第六話 深淵の鎮魂歌(その二)

「あ、無理しなくて良いよ、あたし印象薄いから。邑﨑さんまだ来たばっかりだし」

「もう忘れないから」

「あ、ちなみにさ、あたしの名前は知ってる?」

「飯山さん」

「そりゃ表札見たからでしょ」

「そう」

 間髪入れずに返事をしたら何故か二人に大受けで、姦しい笑い声が部屋に響いていた。

 作品の話で大いに盛り上がって、というかあたしは主に聞き役で、二人の熱心な語りに頷いたり細切れな感想を述べたりしただけだった。そのまま、あっという間に時間が流れて窓の外は真っ暗になっていた。夕飯を食べて行かないかと誘われたが、流石にそれは厚かましい。それに予定がある。口にすることは出来ないが。

 折角だけど、と遠慮して木村さんと一緒に帰ることにした。

「楽しかったよ。またね」

 見送られお土産まで持たされて彼女の家を後にした。木村さんと別れて一人路地を歩いて居ると何処かで猫の鳴き声が聞こえた。

 着いて来てたのかデコピン。

 特にやることも無かったからだろうが、だったらあたしの代わりに校内の見回りでもすれば良かったろうに。まったく気の利かないどら猫だ。

 胸の内で独り語ちると一路学校へと向った。

 普通の少年少女たちはこれから学校の課題だの夕食だの風呂だのと、日々繰り返される平穏で退屈な「当たり前」を済ませて眠るだろう。だがあたしはこれからが忙しい。夜の学校がその本領だからだ。

「さて、仕事に入るとするか」

 気怠い夜気が纏わり付きながら、鬱陶しく頬を撫でていった。


 一晩をかけてつぶさに巡回はしたものの、何の進展も無いまま呆気なく夜は明けて、やれやれと溜息をつく。

 ここ一週間ほどはずっと空振りが続いていた。それらしき痕跡はぽつりぽつりと見当たるのだが、どれもが古くて、昨日今日に出来上ったものではなかった。今度のヤツは随分と慎重なヤツらしい。

 とは言え、地味な進捗なのは何時ものことだ。ヤツの腹が空けば徐々に餌場の気配も変わってゆく。それを逃さず焦らず感じ取り、地道に探し回るしか無い。

 一旦部屋に戻ってシャワーを浴び、そのまま再び登校した。無駄な往復のような気もするが、日がな一日学校何ぞに詰めていられるものか。学校は赴任地であって住む場所では無いのである。

 道行く最中にコンビニでサンドイッチと牛乳一リッターを買って、そのまま店の外で胃袋に流し込んだ。午前中の授業の分は出席日数が足りている筈なので、そのままサボって仮眠に当てることにしよう。

 今日は天気が良いので屋上が宜しかろうと思ったのだが、すでに先客が居た。気弱そうな男子に絡むカツアゲ場面だった。二人に絡まれて強ばり、情けない表情になっている。面倒くさそうだったからそのまま回れ右をしたのだが、「ちょっと待て」と呼び止められた。

「このまま行かせる訳にはイカねぇな。お前も少しカンパしてくれ」

 そんな阿呆な絡み方をしてきたので二人をその場でノシてやった。阿呆には相応しい対価だ。あたしは今眠くて不機嫌なのである。神経を逆なでした連中が悪い。被害者の少年が多少つっかえながらも「ありがとう」と頭を下げた。

「イヤならイヤとはっきり言いなさい。毅然としないと付け込まれるだけよ」

 そう言い切ったところで、襟章が三年生のものだと気が付いた。しかも名札には飯山とある。

 この辺りではよくある名字なのだろうか。しかも勢いとはいえ上級生に説教してしまったようだ。ちょっとだけシクったかなと思った。

 とはいえ見知らぬ男子に気配りしても仕方が無い。名字共々まぁそういうコトもあるさ、と気にしないことにした。いまあたしに必要なのは、心穏やかにお休みできる場所の確保であって、それ以外の些末な出来事に関わり合っている暇は無いのである。

 そのままくるりと踵を返し、校舎内に戻ろうとした。

 だがその足が止った。少し風向きが変わって妙な臭いが流れて来たからだ。

 これは・・・・

 立ち止まった後にその場で再び振り返る。まだ足元でノビている二人をひょいと飛び越え、戸惑う少年の脇を通り過ぎ、屋上への出入り口がある後ろ側に回り込んだ。

 臭いは点々と続き、手すりの向こう側へと続いていた。歩み寄ってその向こう側と更にその下も覗き込んだ。だが校舎の壁と裏庭が見えるだけだった。

 間違い無い。ほんの今し方まで此処にアレが居たのだ。恐らく餌を物色していたのだろう。だが既に太陽は高く昇っているし、人数も増えたので諦めたのではなかろうか。

 いやはや、ヤバかったかもね。

 三人程度だったらきっと一瞬だったろう。自分が相対していたとしても、今手元には得物も無いから手間も食う。きっと一人くらいヤられていた。

 端からやる気が無かっただけなのかもしれない。だが、そうで無かったのかもしれない。

 チラリと後ろを振り返れば、訳が分からず呆然と突っ立っている少年と、ノビてる二人はまだソコに居た。引き返して来ないとは思うが万が一ということもある。

 仕方がないわね。

「さ、ボンヤリしてないで教室に戻りなさい。ホームルームが始まるわよ」

 まだ河岸のマグロとなっている男子二人を、ひょいひょいと小脇に担ぎ上げ、その様子に目を丸くしている少年を急かして中に入った。この二人は何処か適当な教室の前にでも転がしておこう。人目があるところなら問題はあるまい。

 やれやれ、まったくこちとら安らかに眠りたいだけだというのにとんだ手間暇だ。まぁ、被害は出なかったのだから良しとすべきなのかもしれないけれど。

 ぶつぶつと胸の中で文句をたれ、男子二人を抱えて大人しい上級生を追い立てながら、あたしは予鈴の鳴る階段を足早に下りていった。


 目が覚めると既に五限目が始まっていた。

 左手首にある残刑カウンターの付属時計では、開始からもう一〇分程度経っていた。此処はちょうど木陰で良い風が通る。お陰でついつい寝過ぎてしまったようだ。

 確かにこれから教室に駆け込めば授業の半分程度は受けられるが、今更慌てて戻るのも億劫だった。出るのは六限目からでも良ろしかろう。

 そう決めて身体を起こし、そこでギョッとした。寝転がるベンチの斜向かいのベンチに一人の教師が座って居たからだ。

「やあ、ようやくお目覚めのようだね」

 眼鏡を掛けた温和で、細面の表情かおの男が微笑んだ。

 見たところ二十代後半、いや三十路くらいだろうか。若い教師だ。声を掛けながら手にしていた文庫本をぱたんと閉じた。

 此処は学校南棟の西の端。ちょうど全ての教室から死角になっている場所で、古びたベンチが二脚置いてあるだけの場所であった。何の為に置いてあるのかは分からない。

 不要になって捨てる場所も思いつかず、不法投棄に及んだのか。それとも仮置きのつもりで置いてそのまま忘れ去ったのか。或いは気兼ねなくサボれるよう、親切な誰かが設置してくれたものなのか。

 最後の仮説が最もあり得なさそうな気がする。だがそんなコトはどうでも良かった。この状況はいったいどういうコトなのだろう。

「最近は良い陽気だから野外でうたた寝したくなるのは分かるけれど、女性がこんな場所で午睡を貪るというのは余り感心しないね。不用心だよ。それにいくら良い天気だと言っても、晩秋にその格好では風邪を引く。若いきみたちには今ひとつピンと来ないかも知れないけれど、健康な身体というのはとても大切な人生の資本なのだよ」

「ご心配していただき、ありがとうございます」

「どういたしまして。さて、きみも目を覚ましたし、わたしも行くとしよう」

 どうやら寝こけているあたしを見つけて、此処でずっと起きるのを待っていたらしい。酔狂なことだ。

「注意はなさらないのですか」

「して欲しいのかい」

「いいえ、まったくちっとも」

「なら良いじゃないか。それはそうと、今朝方屋上で男子二人に絡まれていた子を君が助けてくれたよね。彼はわたしの甥なんだ。昔から気が弱くてね。一言礼を言っておきたかった」

「成る程」

「本館は実習棟より一階分低いだろう?わたしの務める美術室から屋上は丸見えなんだよ。サボるのなら別の場所を探した方が良い。今日は兎も角、今後もずっととなれば流石に見逃す訳にはいかないからね」

「ご忠告どうも」

 軽く会釈をしてその場を離れた。妙な教師である。従兄弟の災難を追い払った礼のつもりらしいが、だからと言ってサボる生徒を見逃し、かてて加えて一緒に日向ぼっこにふけるなどどれだけ緩んでいるのやら。世の美術教師というのは皆あんな感じなのだろうか?今までじっくり観察したことは無かったけれど。

 まぁお陰で、面倒くさい目には遭わずには済んだから良しだ。

 授業中のグラウンドはとても閑散としていて静かだった。

 それぞれの教室から漏れ聞こえてくる教師の声や、ひしめく密やかな教室のざわめきが無ければ、今は本当に平日の昼間かなのかと疑わしくなるほどに。そしてソコで初めて酷く腹が減っていることに気が付いて、果たして購買のパンはまだ売れ残っているだろうかと、そちらの方が余程に気になってきた。

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