第10-2話

 メッセージは『あとで連絡がほしい』というものだった。

 電車に乗りこんだ紅緒は、メッセージアプリで如月に連絡を入れた。仕事中だと思われたが、彼の返事ははやい。

『お疲れさまです、いまメッセージに気がつきました』

『五月の連休、予定はありますか?』

『ゆっくりするつもりでいます』

 連休の予定――ということは、一灯電社の仕事は関係ないのかもしれない。

『なにかあるんですか?』

『引っ越し予定があるんですが、三嶋さんにおつき合い願いたい場所があって』

『手伝いですか?』

 素人が迂闊に手を出さず、業者に頼むのが一番ではないか。

『引っ越しはまだ先です。副業の兼ね合いで、見てほしいものが』

 詳しく内容を尋ねるか迷う。迷った挙げ句、紅緒は尋ねるのを止めた。いまでなくてもいい。

『わかりました』

 力仕事でなく副業絡みなら、とりあえず了承してもかまわないだろう。

『如月さん、会社を出たらやさかさんがいました』

 返事にすこし間があった。電車が駅に止まり、ひとが降りまた乗ってくる。目の前の座席が空いたのを幸いと、紅緒はそこに腰を下ろした。

『道の外ですよね? いたの』

『そうです。こっちを見ていた気がします』

 わかった! とうなずく猫のスタンプが送られてきた。宅配業者が配布している無料スタンプだ。

『三嶋さん、明日の予定はどうですか?』

 翌日は金曜日である。時間を取って副業の話を聞いたほうがよさそうだ。

『とくには』

 OK! と親指を立てる猫のスタンプが送られてきた。

『それではまた明日』

 返事の代わりに、紅緒も寝ている猫のスタンプを送る。おなじく、宅配業者が配布しているものだった。



 仕事中かもしれない、と如月に重ねてメッセージを送るのを避け、確認を怠ったのが悪い――翌日、紅緒は自分にそう言い聞かせていた。

 紅緒は如月を手伝い、残業をしている。

 予定がないなら、と笑顔を浮かべたときだけ、やけに彼の顔をはっきり見ることができた。

 どこかのタイミングで副業のことを訊けたら、と思っていた。が、ほかにも残っている同僚がいるため、そちらの話はまったく聞けないでいる。

「ふたりとも、晩飯どうします?」

 同僚の牧村から声がかかり、紅緒は顔を上げた。時計の時刻は八時を過ぎている。

「もうそんな時間ですか? ここまでにして今日は上がろうかな」

「まだスーパー間に合いますね、私も上がりたいです」

 品揃えは薄くなっても、住まい近くのスーパーならなにかしら調達できる。

 帰宅する方向に気持ちが向くと、合図でもあったかのように紅緒たちは仕事じまいをはじめていた。

 広げていた資料を片づけていると、隣席からメモが投げられてきた――『着替えたら、コンビニで待っていてください』。

 残業ついでに、副業の話を聞くことになりそうだ。

「お先に失礼します」

「おつかれさまぁ」

「三嶋さん、残りも月曜にお願いします。お疲れさまです」

 それにこたえず、紅緒は更衣室に向かう。すでにエレベーターを使うことに抵抗はなく、マークを目にしても身構えない。慣れとは怖いものだ。

 さっと着替えコンビニに向かうまでの間に、空腹感が強くなっていった。もうスーパーには寄らず、コンビニで夕食を買うつもりだった。

 コンビニで紅緒は、おにぎりやサンドイッチの陳列棚で陣取り品定めをする。

 その背で自動ドアの開閉する音を聞き、顔を上げると如月が入店したところだった。

「三嶋さん、お待たせしました」

「あ、如月さん。話って長いですか?」

「なにか買いますか? タクシー呼んでます、すぐ移動しますよ」

「え? まだ電車ありますよ」

「すぐ来るそうです」

 如月が見せてきたのはスマホの画面だ。タクシー会社の配車依頼アプリが表示されている。

 予想と違う流れらしい――紅緒は適当におにぎりを複数つかみ、レジに向かった。


        ●


「ここに引っ越す予定なんです」

 どうとも返事のしにくい紅緒の前には、古びているが大きな家がある。

 三世代くらいの大家族でも暮らせるのではないか、そんな家を転居先に決めたという如月の横顔をまじまじと見つめた。

 いくら古くても、大きい家は単純に家賃も張る。知らないだけで、大家族なのだろうか。

 紅緒の視線を受けても、如月は気にしていないようだ。

 コンビニのおにぎりを口に入れた如月は、ぐるりと周囲を指先でしめしていく。

 如月が咀嚼中のため、彼の言葉を待たずに紅緒はあたりを見回した。

「……へんなところですね」

 空気が薄く、街灯の数は十分そうなのにあたりは薄暗い。周囲の家々から明かりが漏れていない、と紅緒は気がついた。

「お留守のお宅が多いんですかね」

 まだ時刻は十時になる前である。周囲がやけに静かなことにも気がつき、紅緒もコンビニのおにぎりを手にした。

「なんでまたこんな時間に……夜にどんな感じか、確かめに来たんですか?」

 昼夜、平日と休日――住まいの環境がそれぞれどんなふうに変化するか、確認するのはいいことだろう。

「私が来る必要なかったんじゃ」

 おにぎりをかじる。海苔はパリパリしたものより、湿ったものが好きだ。あまりに適当に購入したため、湿ったタイプのものはひとつだけだった。それは如月が食べている。

「副業の話、早めにしておいたほうがいいかと。八尺御寮のことも確かめたかったので」

 タクシーの車窓、道端に立つワンピースの女――八尺御寮を紅緒は見つけていた。結界石で守られた道には入れないようだが、紅緒たちが乗りこんだタクシーはそこから外れた道路を走った。

 走り出したタクシーの背後に消えていった彼女の視線を感じた気がする。

 紅緒だけでなく、如月も彼女に気がついていた。

 タクシーに揺られたのは三十分弱、到着した場所は立地としては上等なはずだ。会社も繁華街も近く、大きな商店街もある。到着するまでの道は明るく、大きな病院もあった。

「このあたり、住んでるひとはいないんです」

 静かな家々に目を向ける。

 ――暗いのはそのせいか。

 無人と聞かされると、今度は紅緒は首をかしげることになった。

「点いてますよ」

 紅緒は家々の玄関先に灯る明かりを指差す。家から光は漏れていないが、玄関灯は煌々としたものだ。

「いちおう、住んでいる体にはなってます。このあたり、あまりに土地がきたないので確保してあるんです」

 コンビニのビニール袋からもうひとつおにぎりを取り出す。昆布だ。紅緒はそれを割り、半分を如月に手渡した。

「土地が穢い?」

「平たくいうと、呪われた土地ですね。ひとが暮らすとえらい目に遭います」

「どんな」

「壊れます」

 そこに如月が引っ越す――それはどういう状況なのか。

「壊れるところに引っ越すってことは、もう如月さんは壊れてるってことですか?」

「そんなわけないでしょう、俺は壊れてませんよ。壊れませんし」

 如月はおにぎりを咥え、ポケットから鍵を取り出した。その先端が暗い家を指し示す。

 門扉があり、家とちいさな庭はぐるりと塀に囲まれている。横板を敷き詰めたような塀の隙間から、紅緒は家をのぞいてみた。暗い家があるだけだ。なにかが見えるかもしれない、といやな予感があったのだが、予想が外れて紅緒は嬉しかった。

「三件連続殺人の現場になったんですが、死体遺棄現場が離れてるんですよ。あと異状死が二件。いまはちょっとした心霊スポットってことで」

「……ここに住むんですよね? 如月さん」

「三嶋さんもどうです? どこでも好きな家を選んでいいですよ」

「いまのアパートで十分です」

「家賃かからないですよ」

 引っ越すつもりはさらさらないが、紅緒は玄関灯だけが灯っている家々に視線を走らせていた。どれも外観がきれいだ。

「どこからどこまでが、悪い土地なんですか?」

「穢いだけで、悪くはないです。このへん一帯は全部そうですね。あっちに貸倉庫があって、こっちに材木置き場があります。で、そっちには時間貸しの駐車場。そのあたりまでですね、穢いのは」

 あっちこっちそっち、と通っている道の先を如月は示していった。現在地はどんづまりだ。

「掃除してきれいになるわけじゃないですよね、そういう穢さって」

「恨みがどうのって次元じゃないですから、時間が経って薄くなるのを待つ感じで……百年あったらどうなってるかなぁ」

 如月の顔がそっちと説明していたほうを向く。

「めずらしい」

 ひとが歩いてくる――二人組だ。

 あちらもあちらで、家の前に建つ紅緒たちに気がつき、なにやらこそこそを話している。ひとに行き会うと思っていなかったのだろうか。そんな態度だ。

「如月さん、なかに入りますか?」

「あのひとたち、見た顔ですね」

 如月がそちらに向かって会釈をする。

 ノイズ混じりの如月の頭と、やってくる若い男性たち。

 見比べていた紅緒は、警戒を浮かべた彼らが動画配信を勤しむ顔だと思い当たっていた。

「如月さん、マチマチャンネルってやつですよ」

 こっそり囁くと、如月は首をかしげた。

「誰でしたっけ」

「豊田さんの」

「……ああ、はいはい、あーね」

 有志が集まって制作した番組を、インターネット上で動画配信しているのだ。それを指してなんと呼べばいいのか、紅緒にはよくわからない。

 紅緒が即座にそうと気づけたのは、彼らが身に着けたスタッフジャンパーの胸元に、マチマチという文字とテレビを模したらしいシンボルが描かれていたからだ。制服をつくるくらいなのだ、利益を得て運用されているのかもしれない。

「こんばんはぁ、ご近所の方ですか?」

 高めの聞き取りやすい声だ。

「急にすみません、僕たちマチマチャンネルっていう番組制作をしているものです。取材をしているんですが、お話うかがえませんか?」

「噂話とかそんなような……お時間いただいて大丈夫ですか?」

 まだ住民といっていないのに、彼らは話しはじめている。

「僕は町谷といいます、こっちが清水で……ちょっと怖い噂、みたいなのを調べてます」

 マチマチャンネルでもオカルトマッチマチでもなんでもいい。紅緒はどうこたえたものか、如月を見上げた。べたりと大粒の闇が滴り、その下で彼が微笑んでいる。任せてしまおう。

「噂って、ここの曰く付き物件だっていうアレですか? 聞いたことありますよ」

 そんな話があるのか。

「お耳に入ってますか? でもあの……なんというか、お住まいの方で……?」

「いえ、これから引っ越してくるんです。噂になってるみたいですが、曰く付きだなんてとんでもないですよ。家の持ち主の方、その噂に困ってらして」

「なんでも殺人があったとか、以前住んでいた方が浴槽で亡くなられて、その」

 ひどい内容だ。よくこれから住むという相手を前にして言えたものである。

「ああ、湯船で溶けたっていうやつですよね」

 如月の声に笑いが滲む。滲んでいるだけで、見せかけのものだ。

 紅緒は手に提げたコンビニのビニール袋を持ち直した。残っているおにぎりはあとひとつだ。ビニール袋を丸めてトートバッグに入れる間に、町谷と清水が距離を縮めていた。

「そういうお話は気にされないんでしょうか」

「とんでもない、家主さんと知り合いなんです。おっしゃってる浴槽での件ですが、出棺前にお別れしましたよ。溶けてなんていませんでしたから……どこからそんな噂が出たのかわからないですけど、家主さん怒ってました」

 如月は笑う。

 マチマチャンネルのふたりは、追従のような笑い方をした。

「そ、それで……これからここに住むんですよね、おふたりで?」

「え」

 紅緒は驚いて思わず声を漏らす。そんなふうに見えてしまったか。如月から少し離れて立ったほうがいいかもしれない。

「そうですよ、仕事帰りなんです。家具を買うので部屋の寸法を測りにきて――そろそろいこうか」

「え、ええ」

 ひとまず彼らから離れたほうがいい。

 紅緒は如月の手のひらを背に感じながら、暗い家に足を向けていった。

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