1-7 決意

 物思いから冷めると、相変わらずの仏頂面がそこにあった。案内された宿舎の寝室に備え付けの姿見だ。自分に与えられた名前の数字と同じ、ルームナンバー01。浴室と手洗い所もあり、一人部屋にしては充分過ぎる程の広さだが、家具は必要最低限のものしか置かれていない。その為、殺風景極まりない。金属質な銀を基調とした色彩の所為もあって、全体的に冷たい印象がある。

 これから長い時を、ここで過ごすことになるのか……。


 ひんやりとした室内で一人鏡を見るともなしに見ていると、不意にポーンと甲高い電子音が響いた。初めて聞くそれの出処を探ると、壁面に設置された小型モニターが点灯した。一瞬あの眼鏡で白衣の男が映るのかと身構えてしまったが、実際に映ったのは白銀の髪の青年だった。玄関前の様子を捉えた映像――どうやら、先程のはインターホンの音だったらしい。

 モニターの下の通話ボタンは押さず、そのまま玄関まで行くと扉を解錠して開いた。


「どうした」


 開口一番、用向きを訊ねる。白銀の青年……改め、適合体No.02ゼロツーzweiツヴァイ〟は、私の姿を認めるや華やかな笑みで応じた。


「ごめんね、急に。そういえば、ちゃんとお礼を言えてなかったなと思って」

「お礼?」

「守ってくれたでしょ、俺のこと」


 虚を衝かれた。全く身に覚えがない。数秒黙した後に、私は何とも間抜けな返答をした。


「そうなのか」

「覚えてないの?」


 無言で肯定を示す。すると、ツヴァイは不服そうに唇を尖らせた。


「ふぅん……俺は嬉しかったんだけどなぁ」


 言いながら、その視線が降下していく。


「あんなに傷だらけになってまで……」


 確かめるように、ツヴァイは私の胸元にそっと指先だけで触れた。血まみれでズタボロだった服はもう着替えている為、負傷の形跡は何一つ残されていない。それでも彼には、そこに傷が見えているのだろうか。紫電の瞳にはどこか痛ましげな色が浮かんでいた。

 何か言ってやらなければという衝動に駆られるも、私が口を開くよりも先にツヴァイの指先がパッと離れた。


「まぁ、いいや。改めて、ありがとうね」


 顔を上げた時には先程の哀は薄れ、彼は元の通りの笑顔に戻っていた。それから唐突に、


「ねぇ、アイちゃんって呼んでもいい?」


 そんなことを言い出した。

 私は、またもや数秒間黙す羽目になった。


「……何故だ」

「仲良くしたいなぁって。あだ名があった方が親しみが湧くでしょ?」

「それにしたって、もう少しマシなものがあるだろう」

「えー、〝愛ちゃん〟って感じで可愛いじゃん」

「…………」

 

 返す言葉に困った。ツヴァイは悪戯げな笑みを浮かべて、こちらを見上げている。私の反応を楽しんでいるようだった。


揶揄からかっているだろう」

「そんなことないよ~?」


 いや、絶対揶揄っている。何だ、その緩い喋り方は。

 これまで何となくクールな印象が強かったが、まさか、こっちが素か。


「それとも、君もセーラちゃんみたいに本名で呼ばれたいタイプ?」

「……いや」


 〝セーラちゃん〟と聞いて、


 ――わたしの名前は聖羅せいらよ! フィーアなんて呼ばないで!


 そう叫んだ赤毛の女性の声が脳裏に蘇る。

 No.04ゼロフォーvierフィーア 〟。適合者の中で唯一の女性である彼女は、白衣の男に与えられた新たな名を拒んだ。

 こんな数字の名が付けられたのは、思うに奴らにとって我々はあくまでも兵器に過ぎないということの証左なのだろう。研究所のやり方には賛同出来ないが、私は当面それでも構わなかった。


「〝アインス〟でいい。元の私は、今日死んだ」


 何にせよ、私の目的は変わらない。

 両親と幼い妹の命を奪った機械兵達に一矢報いる為ならば、喜んで兵器にだってなろう。――そう決めた。

 すると、私の決意など知る由もなく、ツヴァイは実に軽薄な返答を寄越してきた。


「OK、アイちゃん」


 こいつ……どうあっても、それで通すつもりのようだ。私は頭痛を覚えつつ、逆に訊ねてみた。


「そういうお前はどうなんだ? 本名の方が良いというのなら、考慮するが」

「あー……俺も〝ツヴァイ〟でいいよ。本名、嫌いなんだ」


 刹那、彼の表情かおかげりが差したように見えた。おや、と思った時には、やはり元通りの笑顔に戻っていて、


「何なら、〝ツーちゃん〟って呼んでくれてもいいよ」


 などと、おどけた調子で宣う。それ以上言及する訳にもいかず、ともかく私は「断る」と返した。


「いけず~」


 ツヴァイは愉しげにクスクス笑み零す。

 今日あんなことがあったばかりなのに、随分と吹っ切れた様子だが……実際のところ何をどう考えているのか、掴み所のない奴だ。


 そういえば、私はこいつとキスをしたんじゃなかったか。


 ふと、思い出す。つい相手の口元に目が行った。ツヴァイの桜色の唇は艶やかでふっくらとして、何だか今更にその感触が蘇っては密かに動揺した。半ば無意識だったとはいえ、かなり大胆に貪った気がする。

 ……いや、あれは当人の言を信じるならば、ただの救命措置だ。たぶん、人口呼吸みたいなものだ。気にする必要は無い。筈だ。


「それじゃあ、これからよろしくね、アイちゃん」


 声を掛けられて、ハッと我に返った。「あ、ああ」と歯切れの悪い返事になってしまう。それから改めて、


「いや、アイちゃんではない。アインスだ」


 と、しっかり訂正しておいた。ツヴァイは「はいはい」と適当に笑って流し、


「おやすみ。また明日」


 最後に挨拶を告げると、くるりと身を翻した。そのまま隣の02号室の扉の先に消えていく。後にはただ、静寂が残った。

 室内と同様に金属質で冷ややかな廊下の空気が、一人になると一層身に染みる気がした。

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