第34話 聖女の正体:彼の本当の名は――

 イオには実力主義的な考え方を持っている。

 彼は個人の家柄や年齢、性別ではなく、仕事の成果や能力で、その人を評価していた。そして、社会はそうあるべきだとも考えていた。

 このような考え方は、彼の生い立ちに起因しているのかもしれない。

 『身代わりの聖女』として、不当な扱いを受けてきた生い立ちに――。



 宮殿内にあるイオの自室。その扉が突然開いたかと思うと、一人の女性が部屋の中に入って来た。

 銀色の真っすぐな長い髪と冷たい美貌の女性だ。年齢はすでに三十路を越えているはずだが、それよりもずっと若く見える。そして、一目でイオと血縁関係があると分かるような外見をしていた。

 ノックもせずに勝手に部屋へ入って来た無礼な相手を、イオはキッと見据えた。


「相変わらず、嫌な眼をしているわね」

「何か御用ですか?


 イオがそう口にすると、女性はあからさまに顔をしかめた。


「誰もいない所でまで、そう呼ばないでちょうだい。耳障りだわ。私にはお前など産んだ覚えなどないのだから」

「それは申し訳ありません。アイラ様」


 対外的に、イオはアイラの娘ということになっているが、それは事実と異なった。つまり、イオは名前を偽り、性別を偽り、その出自をも偽っているということになる。それもこれも、身代わりの聖女を演じるためだ。


 イオの本当の名前は『シン』という。性別は男だ。

 そして、シンの母親はアイラの双子の姉、今は亡きセイラだった。

 一方、アイラにも娘がいる。彼女こそが本物のイオであり、シンはその身代わり役を果たしているのだ。


 シンと従妹に当たるイオは、母親が一卵性双生児であることもあって、非常に容姿が似ている。そしてシンと同様、本物のイオにも膨大な霊力があり、聖女たる資質を持ち合わせていた。

 しかし、彼女には欠点があった。身体が弱かったのだ。

 とてもじゃないが、結界の維持という過酷な役割を果たせるような体力を、本物のイオは持ち合わせていなかった。


 シンの祖父が当主を務めるカンナギ家は、コハク国の中でも有数の名家である。過去には聖女を何人も輩出していたが、近年はカンナギ家から聖女になり得るような女児は現れなかった。

 そこにやっと聖女の可能性を持つイオが生まれた。

 聖女はコハク国の国家元首的存在であり、スーノ聖教会の頂点トップだ。もちろん、その生家は国内外で大きな影響力を持つようになる。

 転がり込んできた好機チャンスをみすみす見逃すことができないカンナギ家の者たちは考えた。


――イオが成長して体が丈夫になるまでの間、シンをその身代わりにできないか?


 聖女というのは、名前の通り『女』しかなれない。シンは男だ。しかし、彼は母親そっくりの美貌を持ち、少女でも十分通用する容姿をしていた。おまけに本物のイオにも非常に似ている。

 さらに、シンにはイオ以上の膨大な霊力があった。


 この大人たちの危うい計画を、断れるような立場にシンはなかった。

 彼の母親セイラはすでに亡くなっていたし、父親もいない。シンは、セイラがカンナギ家を嫌って出奔した後、一人で産んだ子供だった。母の死後はカンナギ家に引き取られ、そこで一族の鼻つまみ者としてシンは育てられていた。


 そうして、シンはイオの身代わりとなった。

 名前を偽り、性別を偽って、彼はニセモノの聖女となったのだ。


 これはカンナギ家だけの秘密であり、枢機卿をはじめとした有力者たちに知られるわけにはいかない極秘事項だった。

 万が一、シンが男だとバレたら、カンナギ家がどのような罰を受けるか分からない。最悪、スーノ聖教会からの破門や一族の国外追放もあり得る。

 そのため、シンはできる限り身の回りの世話をする侍女をつけず、自らの体を隠した。そして、男らしい体にならないよう栄養を制限して、その成長を遅らせていたのだった。


 シンにとって聖女を務めることは『義務』だった。

 他に選べる道などなく、逃れることのできないもの。もし、身代わりになることを拒めば、カンナギの一族は問答無用で彼を排除しただろう。

 だから、生きるために淡々とシンは聖女の役割を果たしていた。時に、いったい自分は何のために生まれてきたのか。そう疑問を抱きながら。

 そこに『聖女として国や国民を守りたい』という崇高な想いはない。このような者は、およそ聖女にふさわしくはないだろうとシンは考える。


 一方で、たとえニセモノであっても、現実問題として聖女の仕事をこなしているのは病弱なイオではなく、シンに他ならない。だからこそ、その能力と成果は正当に評価されるべきだと彼は考えていた。

 少なくとも、軽んじられるいわれはない、と。

 しかし、アイラをはじめとするカンナギ家の者たちは「所詮しょせん、ニセモノ」とシンを侮り続けていた。



 今もそうだ。

 シンを見下ろすアイラの眼には、温かさの欠片もない。


 何をコソコソとやっているんだ――そうアイラはシンに問いかけた。


「お前が守護者たちの仕事にまで出しゃばっていること、私たちが知らないとでも?」


 アイラの語気はキツい。けれども、シンは顔色一つ変えず答えた。


「私はただ近衛隊長と世間話をしているだけです。その際に、守護者たちがたずさわっている業務を漏れ聞くだけ。コソコソとなど、何もしておりません」

「うるさいっ!お前は結界だけ維持していればいい!お前はニセモノの聖女、イオの単なる身代わりなのだから!」

「アイラ様。声が少し大きいのでは?この部屋には私たちしかおりませんが、扉の外で聞き耳を立てている者がいるやも?」


 冷静なシンの指摘に、アイラはぐっと言葉を詰まらせた。

 コホン、と彼女は咳払いする。


「とにかく、お前は余計なことしないように。イオの体も成長につれ丈夫になっています。あの子が健康になるまでの間――結界の維持だけに集中しなさい。問題は起こさないように」

「分かりました」


 シンは頭を下げると、用件は済んだのか、アイラはそのまま部屋を出て行った。バタンと乱暴に扉が閉められる。

 それを見ながら、シンは考えた。


――あの女。イオが健康になったら、私を始末する気だな。


 アイラの話では、イオは徐々に体の弱さを克服しているらしい。それが何年先になるかは分からないが、いずれイオとシンを入れ替えるつもりだろう。カンナギ家としても、男という性別のリスクを背負っているシンを避けて、いずれはイオを聖女の座に据えたいと考えるはずだ。


 シンとイオは容姿がよく似ているものの、その交代を周りの人間に全く気付かれないなんてことは不可能だ。身近な者であればあるほど、話し方や接し方で分かってしまう。

 だからカンナギ家は、シンは本物の聖女であるイオの影武者だった――とでも言い繕うだろう。あくまで、結界の維持・管理をしていたのはイオ自身だが、その身の安全性を確保するため、人前では影武者を使っていたと。

 実際問題、権力者が影武者を立てることは珍しくないから、根回しさえ怠らなければ、上手く行く算段が高い。シンの身近にいる人物――近衛隊長のカイル・ゼンナなど――は、カンナギ家を怪しむだろうから、そこはしっかり裏で手を回さなければいけないが……。

 ただ結局のところ、イオ自身に聖女の資質があることは確かだし、彼女が役割をきちんと果たせば、誰も文句は言わなくなる――そう推測された。


 結果、イオはシンが築いた地位にそのまま収まることができる。

 そして、余計な情報が漏れないよう、用済みになったシンは始末される。


 そんなことを、この齢十二歳の少年は驚くほど冷静に考えていた。


――だが、私も黙って殺されるつもりはない。


 さんざん聖女として利用された上、殺されるなんて冗談ではなかった。

 それを回避するため、シンにはカンナギ家に対抗する『力』が必要だ。

 

 アイラが懸念していたように、現在シンは守護者が抱える仕事に積極的に意見し、関わろうとしている。それは、守護者内での己の影響力を強め、カンナギ家をけん制することが目的だ。また、その他にもシンには目論見があった。

 守護者の中には、ゼンナ家、ツユリ家、キドゥイン家など名家出身の隊員たちがいる。守護者の仕事に関わることで、彼らの信頼を勝ち取り、己の味方に付けようとシンは考えていた。

 そして、シンが最も有望視しているのは、近衛隊長のカイルの出身であるゼンナ家だ。

 カイルの父親が当主を務めるゼンナ家は、カンナギ家に匹敵する名門で、現当主は枢機卿の一人でもある。ゼンナ家を味方につけることができれば、シンはカンナギ家に対抗できる力を得られるだろう。

 カイル自身、仕事に忠実で信頼できる相手であり、今のところシンは、彼と悪くない人間関係を築いていた。


――絶対に生き残ってやる。


 シンの瞳に力強く、鋭い光が宿る。

 そんな悲壮な決意と覚悟をもって、少年は今日も生きるのだった。



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