複数の真実に明瞭はなく その4

 そこは何処かの広い一室で、マコトの知らない場所だった。

 だが、分かる事もある。

 豪奢な装飾が至る所に見受けられるので、同じ四階にある一室なのかかもしれない。


 その部屋には巨大な一枚ガラスがあり、全身を映すには十分な幅を持っている。

 恐らく姿見として用意されているもので、四隅には金細工が装飾されていた。


 そして記憶の中のマコトは、そこから数歩離れて自分の姿を見ているらしい。

 いつもの鎧姿で、兜までしっかりと被っている。

 バイザーは上げているものの、室内の明るさは十分でなく、その表情は影になっていてよく見えない。


 マコトが手を右側に向けると、そこにケルス姫が簡素なドレスを纏って歩み寄ってきた。

 所謂、来賓を招いたり、何らかの式典で着飾る様な見栄えするものではなく、あくまで室内着を意識した作りであるようだ。


 映像の中のマコトは、そうした平素に――プライベートな時間を使って訪問しているらしい。

 それだけでも、二人の間には多大な親密さがあったと分かる。

 王族ともなれば、城に滞在する客人と会うだけでも、身なりを整えその権威を誇示する。

 それは単なる見栄ではなく、国威を正しく認識して貰う為でもある。


 だが二人の間に、そうした煩わしいやり取りはいらないのだと言っている様なものだった。

 マコトが鏡の端に現れたケルス姫を見ると、ケルス姫もまた鏡越しにマコトを見る。


 彼女が浮かべる柔和な笑みの中には、親しいものへ向けるもの以外に、幾らかの緊張も含まれている様子だ。

 ケルス姫は一度頷くと、マコトに向けて開口一番尋ねた。


「……では、宜しいでしょうか?」


「勿論、いつでもどうぞ。でも、あー……。まず、何から話すんだっけ?」


「このドーガを残す意味について、その説明をお願いします」


 ケルス姫が困った顔でそう言うと、マコトはおどけるように手を上げた。

 それから、まるで道化の様な動作で鏡に対して向き直る。

 敢えて滑稽な姿を見せる事で、彼女の緊張を和らげようという魂胆らしい。


 そして、それをするだけの価値があった様だ。

 ケルス姫の表情から強張りが減っている。


「――あぁ、そうだった。残す意味ね。……まず、安全の為。あるいは、安心の為」


 影になって見えない表情でも、ピエロに徹しようとする姿勢は、その身振りから分かる。

 ケルス姫には決して触れない様に手を伸ばし、それから一歩離れ膝を付き、愛を乞う様に手を伸ばす。

 

 片手を胸に当てそうやって伸ばす様は、まるで身分違いの恋を憂う観劇の様に見える。

 ケルス姫は今度こそ吹き出すと、上品に口元を抑えて笑った。


「もう……っ。やめて下さい。もっと真面目に。これはわたくし為である以上に、あなたの為でもあるのですからね……!」


「そうだった。……では、少し真面目に」


 立ち上がったマコトは、気を取り直して鏡へと向き直る。

 今度は道化の様な軽い雰囲気はなく、学者が教え子へ諭す様な雰囲気だった。

 その変わり身の早さに、些か困惑してしまう。


 ――マコトって、こういう奴だったのか。

 知ってはいけない他人の秘密を、知ってしまったみたいな妙な居た堪れなさが生まれた。


「この世界にやって来て、僕は大きな力を手に入れた。現実的には無いとされた力、妄想の産物――或いは空想上の夢物語、……魔法だ。物理的にも、力学的にも有り得ない現象を、現実のものとして発現させる。不可思議な現象を生み出せる」


 そう言ってから一拍置いて、その両手を腰に当てた。


「原理として異なる物を下地にしているのだから、現代の科学万能と言える世界で生きてきた人間に、理解できないのは当然だ。知っておくべきは、これが妄想ではないという事。そして、現実化する現象であるという事」


 そして今度は、右手を持ち上げ顎の下に握りこぶしを当てる。


「だが、魔法とは単なる現象ではない。……可能性だ。多大な可能性であり、大いなる可能性でもある。現代合理主義にかぶれた頭では、決して正しい道を選び取れないだろう。こちらの世界で長いこと過ごし、十分に頭を柔らかくしてからでなくてはね」


 そう言って、鏡の奥から睨みを利かせる。

 何に対して言い聞かせているのかは明白だ。

 かつてのマコトは、今のマコトに対して語りかけ、警告している。


「魔法の可能性は無限大。出来る事は多く、為せるべき事も多い。だが、勿論……未だその全貌を見た訳じゃない。人の一生では、決して辿り着けないものだろうな」


「あなたは少し、理屈っぽくていけません。もっと嚙み砕いて説明して下さい。一つの結果を得る為に、取れる手段は多い。……つまり、そう言いたいのですよね?」


「あぁ、そう。そういう事だね、ケルス。――だから、魔物を滅する為に、全てを吹き飛ばすなんて考えない。安易で安直、馬鹿が考える方法だ。僕なら決して、そんな手段は選ばない。それは魔法や知識、これまで積み上げてきた叡智に対して、唾吐く行為だ」


 力強く断言すると、マコトは腕を組んで顔を前へ突き出す。

 影の所為で、やはり表情は上手く見えないが、その奥に燃える瞳だけは爛々と輝いて見えた。


「――いいか。このドーガを残す理由は、もしも記憶を全く失った時、その馬鹿をする可能性を潰しておきたいからだ。損なえる魔法があるのなら、損なう状況は起こり得る。――だから、言っておく。姫を信じろ。ケルス姫の言う事を信じて動け」


「でも、これから記憶を抜き出してしまうのですから、当然いま言った内容も忘れてしまう筈ですね?」


「そうなるだろうね。だから……」


 ケルス姫に向けていた顔を鏡へ戻し、更に一歩踏み出して語気を強める。


「次の言葉を心に刻め。このドーガだけを信じるんだ、この映像だけを。……なに、共に魔法技術開発で切磋琢磨した間柄、互いの事は良く知り得ている。ケルス姫を信じろ。それさえ覚えて……いや、刻み直してくれたらいい」


「魔法技術開発だけ……ですか? もっと親しい間柄では……?」


「おっと! 今の所はカットしておいてくれ。余計なチャチャは御免だよ」


 それまでの学者然とした態度は何処へやら、またも道化の様な素振りで降参を示し、ケルス姫も口元を上品に手で押させて笑う。


「あら、失礼しました。……では、ご自身でされます? それとも私が?」


「君に頼もう」


「分かりました。他に言う事はありますか? 無ければ始めてしまいますけど……」


「見るのが僕なら、これだけで十分。いつでもどうぞ」


 マコトが膝を付き、そこにケルス姫が両手を左右で包む様に置く。

 すると、彼女の身体から魔力の奔流めいたものが湧き上がった。

 それが両腕へと移り、マコトの顔面まで迫ると、映像は七色に変化して消えてしまう。


 記憶の再生が終わった合図だった。

 ヘルメットに映し出されていた映像は完全に消え、元の景色が戻ってきた。


 ――何を信じて良いか分からない。

 それを改めて、思い知らされた気分だった。


 マコトも椅子に座ったまま、呆然として動き出そうともしない。

 マコトはそれから一分経ち、二分経とうとも、動き出そうとしない。

 力なく両手を足の上に投げ出し、視点も遠くへ固定されたままだ。


 考える事は幾つもあり、そして整理したい考えも数多くあるだろう。

 暴れ出さないだけ、理性的と言えるかもしれない。


 マコトには、シュティーナとケルス姫、双方から記憶を提示された。

 彼女たちが勝手に持ち出す言い分ではなく、かつてのマコトが残した記憶という証拠だ。

 そのマコトが、双方違う言い分を残している。


 シュティーナは信用できる。

 ケルス姫を信じろ。


 どちらの記憶も、失った時に備えて、頼れる人、頼るべき人を指示したものだった。

 だがそれも今や、現在のマコトを混乱させるものにしかなっていない。

 途方に暮れて当然というものだった。


 そこへ脳内を震わせる念話が届き、マコトはびくりと身体を震わせた。

 そして間もなく繋がった声から、ケルス姫の気遣う口調が発せられる。


『そろそろ見終わった頃だろうと思い、連絡しました。……どうでしたか』


「どう、って……」


『その映像は早い段階で隠されてしまっていて、探すのに随分時間が掛かりました。破壊されていなかったのは幸いで……、いえ逆に利用したいから残していたのかも……』


 利用すると言っても、これを見せられたらケルス姫の利にしかならないだろう。

 仮にシュティーナがこれを見せて来たとしても、記憶を抜き取る手段を、ケルス姫が間違いなく所持している証拠が手に入るだけだ。


 だが、それと同時に、かつては互いに親密で、冗談を言い合える仲だと教える事にもなってしまう。

 マコトは自分の意志で記憶を抜き取る許可を与えた。

 その時抜き取ったのは、この映像だけだったに違いないが、それでも信頼し合った仲でなければ他人にやらせたりしないだろう。


 ドーガの中の会話では、マコト自身で行うか、という気遣いもしていた。

 その上でマコトがケルス姫に頼んだのだ。


 かつてのマコトと姫は、間違いなく協力者だった。

 シュティーナの様な自爆覚悟――自爆前提の破壊案ではなく、魔法の可能性は無限という理念で、別の行動で解決を図ろうとしていたのだ。


 ケルス姫も当然その考えでいて、反目し合っていないのに、全ての記憶を奪う理由がない。

 分かった事は、姫と実に仲が良く、そして協力し合って事に当たろうとしていただけだ。

 そして、もしもの危険性を考え、保険の為に残した映像に過ぎなかった。


 マコトは視線を移し、記憶魔石が仕舞われていた一番下の引き出しを見る。

 奪い返した魔石を隠そうとするには、ここも安全な場所とは言えない。


 むしろ、あまりに無防備な隠し場所だった。

 だが、マコトに見せるつもりでいたのなら、あまり凝った場所にも隠せなかったのかもしれない。


『ともかく、私はあなたを説得し、思い留まらせたかった。ただそれだけで、また再び共に手を携えたら、そう願っていましたが……、きっとこの想いは届かなかったでしょう』


「そんな事は……、一度は話を聞いてみないといけないとは思ってた」


『でも、敵意が先にあって、素直に耳を傾けるのは難しかった筈です。だから、あなたの口から出た言葉でしか、信用させる方法はなかった。そしてだからこそ、今は幾分素直に、話を聞く気になってくれたのではないですか?』


「……それも、確かに。頭から拒絶する訳にはいかないと、そう思える程度には……」


 彼女の予想は正しく、狙いは見事に的中していた。

 ケルス姫にも、彼女なりの信念があったのだろうとは分かる。

 そして、その為の最善を追求していたのかもしれない、という事も。


 マコトがその手中を離れ、良い様に利用されるなど許せなかっただろう。

 臣民諸共、国を破壊されるなど、ケルス姫からすれば悪夢そのものだ。


 だが、分からないのは、シュティーナが誘導した先にあった記憶魔石と、内容が真逆な事だった。

 どうしてかつてのマコトは、このような記憶を残したのだろうか。


 マコトの記憶は、虫食い状態だ。

 虫食いどころか、そもそも真っ白なキャンパスに点が幾つかある様な状態で、それ以外の一切を知らない。


 だが、異なる二つの意見があるというなら、その空白部分に異なる意見を言うに至る原因がある、としか考えられなかった。


「一つ……聞かせて欲しい」


『勿論、何でもお答えいたします』


「今の僕に、一切の記憶が無いのは、どうして……? どうして、そこまでする必要があったのかな。反目せずにいて、それで記憶を奪うのは不自然だ。でもシュティーナは、貴女が記憶を抜き取った、と言っていた」


『シュティーナ……?』


 ケルス姫の口から出たその一言は、酷く冷たい声だった。

 それ以降、沈黙してしまって会話が続かない。

 ただ、その沈黙の向こうで、何か思案に暮れていそうな雰囲気だけは伝わっていた。

 痛い程の沈黙が暫く続き、そして唐突に声が返ってくる。


『因みに、それはいつ聞いた話ですか……?』


「何分前とか言う話なら分からないけど、こっちに来る前……西棟で」


『では……、なるほど……。つまり、そういう……?』


 今度は沈黙でこそなかったが、自分ひとりに言い聞かせている様な口ぶりだった。

 マコトとの会話を放り出して思考に没頭したい程、今の回答に思う所があったらしい。

 それからまた暫く放置されてしまい、やや待たされた後に声を掛けられた。


『まず、こちらからも確認させて下さい。あなたの言うシュティーナとは、どういう人ですか?』


「どうって……、メイドのお仕着せで、上品な立ち振舞いで……。お城のメイドっていうのは、多分こういう人なんだろう、っていう所作があって……。ちょっと冷たい印象の……」


『もう十分です。よく分かりました。……良いですか、良く聞いて下さい。――そんな人物、我が城に居ません』

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