第4話 二度目のハグ

 ハグとものルールが定まったことで、二人はお弁当を食べ始める。


 そぼろご飯を食べながらふと屋上に視線を向けると、昨日見た時と同じように扉が半開きになっていた。


「屋上、なんで開いてるんだろうね?」


 綾斗あやとが話題を振ると、羽菜はなは淡々とした口調で答えた。


「誰かが鍵を開けたんでしょうね」


 まあ、そうだろうなと思った。でなければ開いているはずがない。その誰かというところまでは想像はできないが。


 生徒の誰かがいたずらで開けたのかもしれないし、用務員が清掃かなにかの拍子に閉め忘れたのかもしれない。いずれにしてもあまり好ましくない状況だろう。


 そして屋上が開いていることは、クラスメイトはまだ知らない。知っていたら、もっと話題になっているはずだ。


 興味本位で屋上に忍び込もうとする人が現われるかもしれない。昨日の綾斗のように。


 屋上の扉を見つめながら考え込んでいると、羽菜が心配そうにこちらを見つめていることに気付いた。


「水野くん、もしかしてまた屋上に……」


 その言葉だけで羽菜の言わんとしていることに気付いた。


「別に死にたいと思っているわけじゃないよ。ただ、なんで鍵が開いていたのかなって考えていただけ」


「なら、いいですけど……」


 綾斗の言葉を聞いても、羽菜は依然として心配そうな表情を浮かべていた。


 それから羽菜は、手に持っていたお弁当を階段に置き、昨日と同じように両手を広げた。


「ハグ、しますか?」


「え……」


「いまなら人目につかないという条件はクリアしています」


 唐突な申し出に綾斗は固まる。同時に昨日味わった羽菜の感触を思い出した。


 柔らかくて、あったかくて、いい匂いで、幸せな気持ちに包まれていく。もう一度あの感触を味わいたいと思ってしまった。


 ハグともの承諾はした。ルールも定めた。羽菜からの許可も出た。してもいい条件は十分に揃っている。


 下心を正当性で包み隠し、自制心を手放した。鼓動が高鳴るのを感じながら、綾斗は小さく頷く。


「お願い、します……」


 羽菜は穏やかに微笑んだ。そのまま腰を少し上げて、綾斗の隣に移動する。俯きながら待機していると、ふわっと両手を背中に回された。


 羽菜のぬくもりに包まれる。想像していた通り、柔らかくて、あったかい。今日はお互い座っているせいか、昨日よりも距離が近いように感じた。


 ふと、よろしくないことにも気付いてしまう。昨日はそこまで意識していなかったけど、あばら骨のあたりに弾力のある物体が当たっている。


 昨日と同じく幸せな気分にはなっているのだが、それだけではない感情も浮かび上がってくる。今日のハグで、羽菜のことをしっかり女性として意識してしまった。


「もう、大丈夫だよ」


 今回は綾斗の方からハグをやめた。これ以上くっついていたら、どうにかなってしまいそうだ。


「満足しましたか?」


「……うん」


 ぎこちなく笑いながら答えると、羽菜はふわりと微笑んだ。


「良かったです」


 その笑顔に思わず胸が締め付けられる。


 羽菜は教室ではあまり笑わない。不愛想という意味ではないのだが、周りの女子のようにコロコロと表情を変えることはなかった。


 だからこそ、羽菜に笑いかけられるのは貴重だ。これもハグともになった特権なのかもしれない。


 そんなことをぼんやりと考えていると、昼休み終了五分前を知らせる予鈴が鳴った。そこでお弁当の半分も食べていないことに気が付く。


 それは羽菜も同じだったようで、二人で急いでお弁当をかきこんだ。全部平らげると、急いでお弁当箱を片付けた。


「白鳥さん、教室に戻ろう」


 そう言って立ち上がったとき、羽菜に制服の裾を掴まれた。


「ルールを追加しましょう」


「え?」


 なぜこのタイミングで、とは思ったけど口には出さずにいた。羽菜はグレーの瞳で真っすぐ綾斗を見つめながら言った。


「お友達なんですから、名前で呼び合いましょう」


 それはつまり、「白鳥さん」から「羽菜」に呼び方を変えろということだ。それは結構勇気のいることだ。


 ハグをする仲とはいえ、下の名前で呼び合うほど打ち解けていない。もし他のクラスメイトが「羽菜」と呼んでいるのなら、流れに従って呼ぶこともできるかもしれないが、羽菜のことを下の名前で呼んでいる生徒は誰もいなかった。


 綾斗が躊躇っていると、羽菜の方から先に名前を呼んだ。


「綾斗くん」


付けでいいんだ」


「呼び捨てはちょっと、ハードルが高かったので」


「そうだよね……」


「ほら、綾斗くんも」


 名前呼びを催促される。恥ずかしさで押しつぶされそうになったが、ごねても場の空気を悪くするだけだ。綾斗は覚悟を決めた。


「羽菜、ちゃん」


 やはりこちらも呼び捨てはハードルが高かった。付けがギリギリだ。それでも羽菜は納得してくれた。


「これでお友達らしくなりましたね」


 羽菜の言う通り、名前呼びをしたことで距離が縮まった気がする。


「綾斗くん、教室に戻りましょうか」

「そうだね……羽菜ちゃん」


 名前を呼ぶと、羽菜は少し恥ずかしそうに微笑んだ。

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