第36話 サーカス:人を誘う楽しい笛の音色
郊外の広場に設けられた派手な色の大きなサーカステント。音楽が鳴り、道化師がチラシを配っている。テントの周りにはずらりと屋台が並び、まるでお祭りのような賑やかさだった。
そして、楽し気な人々が行き交うのに混じって、ユイト、ライト、コウキ、そしてリコの四人がいた。
食べ物の屋台を覗きながら「あっ!アレ、旨そう」とライトは買い食いに走る。
もちろん、リコも周りの屋台に興味津々だ。もっとも、彼女の興味を引くのは装飾品や雑貨を売っている店で、可愛らしいモチーフのアクセサリーに目を奪われていた。それをコウキが注意する。
「リコ、はぐれるなよ」
「はぐれないわ。子ども扱いしないでよ」
「いや、子供だろう」
やれやれと肩をすくめながら、コウキはリコに「欲しいものがあるのか」と尋ねて、お目当てのものを買ってやっていた。
三者三様に、この場の雰囲気を楽しんでいる様子だった。
一方、ユイトはというと……
「……」
逆行して以来、休日もエニグマ退治に
【なんだよ。楽しくないのか?】
ソウが尋ねると、「そういうわけじゃないけれど…」と何とも煮え切れない返事をするユイト。
断り切れず付いてきてしまったが、こんな余暇を楽しむような時間はあるのかと自問自答してしまう。いったい何のために己は過去に戻ってきたのか。罪悪感のようなものがユイトの胸中にあった。
【せっかくなんだから今日くらい楽しめよ。あまり根を詰めていると、体がもたねぇぞ】
「ソウ……」
【なんだよ】
「ボクのこと心配してくれているの?」
【なっ!?誰がお前の心配なんて】
まくしたてるように否定の言葉を口にするソウだったが、ユイトはたちまち笑顔になった。嬉しそうに「そうだね。気分転換も必要だね」と頷く。
【だから!俺様はお前の心配なんて……って、話を聞けよ!】
そして、ユイトはコウキたちと共に、サーカスのテントへ入っていった。
*
テントの中はぎっしりとお客が入っていて、座席は超満員だった。外の混雑から分かっていたが、このサーカスはかなり人気のようだ。先ほどのソウの言葉も手伝って、ユイトは純粋にサーカスを楽しむことにした。
「ユイト君、楽しみだね」
隣に座るリコに頷きつつ、ユイトは開演を待つ。
やがて、華やかで力強いファンファーレと共にショーが開始した。
ユイトにとって、これは人生初のサーカスだった。前の世界線でも経験はない。
人が頭上高く張られた細い綱の上を歩いたり、飛び跳ねたりする綱渡り。
不安定なボールの上に立ちながら、道化師が器用にジャグリングをするバランス芸。
天井からぶら下がったバーを使い、宙返りや回転を披露する空中ブランコ。
それらにユイトは目を輝かせた。
【コレ、面白いのか?】
「面白い!すごいね。空中であんな風にアクロバットできるなんて」
【お前だって同じようなことをやってるじゃねぇか。チチュを使って】
「奇石の力を使うのと、使わないのじゃ違うよ」
【そういうモンか?】
続いて始まったのは獅子のショーだった。その猛獣に指示を出すのは、うら若き女性である。おそらく十代後半から二十歳くらいで、露出の高い服装をしていた。大きくスリットの入ったドレスを身に着けていて、歩くたびにその白い太ももが露≪あらわ≫になる。それを見て、鼻の下を伸ばしている男性客もいた。
サーカスの調教師は、調教用の鞭を持つことが多いが、その女性が手にしていたのは横笛だった。そして、彼女は笛を吹き始めた。
軽快で愉快な笛の音がテント内に響く。思わずこちらも動き出したくなるような、楽し気な調べだった。
すると、笛の音を聞いた獅子が動き始めた。
笛の音に合わせて座ったり歩いたり、後ろ脚で立ち上がったり。そのまま、ダンスでもしているように二足歩行で動き回る。
最後には燃えている輪をくぐり抜けていた。
獅子がこれらの芸をするとき、隣の女性は声で指示を出している様子がなかった。もちろん、鞭を激しく打つようなこともない。ただ、彼女は笛の音を奏でていただけだ。
「……」
「……」
その光景をユイトとリコは、ぼうっと眺めていた。
*
サーカスを見終わって皆と別れ、満足した気持ちでユイトは家路についた。途中、公衆浴場に寄って風呂を済ませる。
余談だが、ユイトが入るのはもちろん男風呂だ。なにせ、今のユイトは男として過ごしているからだ。今はまだ子供の体型(ソウ曰く絶壁)なので腰にタオルを巻けば問題ないが、このまま体が成長して発育すれば厄介だな、とユイトは考えている。家賃は高くても、個人風呂がついているアパートを探すべきかもしれない。
そうして身綺麗にし、帰宅するなりユイトはベッドに入った。
サーカスの人混みで疲れてしまったのか、ユイトはひどく眠かった。瞬く間に、彼女は深い眠りに落ちていく。
【おいっ!おいっ!おいって!!】
夜中、ソウが大声を張り上げていた。それに同調するように、チチュもユイトの右手でピカピカ激しく点灯点滅を繰り返す。
【おいっ!くそっ、どうなってんだ!?おいってば!!】
ソウもチチュも必死に契約者であるユイトに呼びかけるが、肝心の彼女の反応がない。ソウの声に焦りの色がにじみ始める。
そして彼は一際≪ひときわ≫大きな声でこう叫んだ。
【目を覚ませっ!ユイト!!】
「――っ!!」
それでようやくユイトが覚醒した。
「えっ?いったい、ボクは……」
いつの間にか、ユイトは部屋の中央で立っていた。
寝間着になってベッドに入ったはずなのに、外出用の服に着替えを済ませている。まるで、これからどこかへ出掛けようとしているみたいだ。
しかし、窓の外を見れば月と星が輝いていて、夜中だと分かった。夜明けまでまだまだありそうな時間帯だ。こんな時間にいったいどこへ行こうというのか。
そして、もっとも奇妙なのは――ユイトに≪≪その記憶がない≫≫ことだった。
ここはユイトが一人暮らししているアパートで、当然人間は彼女一人しかいない。つまり、ユイトは自らベッドから起きだして、服を着替えたことになる。しかし、彼女にはその記憶がまるでないのだ。
【正気に戻ったか?】
「ソウ……ボクは何をしていたの?」
呆然としながら、ユイトはソウに尋ねる。
【俺様に分かるかよ。突然、起きだしたかと思えば、服を着替え始めたんだ。どこに行くのか尋ねても、お前は一言も話さないし。しまいには、変な手紙まで書き始めやがって】
「手紙?」
【すぐ近くの机を見てみろ】
ソウの言う通りに、その机の上を見ると、一枚の紙切れがあった。
『家を出ます。探さないでください』
――と、そこには≪≪ユイト自身の筆跡で≫≫、そう書かれてあった。
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