はちゃめちゃやって、死んでいきたい 1



 四日後。すべての科目の定期テストが終わって。

「やまとー!」

「わっ!?」

 教室の中、帰りのホームルームが終わるやいなや、望はすぐ私に抱きついてきた。

「ようやく終わったよー、地獄から解放だよー! ってか、あの人マジですごいね。教えてもらったところ、ほぼドンピシャだったんだけど!」

 彼女は笑顔で言う。なんだか私も嬉しくなった。

「私も、尊敬してる」

 咲先輩に注意すべきだと言われた箇所は本当にその通りで、暗記科目に関しては予想した問題がそのまま出てくるようなこともあった。高校に入って初めての山場を越えたと言える。清々しい気分だった。その気持ちを望と共有できたことが、なによりも嬉しい。

 彼女は続けて言う。

「なんか、すっごい発散したい気分ー。なんか良い案ないの? やまとー」

 私の跳ねっ毛をいじりながら、彼女は体重を預けてくる。その華奢な体つきのせいか、重いとは感じない。むしろ柔らかくて良い匂いがして、少し気持ち良い。過度なスキンシップにも少しずつ慣れてきた。彼女との関係も、一歩ずつだけれど、前に進めているのかもしれない。

 そのエネルギーには、中々ついていけない私だけれど。

「じゃあ、デートとか、してみる?」

 そう言ってみた。

 彼女は一瞬、驚いたような顔をする。

「もしかして、初デート?」

「うん」

 そして、恍惚とした顔を見せた。私に抱き着いたまま私の肩で口元を隠し、そのにへらとした笑いを見えないようにする。

「それ、最高かも」

 私が訊こうと思っていたことを、望は率先して聞いてくる。

「どっか、行きたい場所とかある?」

「うーん。動物園とか、水族館とか?」

 その顔は明らかに変わる。薄い目をして、私を軽蔑するかのようなその表情。

「な、なにその顔」

「つまんないよー。やまとなら、もっと面白いアイデア出せるはずでしょ?」

「だって、咲先輩の家で、水槽に見惚れてたじゃん!」

「非日常だからいいんだよ、あーゆーのは!」

 やはり、彼女の頭の中はよくわからない。良い機会ではあるけれど、こうなると不安が残る。私では彼女を満足させられないのではないか……。

 いやいや。まずは楽しめと、咲先輩に言われたではないか。それなのに、こんなに卑屈になるのは良くない。

 なにかあれば。私の残った不安をすべて払拭してくれるような、そんななにかが、あとひとつ。



「橋田!」

 教室の外から突如呼ばれて、驚いた。

「小夜先輩? どうしました?」

 彼女は素早く私たちの元へと近付いてくる。そういえば、私はいま望に抱き着かれていて、そのようすを直に見られている。さすがに恥ずかしくなった。しかし払いのける訳にもいかず、私はその状態のまま小夜先輩の言葉を聞く。

 彼女は両手を腰にあて、たくましさを前面に出しながら言う。

「なんだ、一ツ木も一緒か。すまないが借りていくぞ。先輩として、こいつに教えなきゃならんことがある」

 私の手を取り、まるで魔法使いのように、望から私を自然に引きはがす。教えなければならないこととは?

 疑問を口に出す前に、私は先輩に連れて行かれる。

「ま、まって! わたしもいく!」

 望は慌てたようすで言った。私は二人に板挟みになって、つい先輩を頼り、答えを委ねてしまう。

「さ、小夜先輩」

「まったく構わんが、多分ついてこれんぞ?」

 先輩の言葉に、望は頬を膨らませる。

「馬鹿にしないで!」





 そうして連れて来られた場所は、グラウンド。

「次、チームF。初め!」

 小夜先輩は叫び、笛を吹く。横並びになった十数人の吹奏楽部員と私たち三人は、いっせいに走り出す。チームAから順番に部員がどんどん外周へ消えて行き始めたときから、望の顔は徐々に青ざめていった。私たちの服装は、既に運動用のジャージに変わっている。

 そしてとうとう疑問が爆発したのか、望は走りながら叫ぶ。



「な、なんで文化部がこんなトレーニングすんのよー!?」

 私たちは全国一位の吹奏楽部の、テスト明け一発目の練習に参加させられていた。

 体を温めるため、特定の数の外周を終えるまで部員はノンストップで走らされる。ときにはこのランニングや筋力トレーニングだけで練習が終わってしまうこともあるらしい。小夜先輩が考案し、部員たちは進んでこのトレーニングを行っているというのだから、なおのことこの高校の吹奏楽部は恐ろしい。

「これぞ我が校の強さの秘訣だぞ、一ツ木」

 先輩は望の横を並走しながら、涼しい顔で言う。

「何事も筋肉なのだ。フィジカルさえあれば、どんなときにも前へと進める力が手に入る。音楽も恋愛も一緒だ。先輩からの教訓だぞ! ほら、ペースが落ちてる、走れ走れ!」

「ひぃぃー!」

 背中を叩かれた望は、今にも泣きだしそうな顔で悲鳴を上げる。案の定、彼女はずるずるとペースを落としてはるか後ろを走るようになり、やがて見えなくなった。他の部員の姿も、私たちの周りからいつのまにか消えている。

 そうして二人きりになったタイミングで、私は切り出す。

「すごいですね。こんな強度、運動部と変わらないですよ」

「ん?」

 彼女はこめかみから数滴、汗を垂らしながら、口角を上げて私を見る。そこに疲れは微塵も見えない。私は元剣道部で散々持久力トレーニングをやらされてきたからこそ、この走りについていけるけれど。先ほど見せてもらった今日のメニューは、当時行っていたトレーニングの強度に負けず劣らずだ。

 それなのに、小夜先輩はいっさい威張らない。

「私は何もすごくない。私と顧問を信じてついて来てくれる、後輩たちがすごいのだ」

 綺麗だった。どこか遠くを見つめて、しかし行く先ははっきりと見えているような、妖艶なその姿。

「今、うちの吹部は最高の状態にある。今年も必ず一金を取れると信じている」

「先輩が校内で有名な理由、なんだかよくわかります」

「む。私は有名なのか?」

「はい。とっても」

「そうか。だからこそ、橋田と出会えたのかもな」

 私が感傷に浸ったとき。先輩は突如方向を切り返した。

「ルートを変えるぞ」

「え? こっち、校外ですけど……」

「ソウルメイトだからな」

 外の世界へと通じる門へと走りながら、彼女は振り返る。

「黒井小夜だけの特別メニューだ。心してかかれ」

 その背中から、ちょうど日が差し込む。彼女の汗は輝き、黒髪は風に揺れる。ふわりと、鼻にその匂いを感じた。花と少しの汗が混じった、彼女の隣でしか嗅げない匂い。友だちになったばかりの私が、感じてしまっていいのだろうか。

 そう思ってしまうほどに、小夜先輩の姿は美しかった。

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