかな?」
「多分だけど、ひとつだけこの状況を大きく変える方法があるよ」
思わずペトロニーアの顔を見ると、彼女が言うのを逡巡しているのに気がついた。
もしそんな方法があるのなら僕は知りたい。
「お願いだから教えてくれないか? そうしないと前に進めない気がするんだ」
懇願するとペトロニーアは眉を歪ませてしばし考えてから口を開いた。
「⋯⋯ユウトが動くんだよ。ボクたちにはもうどうすることもできないけれど、神の遣いであるユウトだったらこの状況を変えられるかもしれない」
「僕が?」
「うん。ユウトが直接働きかければ情勢は大きく変わると思う。だってユウトの行動は神の意志を表しているんだから。でもそのためにはユウトが前線に行かなくちゃいけないと思う」
「そっか⋯⋯。そうすれば良いんだ」
ペトロニーアの言葉を聞いてパッと視界が開けたように感じた。
なぜそんな簡単なことに気づかなかったのだろうか。
どうにかしたいのは僕なんだから自分で動けば良かったのだ。
「でもね、ボク達はユウトに無理をして欲しくないんだ。ユウトはいつもみんなのためを思って動くけど、自分のことは顧みないからさ⋯⋯」
「僕はそんなに良い人間ではないよ。いつも保身のことを考えて、みんなの期待を裏切るんじゃないかって不安で仕方がない。そんなくだらない人間なんだよ」
ペトロニーアはそう言った僕の首に腕を回し、僕の顔を胸に押し付けた。
「ユウト⋯⋯。ユウトはくだらない人間なんかじゃないよ。ボクもエレノア様もソフィア様もユウトに会えて良かったって思っているんだ。キミに会うことが出来なかったらボクは今もまだ暗い部屋の中で誰にも認められない研究を続けていたに違いないんだから⋯⋯」
あまりの柔らかさと良い匂いにクラクラしてきて、ペトロニーアの言葉が頭に入ってこない。
「もし前線に行くんだったら絶対にボクに声をかけてよね。ボクの魔法でユウトを守ってあげるから!」
蠱惑的な刺激に包まれながら僕は被害を最小限に食い止めるために動くことを決意した。
◆
その日の夜、僕はエレノアの部屋で決意を伝えていた。
「エレノア、僕は前線に行くことにしたよ」
「⋯⋯ペトロニーアと話したのね」
「僕がそうするのが良いってエレノアも気づいていたんだよね?」
「そうね。だけど私はユウトに動いて欲しくなかったの。戦争の流れを変えるためにはユウトが前に出るのが有効だとは思っていたけれど、多分あなたを傷つける結果になると思ったから言わなかったわ」
エレノアの言うことは多分正しいのだと思う。
僕は人を殺したことがないし、人が死ぬ姿を極力見ないようにしてきた。
だけど、そんなことを理由にたくさんの人が死ぬ状況から目を背けるわけにはいかない。
「⋯⋯確かに僕は傷つくかもしれない。でも居ても立ってもいられないんだ。僕が広めたカレーが原因で多くの人が死んでしまうかもしれない。その事態を避けるために僕は勇気を出したいと思ったんだ」
「分かっているわ。ユウトの勇敢なところが私は好きだもの。だけど初めて出会った時に私の護衛が死んでいるのを見て、青ざめた顔をしたユウトのことが忘れられないの⋯⋯。強大な力を持ちながらも繊細な優しさを持っている人だと思ったわ」
「あの頃から僕の本質は変わっちゃいないと思う。できることは増えたけれど、やっぱり弱いままだから」
「私は心配なの。力は疑っていないけれど、それ以外のところが⋯⋯」
エレノアは眉尻を下げて僕に訴える。
そんな顔をして欲しくないと思ってしまうけれど、だからこそ言いたいことがある。
「エレノア、君の言うように僕は強くないんだ。だけど今回の戦争をなんとかしたいと思っている。だから力を貸してくれないか? 僕がへこたれていたら君に支えてほしいし、策に窮したら君の知恵を授けてほしい」
「ユウト⋯⋯」
僕はエレノアの手を取った。
そして頭をゆっくりと下げてもう一度くり返す。
「エレノア、大陸一の才女と言われた君の力を貸してくれ。そうしたら僕はなんでもできる気持ちになるんだ⋯⋯。これまでだってそうだった。さまざまな困難を乗り越えられてきたのは君が隣にいたからなんだ。今回も僕を助けてくれないか?」
エレノアはじっとりと目を合わせたあとでゆっくりと息を吐いた。
一度俯いたあとで目尻に涙をためて言った。
「⋯⋯分かったわ。だけど無理はしないでね?」
「うん! ありがとう、エレノア!」
僕がそう言うとエレノアは何も言わずに目を瞑って唇を突き出した。
それを見た僕はエレノアを抱き寄せて、今日はいっぱい喜ばせようと心に決めた。
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