3-5 もっと、君のことが知りたい。
黒髪黒瞳、広い肩幅に精悍な顔立ち。紙面に貼付された写真の彼は、唇を引き結んで生真面目な表情をしていた。
「――
隣に印字された、その文字を指先でなぞる。それが彼の本名。口にすると、知らず笑みが漏れた。
「へぇ……綺麗な名前。でも、アイちゃんはもうアイちゃんかな」
一人頷いて、自室のソファに深く腰を沈めた。
黒髪の人ことアインス……略してアイちゃんは、吸血鬼化前後の記憶を失っているようだった。細菌への拒絶反応や身体の変化、それから外傷によって生死の境をさまよった所為だろう。俺を庇ったことなんて綺麗さっぱり忘れてしまったらしい。
「俺は、嬉しかったのになぁ」
出会いのエピソードが相手から欠落してしまったのは少し残念だ。何で彼が俺を助けようとしたのかの疑問も永遠に謎のままになってしまった。
……まぁ、何となく察しは着くけど。
これまでの彼の言動からは、強い正義感が窺える。残虐行為に異を唱えたり、仲間の暴走を止めようとしたり。おそらく、俺を助けたのも本能に違いない。単純に俺が逃げ遅れていたから目に付いたのだろう。
――それか、コレかな。
再び、書類に目を落とす。そこには、彼の経歴が
元々の家族構成には両親と妹さんが居たようだ。父親は中小企業サラリーマン。母親はパートタイム主婦。よくある中流家庭で何不自由なく愛されてすくすくと育ったのが見て取れる。
幼少期には子供野球のチームキャプテン。学校では毎年学級委員長を務め、習字や読書感想文で賞を獲ったり、文武両道の絵に書いたような優等生っぷりだ。
皆から信頼の厚い、頼れるリーダー格。そんな彼が孤児院に行くことになったのは、やはり機械兵の襲撃が原因だったようだ。家族は、彼を残して全員その時に亡くなっている。
――家族を喪った時のトラウマ。
目の前で襲われそうになっていた俺を見て、彼はそれに囚われたのかもしれない。救えなかった家族の分まで他の誰かを救おうとしたのか、それとも単に襲われる家族の姿と重ねたのか。何にせよ、対象が俺だったことには、きっと深い意味は無い。
でも、俺は救われた。身体だけじゃなくて、心までも。――あんな風に誰かに無償で優しくされたのは、初めてだった。
もっと、彼のことが知りたい。その一心で、研究所の職員にアイちゃんのデータを流してもらった。
試してみたら、俺の能力は普通の人間にも有効と判明した。どうやら、声を聞かせるだけでは不充分で、目を合わせることが肝要らしい。つまり、〝言霊〟ではなく〝催眠〟の方だったということだ。この能力を使って、職員に
ついでに、俺とアイちゃんの胸のチップを遠隔爆破する機能も解除させた。これで、リモコン一つで殺処分されることはもうなくなったけれど、そのことはアイちゃんには話していない。
アイちゃんには、俺の能力のことは知られたくない。知ったら、もう目を見て話してくれなくなるかもしれない。
能力で差別するような人ではないと思うけど、〝催眠〟なんて言ったら誰でも警戒するだろう。
だから、出来る限りは秘密にしておきたい。
ふと、インターホンが鳴った。
もしかして、アイちゃん!? 反射的にそう考えて、舞い上がる。急ぎソファから腰を浮かせ、手元の書類を机の引き出しの奥にしまい込むや、壁面に設置された来客モニターの元まで移動した。
――なんだ。
一気に高揚感が萎んだ。そこに映し出されていたのは、黒髪黒瞳の彼ではなく、金髪のヤンキーだったのだ。
俺は、見なかった振りをして回れ右をした。すると、呼び鈴がヒステリックな勢いで連打される。
「てめえ! 居んのは分かってんだよ、ムシしてんじゃねーぞ!!」
俺は溜息を吐いた。仕方ない。あんまり騒がれると隣のアイちゃんに迷惑が掛かる。覚悟を決めて、重い足取りで玄関へと向かった。
「何?」
開扉と同時に一言放ると、ヤンキーことドライは次のように主張した。
「ヤツらにゲーム機貰ったんだけどよ、格ゲー一人でやったってつまんねーだろ。てめえ来いよ。勝負しろや」
呆れる程身勝手な申し出だ。
「何で俺が……フュンフでも誘えば? 彼なら断らないでしょ」
断
「アイツ、ぜってー弱えーもん。呼んでも意味ねーだろ」
「何で? 君、弱い者いじめ好きじゃん」
「あ? てめえもイジメてやろうか」
「既に虐められてるんですけど、こうして」
「いいから、来いっつってんだよ!」
痺れを切らしたように、ドライは俺の腕を掴んだ。不意を衝かれて、過去の記憶がフラッシュバックする。神父様に強い力でベッドに押さえ付けられた、あの時の――。
「っ!」
思わず、振り解いていた。ドライが少し驚いたように目を丸くしてこちらを見た。……あ、ヤバい。誤魔化さないと。
「急に引っ張らないでよ、痛いでしょ」
抗議するように言うと、ドライはムッとした表情になった。
「んだ、弱っちぃヤツだな。てめえがダダこねっからだろ。いいから来い。勝負しろ」
「分かったよ、行くから」
とりあえず、変には思われなかったようで、ホッとした。俺は降参の合図で両手を顔の位置に上げて、やれやれと吐息を零した。
全く、厄介な相手だ。確かに、ドライの
あれは、感染実験の翌朝。朝食の席でアイちゃんとドライが仲良く言い争っているのを見て、正直妬いた。
普段ならドライは絶対に関わり合いになりたくないタイプだけど、あのまま放っておいたら確実に彼が敵視していたのはアイちゃんだったろうと思う。
ライバル意識というものは、執着心に同義だ。ドライがアイちゃんに執着するのだけは避けたかった。故に、俺が間に入って必要以上に煽ってやった訳だけれど、まさかここまで絡んでくるようになるとは……。
身から出た錆とはいえ、正直面倒臭い。
俺はまた一つ溜息を吐いて、ドライの部屋へと向かった。その後、初めてプレイした格闘ゲームでドライをしっかりボコボコにした。
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