第2幕・Respect(リスペクト)の章〜⑧〜

 母親との会食には、駅の南側にあるオフィスビルの最上階に店舗を構えているビストロを予約していた。

「野菜ビストロ」という聞き慣れないジャンルの料理だが、値段やコースの内容、お店の雰囲気が気に入ったので、迷うことなく選ばせてもらったのだ。


 一度、一人暮らしのアパートに帰宅して着替えをすませたので、予約時間の5分前に到着すると、ビルの入口で母親が待っていた。


「なかなか来ないから、心配したわ! 試合が長引いたん?」


 笑いながら問いかける母に、手を合わせて謝る。


「ごめん! 勝ったあとのヒーロー・インタビューと『六甲おろし』のフルコースしてきたから……」


「まあ、楽しんできたのなら、良かったわ。こっちこそ、ドタキャンでゴメンな」


「いや、一緒に行く人も見つかったから、それは問題なかったから、気にせんといて」


 そんな会話をしながら、エレベーターで最上階に到着すると、奈緒美さんとランチを食べたパンケーキ店に負けず劣らずの小洒落た外観の店舗が目に入ってきた。


「あらまあ……こんなオシャレなお店やとは思ってなかったわ。虎太郎こたろう、なかなか良いセンスしてるやん」


 母親の一言に、「そら、どうも……」と返事をして、店に入る。

 店内は、小さめのドアからは想像できないほど広々とした開放的な雰囲気で、窓から見えるテラス席の先には、夜空が広がっていた。


 案内された席に腰を落ち着けるなり、母は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら語る。


「こういうお店には、年頃の女の子を連れてきた方が良かったんちゃう?」


「今日の昼は、キッチリ、そういう時間を取ってきたから、心配してもらわんでも大丈夫」


 澄ました表情で答えると、母親は、さっき店舗の入り口で声をあげた時よりも驚いた顔を見せる。


「おやまあ……じゃあ、今日、甲子園で野球を観てきたのも、女のヒト?」


「まあ、そうやけど……オカンの代わりに来てくれたのは、いまの職場の前任者の御子柴みこしばさんって人」


「へぇ〜、虎太郎にも、そんなヒトがねぇ……」

 

 ふたたび、ニマニマと笑みを浮かべた母の言葉をスルーし、


「中野様、ご予約いただいたコースで、よろしいでしょうか?」


という店員さんの言葉に、「お願いします」と応じる。


 スペシャルディナーの前菜には、季節の野菜と海の幸のマリアージュとホタテのグリエ(直火焼き)が提供された。

 次に運ばれてきたポタージュスープを一口すすったあと、母親はふたたび、興味深そうに質問してきた。


「料理の味も申し分ないし、今度は、そのミコシバさん? と、このお店に来てみたら? そのヒトは、どこに住んではるの?」


「御子柴さんは、この駅の北側に住んでるよ。この前、家に送って行ったから……」


「じゃあ、今日も、ミコシバさんを送ってて、あの時間になった、と?」


「いや、今日は自転車で球場に行ったから、甲子園の駅の改札で別れた」


 僕が、そう答えると、母は「アンタは……なにやってんの……」と、顔をしかめる。


「場所も近いんやし、なんで、今日も送って行かんかったの?」


「いや、そう言うけど、この店の予約時間とかあったし……」


 母親の言葉に反論するも、


「予約時間の変更くらい、電話一本でできるやろ……」


と、一言で切って捨てられた。ぐう正、いや、ぐうの音も出ない正論に、これ以上、異議を唱えるのもムダだろうとあきらめ、僕は望を口にする。


「まあ、次の機会もあるし、そのときは、気をつけるわ」


 そう答えると、


「へぇ〜、次の機会もあるんや? それは楽しみやん?」


と、こちらの気持ちをんだようにたずねてきた。

 肉親だけあって、自分の想いを察してくれるのはありがたいが、奈緒美さんと再度、野球観戦に行くには、解決しなければいけない問題があった。


「そう……楽しみではあるんやけど、御子柴さん、『また甲子園に行きたい』って言ってるねん……でも、もうチケット取るの難しくなってて……」


 僕は、母親に現状を説明する。

 自宅で着替える際に、ネット上でチケットの売買が行われるリセールサイトをいくつか調べてみたが、甲子園球場の公式戦チケットは、軒並み高額の値付けがされていた。


 もちろん、値段の問題だけでなく、転売チケットを購入するということに対しては、個人的に色々な意味で拒否感がある。

 そう考えつつ、


「最悪の場合、ネットの転売サイトでチケットを購入するしかないけど……」


と、口にすると、母はナニかを思案するように、


「試合のチケットがあれば良いの?」


しごく当然のことを聞き返してきた。僕はうなずきながら、現在の監督の口ぐせで返答する。


「そら、そうよ」


 すると、母親は、澄ました表情で、「ふ〜ん」と言いながら、おもむろに、ハンドバッグからナニかを取り出した。


「ここに、6月のロッテ戦? のチケットが2枚あるんやけど?」


 対戦チームを疑問形で口にしながら取り出されたチケット用のその封筒は、僕には光り輝いて見えた。

 ポタージュスープが冷めるのも気にせず、ポカンと口を開けながら、長方形の紙に視線を奪われていると、母は、そのプラチナチケットの入手方法を語りだした。


「今日、お昼に会ってた星野ほしのさん夫婦に、『息子と野球を観に行く予定があった』って話したら、『それは、申し訳ないからお詫びに……』って、このチケットを譲ってくれたんよ」


 その言葉を言い終わるかいなかのタイミングで、


「チケット、見せてもらっても良い?」


と、食い気味にたずねると、母は、当然といったようにうなずく。


 チケットの券面には、


 2023年度 日本生命 セ・パ交流戦

 阪神タイガース vs 千葉ロッテマリーンズ

 6月4日(日) 14:00

 SMBCシート(一塁側)

 

と、記されていた。


 母親の言葉どおり、日付は、三週間後のマリーンズ戦。

 さらに、相手チームのローテーションが予定通りなら、あの佐々木朗希ささきろうきの先発が予想される。


「貴重な機会やからな〜。お母さんも、今日の野球観戦ドタキャンしてしまったし……こんな、豪華なディナーもごちそうしてもらったからな〜! ミコシバさんと行っておいで!」


 母は、慈愛に満ちた表情で、僕が手にしているチケットを譲ってくれることを伝えてくれた。


「めっちゃ、嬉しい! ホンマにありがとう! このあとも、なにか欲しいものがあったら言って!」

 

 こちらからは、最上の感謝の言葉を伝えると、母親は、先ほどと変わらないようすで笑みを浮かべている。

 その後のディナーのコース料理が、今まで味わったことないくらい美味しく感じられたことは言うまでもないだろう。


  【本日の試合結果】

 

 阪神 対 横浜 8回戦  阪神 15ー7 横浜


 初回に佐藤の3ランで先制。一時、逆転を許すも、4回に近本のタイムリー、大山の押し出し四球、佐藤の満塁弾などで再逆転。その後も、細かく追加点を加え、21安打15得点で大勝。今シーズン初めての単独首位に立つ。

 2本のホームランで7打点を挙げた佐藤輝明は、ヒーロー・インタビューで「母の日で見に来てくれているときに打てて良かった」と、母親への感謝を語った。

 

 ◎5月14日終了時点の阪神タイガースの成績


 勝敗:20勝13敗 1引き分け 貯金7

 順位:首位(2位と1ゲーム差)

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