束の間の遊戯-09-

 と、その時、綾音さんと目が合う。


 彼女は涙目で俺をキッと睨むと、


「うう……やっと克服できたと思ったのに、こんなの酷い……」

 

 地面に座り込んだまま涙声でそう漏らす。

 

 俺はなんと言ったらよいかわからずに、綾音さんのその様子にただ困った顔をして見る。

 

 綾音さんは、フラフラとした足取りで立ち上がると、壁にもたれかかりながらも、そのまま部屋から出ていってしまう。

 

 麻耶さんが、


「ち、ちょっと……綾音、どこに行くの!」

 

 と、綾音さんの後ろ姿に声をかけるが、綾音さんは麻耶さんの呼びかけも無視してどこかへと行ってしまう。


 一人残された麻耶さんはどこか心細そうな面持ちをして、未だに地面に座り込んだままだった。


 『ウォークライ』は物理的なダメージを与えるものではないが、麻耶さんの様子もかなり変だったから、俺は気になってしまった。


「えっと……大丈夫ですか?」


 さすがにこのまま無視するのもどうかと思い、俺は麻耶さんに手を差し出す。


「ひ……さ、触らないで……また疼いて……それにああ……もう……腰まで抜けてしまったわ……」

 

 麻耶さんは俺の手を拒んで、上目遣いに俺を見る。

 

 言動はいつものように怒っているが、どうもその様子がおかしい。

 

 その両目は潤んでいて、どこか俺の様子を伺っているように見える。

 

「あ、あんなことをして……ま、また……お、怒っているの?」

 

 どうやら麻耶さんは俺が機嫌を損ねて大声を出したとでも思っているらしい。

 

 さすがに俺もいい年をしたオッサンだ。

 

 そんな馬鹿なことはしないが……確かにはためから見れば、突然人前でがなり立てているオッサンなのかもしれない。

 

 やはり緊急事態だったとはいえ、この世界で、人相手に……ましてや女性相手に使用するべき業ではなかったのかもしれない。

 

 屋敷は守られたが、俺の印象は地に落ちてしまったのかもしれない。

 

 いや……麻耶さんと綾音さんからの評価は認めなくはないが客観的に見て、もともと最悪だからこれ以上は落ちないか……。

 

 だが、せっかくそこそこ好印象を維持している花蓮さんからの評価まで落ちるのは困る。

 

 俺はおそるおそる花蓮さんを見る。


 花蓮さんと鈴羽さんは二人とも未だに壁にもたれかかりながら驚きの表情を浮かべている。


「……あのすいません。ビックリさせてしまいましたよね?」

 

「い、いえ……少し驚いてしまっただけですわ……あ、あの今のはいったい?」


「えっと……皆様のお気持ちを落ち着かせようとしたのですが……」


「え……そ、それだけのためにこんな……」


「いや皆様が大分その……気が立っていたようなので……」


 俺はそう言葉を濁す。


 放置していると、屋敷が炎上しそうだったので、止めたとは流石に言えなかった。


 花蓮さんは目をぱちくりさせた後で、鈴羽さんの方を見る。


 二人は互いに何かに気づいたように、苦笑する。


 やがて、花蓮さんが俺の方に向き直り、


「フフ……敬三様はやはり色々と規格外ですわね。お気遣い頂いて申し訳ありませんでしたわ。おかげさまで大分落ち着いたので大丈夫ですわ」


 と、お辞儀をする。


 隣で鈴羽さんが、


「ご主人様、ご心配かけました。ですが、ご安心ください。自分で言うのも何なのですが、わたしはいつも冷静に振る舞うようにしておりますので……」


 と、静かにそう言う。

 

 だが、なぜかブレスレットを触って物足りなさそうな顔をしている……ように見える。


 鈴羽さんのその行動は俺に不安を覚えさせるのに十分なものであったが、あえて見なかったことにした。


 ふと麻耶さんの方を見ると、いつの間にか美月さんが、側に立っていた。


「……お母様、手を貸しましょうか?」


 そうにっこりと笑って、麻耶さんを見下ろしている。


 美月さんのその表情は、満面の笑顔だった。


「ひ、ひとりで立てるわ。ああ……まだ腰が……もう……」


 麻耶さんはそう言うと、美月さんのことを無視して、壁によりかかりながら、立ち上がろうとするが、結局立てなかった。


 麻耶さんは、恥ずかしげな表情を浮かべながらも、しぶしぶ美月さんの手を無言で取る。


 その瞬間、美月さんの表情がニヤリとした何とも言えない微笑みを浮かべたように見えたが……まあ気の所為だろう……いやそういうことにしておこう。

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