第25話
放課後、海名を連れて向かったのは、月野が経営する駄菓子屋『つきの』だった。
「いらっしゃい、粋利君、霧花ちゃん」
店に入ると、カウンターに座っていた月野が笑顔を向けてくる。店は相変わらず閑古鳥が鳴いていた。たまにおばさんや小さな子供がいるのを見かけるが、客がたくさんいるところは見たことがない。今も店内にいるのは僕らだけだ。
「今日はどんな情報をお求めかな?」
「夜の桐坂小学校に誰にも見つからずに入れる方法を知りたいです」
「ふむ。それはまた中々に犯罪臭のする情報だね」
「知りませんか?」
「いいや、知っているよ」
月野は笑顔で言う。
「俺は情報を売るだけだから。その情報を使って誰が何をしようと干渉しない。そういうモットーでやっているからね」
「さすが、何でも知っているお兄さんですね」
「何でもじゃなくて、多くをだね、粋利君。いつも言っているけれど。それに、お兄さん呼びはもうそろそろ卒業しようと思っているんだ。俺もとっくに四十を過ぎたアラフォーだから。これからはおじさんでいこうかなって」
「そうですか。これからもよろしくお願いします、多くを知っているおじさんとして」
「うん、悪くない響きだね」
月野はそう言って満足げに頷くと、
「ちなみに、知りたいという情報は、校舎の中まで入る方法かい? それとも学校の敷地内に入るだけで構わない?」
「後者です」
「なるほど。あの学校に侵入する方法は二つあるね。一つは誰でも入れるけれど手間がかかる方法、そしてもう一つが選ばれた人しか入れないけれど楽な方法。どっちの情報が欲しい?」
「『選ばれた人』というのは、どういう意味ですか?」
僕の質問に月野はなぜか少し言葉に詰まって、
「簡単に言っちゃうと、その人の体のサイズなんだけれど……」
月野は僕の全身を見て、
「粋利君は大丈夫そうだけれど」
次に海名の全身を見て、すごく言いづらそうに、
「霧花ちゃんが、ちょっと微妙かな……」
「なぜですか? 海名は僕よりも背が低いですよ」
「綿鍵君は黙っていて」
なぜか海名が僕の尻を蹴ってきた。
「ちょ、何、痛いんだけど」
「あなたはもう少し女心ってものを勉強したほうがいいわ」
納得がいかなかったが、何か言ったらまた蹴られそうなので黙っておく。
月野が苦笑しながら言う。
「まあ、多分大丈夫だとは思うよ。そうだ、だったら取り敢えず選ばれた人しか入れないほうの情報を買って試してみたら? こっちの情報は希少価値が低くてかなり安いから、たとえダメだったとしても、それほど後悔はしないと思う」
もし海名が学校に入れなかったら、もう一つの誰でも入れるけど手間がかかる方法の情報を買えばいいってことか。正直、手間がかかる方法は嫌なんだが……。
「分かりました、そうします」
「それで、粋利君はどんな情報を取引に持ってきたんだい?」
「ちなみに駄菓子だと何円分になりますか?」
「今回の情報は、駄菓子だと百円分かな」
駄菓子を買ってもいいレベルの金額だが、
「情報での取引でお願いします」
将来「名探偵」の称号を名乗る者として、できるだけ妥協はしたくなかった。
僕は制服のポケットから小ぶりのノートを手に取った。
「お、それは例の『取引ノート』だね」
このノートには、月野と情報の取引をするために集めた様々な情報が記されている。普段から持ち歩くことで、いつでも情報を書き込めるようにしていた。
「きっと俺も知らない倒坂市の情報が色々と詰まっているんだろうな。一度中身を見せてほしいくらいだよ」
「前から気になっていたんですけど、月野さんはどうやって情報を管理しているんですか?」
「うーん、管理か。強いて言うなら、頭の中で、かな」
「ノートにまとめることはしていないんですか?」
「うん。俺、記憶力はいいほうだから」
これまで僕は数えきれないほど月野から情報を買ってきたが、彼が情報を持っていなかったことは一度もなかった。彼は「何でも」ではなくて「多くを」知っているおじさんだと自称しているけれど、僕がその違いを体験したことは一度もない。
彼の驚異的な記憶力は、間違いなく一つの才能だろう。
「そんなに大したものじゃないけれどね。俺が知っているのはあくまでも倒坂市のことだけだから」
「月野さんは普段どうやって情報を仕入れているんですか?」
「こうした情報の取引以外だと、話し好きのおばあちゃんがよく色んな話をしにきてくれるね。一時間ずっと話しているなんてこともよくある。この店はお客さんがあまり来ないから、彼女たちも気兼ねなく話せるのかもしれないね。店を閉めているときは、公園とか商店街とか人が多く集まるところに行くことが多いかな。そこで色んな人に話を聞いて情報を集める感じだね」
駄菓子屋つきのの営業時間は、月火水が十五時から十八時、木金土が九時から十二時だ。一日三時間の営業だから、月野はフリーの時間を多くとっていることになる。店の外での情報収集に力を入れているのだろう。
「常日頃から情報収集を意識して行動しているってことですか」
「そうなるかな」
地道な努力が大切というわけか。才能は努力があってこそ初めて輝く――誰の言葉だったか。
「一応、情報屋を名乗っているからね」
月野は、店に来る客に自分から情報屋であることを明かしているわけではない。彼が親から店を継いだのは二十年以上も前で、始めの頃は自分から情報屋をしていると明かしていたらしいが、今では口コミだけで広がっている。僕も小学校の友達から月野の噂を聞き、月野から情報を買うようになった。
ノートをめくりながら、どの情報を取引に出そうかと考える。駄菓子屋百円分と聞くと、どの情報が妥当なのか分からない。倒坂市民なら誰でも知っているような情報でもいいのだろうか。いや、さすがにそれは価値が釣り合ってないか。少なくとも僕がこれから買う情報は、倒坂市民である僕が知らなかった情報なのだから。もう少し価値の高い情報を差し出さなくてはいけないだろう。――お、これなんかよさそうだ。
「僕のクラスの担任が、話すときに語尾に付ける言葉」
「粋利君の担任と言うと、
「はい」
「なるほどね。うん、その情報で取引しよう」
月野は僕が取引で提示した情報を「すでに知っているから」という理由で断ったことは一度もない。倒坂市の多くを知っている彼が、それほど多くの情報を知らないはずもないのだが……。まあ、月野が知っている情報は取引不可という制約があったら、全くと言っていいほど情報の取引は成立しなくなるだろうから、情報の取引は彼にとって慈善事業に近いのかもしれない。それこそ僕が探偵活動を始めたばかりの頃は、駄菓子十円分でどんな情報も売ってくれていたし。
月野はカウンターの下に手を入れて、一枚の白い紙を取り出すと、ペンを片手に横長の長方形を書く。
「桐坂小学校の周りはフェンスや塀で囲まれている。この長方形の枠がそれらだと考えて」
いつも月野は我先にと情報を開示する。これは満足のいく取引を行うためらしい。取引相手は欲しい情報をちゃんと得て、納得したうえで月野に情報を渡す。
月野が情報屋を始めたばかりの頃は、情報の取引でそれこそ色々な問題が発生したと聞いている。取引相手が先に情報を開示し、後手で月野が情報を開示すると、取引相手が「その情報は欲しい情報ではなかった」とクレームをつけ、「どうしてくれるんだ、こっちはすでに情報を話したのに」と執拗に責められたこともあったらしい。
紆余曲折を経て、情報の取引も今の形になったというわけだ。
「ここが校門で、これが校舎」
長方形の右下付近の辺上に小さな四角い校門が、長方形の中にコの字型の校舎が描かれる。
「そして、ここが侵入口だ」
月野が丸く印をつけたのは、長方形の左上の辺上だ。
「ここには確か、公園と学校を隔てるフェンスがあったと思いますけど」
「その通り。フェンスの一部に穴が開いていてね、公園から学校の敷地へと入ることができる」
「フェンスに穴? そんなのありましたか?」
僕が桐坂小学校に通っていたとき、探偵活動の一環として学校の至るところを調べた。それこそ学校の敷地を囲むフェンスや塀も一通りチェックしたが、フェンスに穴が開いていたという記憶はない。
「穴ができたのは半年ほど前だから。粋利君が卒業した後だね。小学校の生徒が悪戯で開けたみたい」
なるほど。道理で僕が知らないはずだ。
「学校に侵入するのは夜だったね。昼間は人通りの多い公園だけれど、夜は閑散としている。学校に侵入するのは簡単だと思うよ。穴の位置だけは陽の光のあるうちに確認することをオススメする。暗い中で一から探すのは大変だろうから」
今日この後にでも確認しに行こうか。できれば今晩から見張りたいし。
「情報には満足してもらえたかな?」
「はい」
「それじゃあ教えてもらおうか、粋利君の担任の小林徹也先生が語尾に付ける言葉」
「はいです」
「……わざとかな?」
「何がですか?」
「いやほら、粋利君の返事のこと。『はいです』って単に返事をしているだけとも捉えられるでしょ。小林徹也先生が語尾に付ける言葉が『はい』だと伝えるにしては、伝え方がお粗末だなと思って」
「やっぱり元から知っていたんですね、小林先生が話すときに『はい』って語尾に付ける癖があること」
例えば宿題を提出するときは「皆さん、宿題を集めてください、はい」というように。
「うん、まあね。なに、それが知りたかったの?」
「はい」
「……今のもわざと? まあいいや。それより、そんなことが知りたかったなら、わざわざ試すようなことをしなくてもよかったのに。お客さんの出した情報が既知のものでも取引に応じるのかって訊いてくれたら、うんって答えたのに」
「訓練ですよ」
「訓練?」
月野は首を傾げている。
「名探偵になるための訓練という意味です。欲しい情報を相手から上手く引き出すのも大切なスキルでしょう、名探偵にとって」
「粋利君は名探偵になるのが夢だったね。君の名前も名探偵にピッタリだし、活躍を楽しみにしているよ。そしてまたいつか店に寄ってくれると嬉しいな。とっておきの事件を用意しておくから」
「とっておきの事件、ですか?」
「うん、楽しみにしていて」
月野はにこりと微笑んだ。
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