複数の真実に明瞭はなく その7

 シュティーナが信用できるかどうか、それは最早、問題ではなかった。

 彼女が残した言葉――湧き出る想いに、正直な気持ちでぶつかる。それが大事なのかと思う。


 そして、かつての覚悟を失おうとも、再び湧き出るものでもある筈だ。

 それについては、信用ならない彼女の言葉でも頷ける部分だった。


 記憶を失ったとしても、人格まで失った訳ではない。

 それまで生きて、それまでに培った知識、個人を形成する経験まで喪った訳ではないだろう。

 ならば、勇者マコトが本当に何を考え行動しようとしたのか、それは内から湧き上がる想いが教えてくれる事にも繋がる筈だ。


 ――内なる想いというものが、本当にあるのなら。

 マコトは拳を握り締め、項垂れて足元を見つめて動き見せない。

 内なる声というものがあるのなら、今それに問い掛けているのかもしれなかった。


 しかし、それも暫くしてから出た溜め息が、結果の全てを物語っていた。

 結局、何も発露するものもなく、途方に暮れるしかなかった様だ。


 しかし、いつまでも途方に暮れてる訳にもいかない。

 マコトは机の上に残したままだった兜へ取ろうと戻り、そこでふと目についた物に足を止めた。


 それは本が雪崩落ちて、空になった本棚だった。

 その本棚の上から二列目、中央やや右寄りの部分に、不自然な亀裂がある。


 まるで、その後ろに何かを隠しておける、秘密の隠し場所の様だった。

 その隠し方も巧妙で、本を一冊どかした程度では、到底見つけられない形で亀裂が刻まれている。


 ――まさか?

 ケルス姫の書斎にあるのだから、当然そこには彼女が隠した何かがあるのだろう。

 決定的な証拠の様な……あるいは、今のマコトに有用な何かが、そこに隠されているかもしれない。


 マコトはそこへ近付き、良く観察する。

 亀裂自体は実に単純な造りで、作った穴に対して板を嵌め込んだだけだった。

 マコトは胸に手を当て、剣を呼び出して切っ先を入れ込み、テコの原理で板を取り外す。


 そこに隠されていたのは、小さく粗末な木箱で、掌に乗る程度の大きさしかない。

 恐る恐る手を入れて箱を取り出し、中身を取り出そうとする。

 しかし、鍵穴もないというのに、小箱はびくともしなかった。


「何だ、これ……?」


 マコトから素っ頓狂な独白が漏れた。

 だが、呟いた直後に、閃いた様子を見せる。


 鍵の掛かった扉を開く時と同じ要領で、小箱にも少量の魔力を流す。

 すると、カチリと音を立てて鍵が外れ、小箱は独りでに口を開けた。


「やっぱり……! でも、これ……」


 中に入っていたのは、記憶の魔石だった。

 ケルス姫の書斎という、一般には近付けない場所。

 そして、本を一冊抜き取っただけでは分からない隠し方……。


 それを考えれば、この記憶は余程、誰にも触れられたくないのだと察せられる。

 マコトは緊張した手付きで小箱を持ち運び、再び机に座り直した。


 装置にセットされてあった魔石を外し、新たに見つけた魔石をセットする。

 ヘルメットを被り、緊張を追い出すかの様な息を一つ吐いた。


 目が閉じられ、視界は暗く染まる。

 間もなく始まる再生を待っていると、瞼の裏からでも分かる程の閃光が瞬いた。

 ゆっくりと目が開かれると、そこには鏡を通して自分を見る、マコトの姿があった。


 てっきりケルス姫本人か、彼女の視点で映ると思っていただけに、驚きを隠せず動揺してしまう。

 だが、同時に納得できる事でもあった。

 ケルス姫に不都合だから、見られたくない内容だから、あぁして隠していたのだろう。


 マコトの姿格好もいつもどおりの鎧姿で、だから相変わらず表情も読めない。

 小さな椅子に座って両肘を膝に付け、前屈みの格好でこちらを見ていた。

 そうして、やおら一本指を立てると、指鉄砲の形を取り、上下に振って指先を突きつける。


『良く見つけてくれた。そして、これを見つけたというなら、事態は相当……逼迫してる。そうなんだろ? 本当は、そうじゃないといいんだが……』


 どうやら、隠したのはケルス姫ではなく、マコト本人がした事らしい。

 そして残念ながら、勇者マコトの意思に反して、事態は相当悪くなっている。

 現在は混乱の坩堝にあると言って良い。


『正に灯台下暗し。まさか、ケルスもここに隠されたとは思っていないだろうな。これを隠すのに使った本は『実践魔法理論』、『叡智の深淵、今と昔』、『魔法技術開発、その発展』。どれも僕が初めて目に留めて、まとめて借りた本だった。この三つをまとめて取り出せば、後ろの違和感に気付いてくれるかもしれない、と期待して……。記憶を全て喪っても、また同じ行動を取るかもしれないから。……どうだ、そのとおりだったか?』


 残念ながら、勇者マコトの思慮深さは、今のマコトに受け継がれなかった。

 よもや苛立ちに任せて本棚を殴り、本が全て落ちた結果見つけたとは思うまい。


 色々考えを張り巡らせて、思い付いた会心の隠し場所だったらしいが、全くの空振りだった。

 とはいえ、こんな事になると予想出来るなら、本棚をとにかく殴れ、とでも書き残していただろう。


『まぁ、前置きはいいか……。これを見つけ出す様な状況が、どこまで酷いのか予想できないし。……それも仕方ない。それだけの提案をケルスにするつもりだし、そしてきっと、受け入れてくれないだろうから』


 勇者マコトの表情は、兜が邪魔して見えていない。

 それでも、口調から達観と諦観は窺えた。

 悲しげな表情をしているのだろうと、それさえ透けて見えるかのようだった。


『記憶を奪われた時の保険として、また他の妨害合った時の保険として、これを残す。……見つけられなかったとしても、それはそれでいいさ。都合よく使われ、振り回される存在、それを勇者と呼ぶなら、僕はそのとおりの存在だ』


 あまりに悲観的な、そして己を卑下する言い様だった。

 疲れを滲ませた格好と口調だから、今まで本当に都合よく使われて来たのかもしれない。


『万が一これを見つけられたら、行動方針の補強に使えるとでも思ってくれ。一つの材料としてくれるでも良いし、嘘と切り捨てても良い。マコトは、きっと奪われてしまうだろうから。――そして、奪える手段があり、都合よく切り取ってしまえるからこそ、僕は正常な判断まで喪うだろう』


 どうやら、このマコトは記憶の保存を、記憶の強奪にも使えると、早い段階で気付いていた様だ。

 この魔法を開発したのがマコトだからこそ、その危険性について熟慮していたのだろう。


 そして、これに限らず魔法というものは、スマホアプリの様に、使える者なら誰にでも使えてしまう。

 それをマコトは、この国で実現させてしまった。


 仮にケルス姫でなくとも、記憶は誰にでも奪える状況を作り出してしまったのは、マコトが原因とも言える。

 ならば、その危険性について、考えずにはいられなかったろう。


『今の記憶はどうなってる? 虫食いの様な感じか? それとも、異世界に来てからの記憶が一切ない? ……それとも、召喚されるより前の――日本で暮らした記憶までないか?』


 勇者マコトは、言葉を止めて息を吐く。

 その素振りや仕草は、確かにマコトが良くする動作と良く似ていた。


『誰から言われたかは知らない。だが、都合よく記憶喪失になった、という言葉は絶対に信じるな。お前は記憶を奪われたんだ』


 勇者マコトは、記憶が消えるとしたら、恣意的なもの以外あり得ないと固く信じていたらしい。

 そして実際、それは正しいと思う。


 その為の手段があって、使える相手がいる状況だ。

 それで都合よく記憶喪失になった、という発言は、どこまでいっても信用できない。


『この魔法を開発した張本人だからこそ、よく分かってる。作るべきじゃなかったし、残すべきじゃなかった。今となっては後の祭り……。防ぐ手段を構築できれば良かったんだが、……難航した。国からは他に開発して欲しい魔法なんて、幾らでもあったから……。食わせて貰っている身としては、優先しなきゃいけない事もあった』


 発想があったからといって、即座に形になるものでもないだろう。

 魔法開発者として有能だったらしいマコトは、きっと次々と便利な魔法を生み出した。

 そして、それに気を良くした権力者は、更に良いものを望んだに違いない。


 プライベートな時間を充てるにしても、限界がある。

 マコトとしては、危険を知るからこそ優先したかったのだろうが、相手は権力者だ。


 その発言を無視する事は、きっと出来なかったに違いない。

 彼らからすれば、国益を考えた時、後回しにさせる理由など幾らでもあったのではないか。


『だから、簡単なところで、とりあえずこの警告を残す事にした。おそらく、記憶を消された後に、マコトの記憶を見せられるだろうしな。……もしかしたら、既に見た後かもしれない。そうであるなら、この警告の意味もより重く伝わるだろう……』


 鏡に映ったマコトは、前屈みの態勢から背中を起こした。

 今度は方肘だけ膝に当てて、挑むような体勢で言ってくる。


『何でこの魔法に、【ドーガ】と名付けたか分かるか? 記憶を映し出せるから? 見て楽しめる映像だからか? ……間違いじゃない。だが、本当の意味するところは、映像を編集できてしまうからだ。……だって、動画っていうのは大抵、編集あり気なものだろう?』


 マコトの口から、思わず苦い溜め息が漏れる。

 動画とは文字通り、動く画を指すものだ。

 しかし、現代社会に生きた者なら、世に出回る動画は、その多くが編集されたものだと知っている。


 編集と一言で言っても、その内容は様々だ。

 中には悪質な切り張りをして、本来の動画とは全く趣旨の違う、捏造動画を作り上げてしまう事も可能だった。

 ――ならば。


 ならば、これまで見せられてきた記憶に、一切編集が入ってないと、どうして断じられるだろう。

 むしろ、今まで見てきた映像に、信じられる情報がどこにあったか、という話になってしまう。

 ケルス姫が見せてきた動画は勿論、シュティーナについても、心からの信用は難しい。


『だから、今の君が全ての記憶を失ったと判断するなら、――逃げろ。その為の協力者も用意している。シュティーナという名前だ』


 ――何故、その名前が……。

 確かに彼女は協力者だ。


 だが、その協力者は真逆の事を言っている。

 シュティーナは、かつての覚悟を思い出し、魔物を外に出さない様に殲滅しろと言った。


 その覚悟を決めたのは、マコト自身なのだと。

 そして、その覚悟に最期まで付き合う所存なのだと。

 シュティーナにしてもそれだけの覚悟を見せるのだから、彼女を信じる一定の評価になっていた。


『彼女には、日本帰還用の魔法陣まで誘導してくれる手筈になっている。彼女は金を握らせただけの利害関係だが、今の状況なら逆に安心だろう』


 その一言に、またも頭を殴られた様な衝撃が走る。

 シュティーナを名乗り、日本への帰還を仄めかしていた女性がいた。


 その彼女はケルス姫が差し向けた裏切り者だとして、メイドのシュティーナに殺されている。

 甘言に乗れば、記憶を奪われただけだと言って……。


 しかし、もしかすると――。

 もしも、それが全くの嘘なのであれば……。

 甘言を言って騙そうとしていた、その召喚士こそが本物で、純粋に帰還させようとしていたのではないか。


 メイドのシュティーナこそが偽物で、彼女がその名を奪う為、本物を殺したのではないか。

 殺しの動機は別にあったとしても、一石二鳥と思えば、きっとやるだろう。


 シュティーナは信用できる、という文言を利用する為に。

 編集によって生まれた動画を利用するに辺り、その名前だと都合が良いから。

 だから、その名を奪い取る事を思い付いたのではないか。


 疑念が次々と生まれては、頭の中で渦巻いていく。


『世界の危機、……確かにそうかもしれない。だがその為に、自分の命まで晒す必要はない。そもそも召喚された身、そこまで尽くす理由もない。僕は……この国では、単なる駒でしかなかった。便利な魔法、先進的な魔法、革新的な魔法、それを生み出す便利な駒だ。……その上、戦争に使っても大きな戦力になる、使い勝手の良い駒だった。食っていく為には、利用されるしかなかったが……命まで使わせてやる必要はない』


 今のマコトに、その記憶は当然ない。

 駒というからには、人間的扱いは低く、至る所で便利使いされていたのだろうか。


 魔法も使えて戦闘技術も備わっているとなれば、貴族の代わりに酷使させられたりしたのかもしれない。

 いや、きっとそうだろう。

 そうでなければ、あれほど強い言葉は使うまい。


『良いか、これまで何を聞いて、見て来たかは知らない。衝撃的な映像を見せられたりしたかもな。……本音を言えばケルス以外、どうなろうと知った事じゃないんだ。だが、記憶がないなら、それも拒絶されたという証拠だろう。――だから、逃げ出せ。全てを捨てて』


 勇者マコトの声音は草臥れていて、前のめりだった姿勢もいつの間にか戻っている。

 肩から力を抜くと項垂れて、大きな溜め息を吐いた。


『……だが、そうなってない事を祈るよ……。残すこの記憶も、単なる杞憂で済む事を祈る。後でケルスと共に見つけて、馬鹿をやったと笑ってくれ……』


 疲れた声音で頭を下げると同時、見ていた映像が七色に歪み、霞んでいく。

 目の前に書斎の光景が戻ってくると、ヘルメットを脱いで投げ捨てた。


 他の記憶がどうであれ、この映像だけは信用できる。

 編集の手が入っていない動画であり、ケルス姫、シュティーナにとって、絶対見られたくない【ドーガ】だろう。


 二人のどちらかが、何らかの策で用意していたものとは、到底考えられない。

 ならばこれは、かつてのマコトが残した本音と、捉えて良い筈だった。


「ぐ、う、う、うぅ……!」


 マコトの喉奥から唸り声が漏れる。

 のろのろと手を伸ばし、兜を被ってバイザーを下げ、頭を抱えた。

 それはまるで、自分の鎧の中が一番安全だと思っているかの様な振る舞いだった。


 何より安心でき、信用出来るものは、もはや身を包む防具以外に無いのだと、言外に言っている様なものだ。

 しかし、そうして目を塞ぎ、耳を塞いでも、念話はそれらを貫通して届いて来る。


 応答の拒否を出来ない念話は脳を揺らし、次いで女性の声が頭に響いた。

 それは今こそ耳を塞ぎたい相手、シュティーナからのものだった。

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