第3-2話
「どうでしょうね」
あたりの景色に首を巡らせる。先ほどまでいた場所と違うものになっていた。
薄曇りの景色は霧がかり、先を見通せない。商店などの建物は見当たらず、紅緒を乗せてきた駅も線路も消えている。
視野の利く範囲でも、これまでと似ても似つかない場所になっていた。
景色の色味がひどく希薄だ。
彩度を欠いた景色に、紅緒は如月と立っている。いつもと変わらず如月は頭から闇を被り、滴らせていた。
「ここって」
しつこく話しかけてきた男性の姿はどこにもなかった。
「私、トイレのなかに……ぐいって……」
「まあ、あのひとたちは異常なものを撮影にきたようですから、ちょっとは盛り上がるでしょう」
ぼたりと闇が滴り落ちる。重油のようなそれは、虚空でかき消えていった。
「いま中川さんからメールがきたんです。文字化けして読めなかったんですが……」
スマホの画面を向けて見せようとすると、先に如月が手にしたスマホを振って見せてくる。
ぶら下がっているストラップに見覚えがあった。
中川がスマホのケースにつけていたものだ。どこかのご当地キャラだと話していた、唐辛子のマスコットだった。
「如月さん……それ」
数回振って、如月はそれを放り投げる。
放物線を描くそれを目で追う――ごとん、と重い音がした。
落ちた先には、いくつものスマホが転がっている。
その数を無意識に紅緒は数えていた。
「……九台」
失踪者は、九人。
転がっているスマホに近づこうとし、紅緒は足を止める。
「如月さん、中川さんたちがここにいるかは」
「いるのか、あるのか」
生死についてはわからないらしい。
だが『いる』でも『ある』でも、それがここなのだと如月は知っているのだ。
如月はここで――先ほどと違う場所であるここで、中川たち一行と別れたのだろう。
うーん、と迷うような、空々しい声を如月は出した。
「じゃ、見にいってみましょうか」
ゆったりとした足取りで、如月は歩を進めていく。
彼を追う前に紅緒は地面に落ちていたスマホをかき集め、トートバッグに放りこんだ。九台ともなるとけっこうな重量だ。トートバッグの底にある饅頭が潰れるのでは、と歩き出してから心配になっていた。
「スマホ、持っていってどうするんですか?」
「持ち主に返したいんです」
だってスマホは高いから。
「それだけですか?」
「……持ち主がいるなら、そのひとが持っているほうがいいじゃないですか」
言葉を重ね、紅緒はひとりうなずく。
価格だけでなく、スマホは肌身離さず持ち歩くようなアイテムになっている、愛着を持っているひとも多いだろう。
「返してあげたい?」
「です、ね」
ザクザクと歩を進めた数だけ、土を踏む音が耳に届く。
ほかの音はない。
気配もない。
首を巡らせた目線の先にあるのは、見通しのあまりよくない殺風景な道だ。
砂利と土と雑草。ここでも建物は見当たらなかった。
「静かですね」
生きものがいないようだ――紅緒の耳は遠くから流れてくる高い音を拾った。
どこから流れてくるのか、判断が難しい。しかしその音は徐々に大きくはっきりしていった。いくつもの音が重なっている。
「……お祭りの、音?」
紛れもなく祭り囃子だ。
笛や太鼓、鉦が絡み合った音色は、ぐるりと紅緒を取り巻いていく。誰かが奏でなければ聞こえるはずのない音。
「季節外れ、ですよね」
音の出所を探してみるが、紅緒はすぐにあきらめた。周囲に遮蔽物のない環境のせいか、祭り囃子の音色は四方八方から聞こえている。どこからなのか、見当がつかない。
「ここはそういう季節なんですよ」
如月の歩みが遅くなる。
「ここではずっと祀ってるんです」
祭りがおこなわれるなら、なにか祀られているのだろう。
「如月さん、ここに来たことあるんですよね?」
「まあ、そうですね。そんな気はなかったんですけど」
「……誘われたから?」
「違いますよ。三嶋さんが風景写真を見たがったから、仕方ないでしょう」
如月の黒々と闇が滴っている頭が動いた。あたりを見回すような動きだ。紅緒もそれにならい、あらためて景色に目を向けた。
「ここ――きさらぎ駅?」
「ここに駅はないんですけどね。きさらぎ駅っていうのは、こことは関係ない怪談話です。ただたまたま迷いこんだひとが、きっとここがきさらぎ駅なんだろう、って思ったみたいで」
「じゃあ、ここはどこですか」
足を止め、如月がなにかいった。
その言葉が聞き取れず、しかし紅緒は聞き返さなかった。
知らないでいよう、と如月から顔を背ける。
「私、風景写真なんて、見たがりましたっけ」
見たいといったような気もするし、そうでもない気もする。
ただ土産として見せられたとき、なんとコメントしたらいいかわからない景色だった。
なにもなく、陰鬱。
ここで祀られる神というのも、あのにぎやかな祭り囃子でもなければ腐ってしまうのではないか。
「いまとなっては、どうでもいいです。こことあちらだと、やり取りもできなそうですし、スマホだって」
意味ありげに言葉を切った如月が、足を動かしはじめる。
明滅する光が遠くにあった。
霧がかかっていて、うっすらと山の中腹らしい、と判断できる。そこまで距離があることが嬉しかった。
祭り囃子の音色に耳は慣れたが、渦中に足を踏み入れるのは避けたい。
「……如月さんだけ、どうして帰ってこられたんですか?」
「いうなれば、俺はここに出入りする鍵を持ってるんです。でも管理人でもなんでもないから、ここがきさらぎ駅って呼ばれようとどうでもいい」
さらっといわれた言葉を、たやすく紅緒は受け入れていた。
「じゃあどうして、ここの写真を……」
写真を――紅緒に見せたくなかった?
ここの景色をおもてに持ち出されたくなかった?
ぐるぐると、低い音が如月から聞こえた。笑ったのだ。
「まさかほんとうに、あのひとたちがここに来られるなんて思っていなかったんです」
「難しいんですか?」
「そりゃあね。たまたま入りこんで、生還して、そこから怪談話の発端になっちゃうのはわかります。でもツアーを組んで出かけるとなると、ちょっと気になって」
渡る手段を確立されたなら問題だ、ということか。
「そこは確かめたんですか?」
「ええ。何カ所かそれっぽいところがあって、順繰りに巡るつもりだったようです、主催者は。ここが第一回だというだけで、まあ肝試しのノリですね。確実にきさらぎ駅に到着できるとは、さすがに考えてなかったらしくて」
「それが……第一回で、大当たりだった」
「そうです」
到達できるできないどころか、実在さえあやふやな場所だ。それが大当たりだった。
一行はここだと気がつけただろうか。
「なんだかんだで、如月さんもツアーに参加してたんですね」
参加しなかったといっていたが、同行したならそのうち嘘も発覚しただろう。万一警察が介入するようになったら、あっという間だったのではないか。
「俺はただついていっただけです。誰も俺が一緒だなんて気がついてない」
なにいってんだこいつ。紅緒はため息を隠さなかった。
「俺がなにをいってるか、よくわかりませんか?」
「わかりたいのかも、わかりません」
光の明滅が目立っていく。周囲が暗くなってきているのだ。だが日が落ちるほどの時間が経ったとは思えない。
「夜の領域があるんですよ、そこにみなさんいます」
「夜」
あまり如月に質問をしたくない。
知りたくない、知らないほうがいいことを聞かされそうだ。
「ちょっと失礼」
如月が手をつないできた。彼の大きな手のひらも長い指も冷たく、死者の体温を連想させる。
紅緒は安堵していた。
如月の手が心地よい温度を持っていないことが、どうしてか嬉しい。
「如月さん、あれ」
規則的に石が置かれていた。
それぞれが黒い紐で石は括られ、特徴のある結び目は鎌首をもたげた蛇のようだ。
「なんでしたっけ、立ち入り禁止かなにかに使ってるのを、どこかで見たような」
一般公開された日本庭園で、立ち入り禁止の場所に目印として置かれていたのを覚えている。
点々としたものなのに、紅緒には一本の線がつくられているように見えていた。石は一列に、こちらとあちらを区切る線をつくっている。
如月は意に介した様子もなく、石の線を跨いでいった。
「うぇっ」
続いて跨いだ紅緒は、思わず声を漏らしていた。
あたりが一瞬で暗闇に包まれたのだ。
「な、なんで」
狼狽した声が漏れてしまう、深い闇だ。
突如紅緒たちを包み、先の空間を見通すことなどできないもの。先ほどまでの、霧がかかっているどころの視界ではない。
「ご覧の通り、こっちは夜なんです。手は放しませんから安心してください」
「ど、どういう……っ」
「ここの理屈は、ここだけのものです。覚えて帰らなくていいですよ」
そんなものか。
驚いたりするのは場違いかもしれない。そう思ったところで狼狽はするものだし、簡単に落ち着けるものでもない。
紅緒は如月の冷たい手を強くにぎりしめ、足を動かしはじめる。如月は急かす様子はなく、紅緒の歩みに合わせてくれた。
「……ここ、どこなんですか?」
きさらぎ駅だの異界だのというものの、もっとべつの説明がほしかった。安心できるものがいい、もしくは気が紛れるもの。不安になるようなものなら、如月には口をつぐんでいてほしかった。
「このへんは、門の神のための土地なんですけどねぇ。あのお囃子も、神のためのもの」
「ああ……祀ってるって」
門の神。
どんな神さまだとか、性質について尋ねるか迷った。
頭の奥でガンガンと警鐘が鳴る。余計なことに首を突っこまないほうがいい。
ツアーの主催者や参加者にはこの警鐘は鳴らなかったのだろうか。鳴っても無視をしたのか。なにより、どうして異界など目指してしまったのか。
「神さまの領域だから……中川さんたちは帰れなくなった……?」
如月が声を上げて笑う。
「勝手に入ったら、コラっていわれるのは当たり前ですしねぇ」
「……如月さん、ここの鍵を持ってるようなものっていってましたよね。中川さんたちのこと、ここに来ないよう止めてあげられたりは」
――どうして?
紅緒はそこで口をつぐんだ。自分だったらそんなことをするだろうか。親しい相手ならまだしも、会社の同僚だ。単独ではなく、ツアーまで組まれている。
ツアー。
そこに興味を惹かれるものたち。
「そっか……一網打尽」
入ろうとする第一陣が消えれば、さらに興味を引かれたものが訪れる。そのときには鍵を強固にしておけばいい。
もしくは、新顔もおなじ目に。
まとめて片すには、かえって目印をおいてあったほうが楽かもしれない。
「いましたよ、ほら」
指さされた先に、紅緒はなにも見つけられなかった。目を凝らしながらさらに進むと、そこにあるのが穴だとわかる。
九つの穴。
穴には九人がそれぞれ横たわっている。
「ずいぶん手がかかってるなぁ」
紅緒は軽い目眩を覚えていた。死人さながらに横たわった九人は、穴の底で真っ白い顔をしている。
「これ……墓穴……?」
びっくりするのを通り越し、紅緒はやけに冷静になっていた。
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