第十七話:最終決戦、開始

「■■■■■■――――!!!」


 水の【魔物】による咆哮が空間を震わせた。

 ビリビリとした空気の振動が体毛に伝わり、反射的にゾワワと逆立つ。

 あまりの音量に俺たちは思わず、伏せた両耳を両手でしっかりと塞いで無防備な状態のまま立ちすくんでしまう。

 当然、そんな隙を眼前の【魔物】が見逃すはずもなく、水の【魔物】は右前脚を大きく振り上げると、俺たちをめがけて勢いよく振り下ろした。

 即座に俺は青髪の女と金髪の男を巻き込むようにして両腕で抱えてその場から飛び退き、二人を下敷きにして地面へと倒れ込む。

 そしてそのまま、地面と衝突して散った大量の水によって成す術なく押し流され、今度は俺が緩衝材となって家屋の壁へと勢いよくぶつかった。

 その際に青髪の女から悲痛な声が上がったが、ケガ人への配慮をしていられるほどの余裕はなかったのだから仕方ない。

 津波を起こすような水量の前脚に押しつぶされて、圧死と溺死を同時経験することに比べればマシだと思え。


「どうして私を庇ってくれなかったんですか」

「……そうやって余裕綽々と話しかけてくるのが目に見えてたからだよ」


 ぶつかった衝撃で痛む背中を押さえて立ち上がる俺の横で、呑気な声音の【魔人】が声をかけてくる。

 如何なる方法でもって今の攻撃を回避したのかはわからないが、【魔人】の身体は一切濡れていない。

 目の前では金髪の男がゆっくりと青髪の女を起こしており、苦痛で歪む女の顔は恨めしそうにこちらを睨みつけていた。

 どうやら今の緊急回避でどこかしらのケガが悪化したらしいのだが、睨むなら俺ではなく攻撃を仕掛けた【魔物】にしてくれ。

 俺たちは全身を勢いよく振って毛が吸い込んでしまった水分を飛ばし、速攻で態勢を整える。

 小さい頃は行儀が悪いとこっぴどく怒られたこの方法だが、他のヤツらも同じことをしている上、現状では最も効率のいい方法であるために大目に見てもらいたいところだ。

 幸いなことに、水の【魔物】は今の攻撃で盛大に破裂した前脚を再生している最中らしく、追撃はない。

 どうやら、知能はあまり高くないらしい。

 二人を退避させるなら今のうちだろう……なんてコトを考えていた矢先、青髪の女がボソリと呟く。


「マズいわね……今ので刻印マーキングされたわ」

「刻印? どういうコトだ」

「この水、あの【魔物】の【魔力オド】が混じってる。これじゃあ、どこに隠れたって居場所はバレバレね」


 あぁなるほど、をつけれらたワケか。

 動物には自身のニオイをつけて所有物であることを示す種類が多いと聞くが、その真似事だろう。

 今ここで二人を下がらせたところで無意味などころか、俺たちの目が届かない分、むしろ逆効果だ。

 悪化させた要因の一部は俺にあるとはいえ、立っているコトすらやっとの状態のケガ人を一人抱えた状態で水の【魔物】アレの相手をするのは流石にキツいぞ、どうする……?

 要するに、身体や衣服に付いた水を乾かしさえすればいいのだろうが、身体だけであればともかくとしても、【魔法】を扱えないこの状況下で即座に着用している装備までを乾かすのは流石に無理がある。

 まさか全裸で戦闘を行うわけにもいかないだろう。

 もっとも、都合よく水分だけを飛ばす【魔法】なんてモノがあるのか知らないが。

 せめて、その刻印マーキングとやらさえ外すことが出来れば、まだ戦いやすいのだが……。


「……あっ。なぁ、オマエならその【魔力】を吸い取れるんじゃないか?」


 先の戦闘での出来事だ。

 身体を損傷させれば強力な酸を周囲にまき散らす厄介な【魔物】を相手に、【魔人】は「吸い尽くした」なんてことを言っていた。

 その時は何を言っているのかイマイチ理解できなかったが、【魔力】失調のくだりを聞いていた際に気づいたのだ。

 あの糸に巻き付かれた対象は【魔力】を吸い取られるのではないだろうか。

 似たようなコトであれば、俺の持つ『グレイプニル』と銘付けた鎖でも出来るのだが、アレは生物を拘束対象にした場合のみでしか効果を発揮しない上、ジワジワと【魔力】を吸い上げるので即効性はない。


「【魔力オド】を吸い取ることは確かに可能ですが、形を持たない水を対象にするのは流石に難しいですね。せめて氷であればまだあるいは」


 さしもの【魔人】もそんな都合のいい【魔法】の扱い方は出来ないようだ。

 思っていたより【魔法】という技能はそれほど万能というワケではなく、日常的に扱う道具や武具などとそう変わらず、用法用途以外での扱いはなかなか難しいらしい。


「じゃあ水を凍らせる【魔法】は?」

「私が扱えるのはカイルさんに見せたあの二種、それから補助師の資格に必要な最低限の【魔法】だけです」

「使えねぇ…………」


 二種というのは、『糸』と『炎』のコトだろう。

 その二種の効果は確かに強力であり、糸の【魔法】の汎用性は極めて高いモノではあるのだが、それにしても【魔法】の種類が少なすぎる。

 イマドキ、ガキでももう少し種類に富んだ【魔法】を習得しているだろうし、俺だってグラウスの武具を用いれば魔法使いの真似事は出来るというのに。


「あ、また言われた。仕方がないではありませんか、今回はあまりにも相性が悪すぎます。カイルさんだってそれは同じでしょう」

「ぐっ……」


 【魔人】の言う通り――とはいっても俺に限らずこれは武具を扱うヤツ全般に言える話なのだが、水という決まった形がないモノには斬撃も打撃も効果がない。

 先程の攻撃で何の躊躇いもなく自身の身体を破裂させていたコトからも容易に想像がつくが、損傷を与えたところで実害にはなりえないのだろう。

 狙うとすれば【魔物】共通の弱点である魔晶石なのだが、本来であれば体表に露出しているはずのソレは身体のどこにも見受けられない。

 つまり、今の俺たちではヤツに決定打を与えられないのだ。


「……あの、さっきからカイルさんたちは何の話をしてるんすか?」

「あー……色々と濃い事情があんだよ。今は話してる余裕はない」


 敵の再生も終わったようだし、このまま一か所に固まっていたところで、仲良く全滅するのがオチだ。

 現状では有効打になるような攻撃を仕掛けられないのだとしても、とりあえずは何かしらの行動を起こすべきだろう。


「とりあえずは俺が一人でヤツの気を引く。オマエらは攻撃に注意を払いつつ、なにか策を考えてくれ」


 俺に思考する能がない以上、囮として時間を稼ぐしかない。

 とはいっても俺とて全くの無策ではなく、一応は自分でできる範囲でいくつかの案はある。


「ちょっ、またそうやって無理難題を――!」


 青髪の女の制止も聞かずに俺は飛び出し、【権能】をこれ見よがしに発動して水の【魔物】の気を引く。

 ――――まずは状況確認だ。

 現状の俺たちの討伐目標は眼前の巨大な水の【魔物】であり、索敵できる範囲にその他の生物はいない。

 こちらの人員は、前衛士である俺、補助師でありながらも支援は全くできないものの攻撃系統の【魔法】を操る【魔人】、【魔法】を扱えない魔法師の青髪の女、遠距離専門の狙撃手である金髪の男の四人。

 前衛職一人に対して後衛職が三人であるため、俺はたった一人で全員を敵の攻撃から守らなくてはならないのだが、コレに関しては、いっそのこと一人で動いてしまうことで他三人から注意を逸らすことはできるだろう。

 万が一、向こうへ攻撃が飛んだとしても【魔人】が何とかしてくれるはず…………だと思いたい。

 対して【魔物】は、たった一体であるもののその身体は周囲の家屋よりも大きく、地中から絶えず水分を吸い上げて取り込んでおり、未だなお膨張を続けている。

 動物の形を成している水はすさまじい速度で流動しており、万が一捕まってしまえば成す術なく取り込まれて即座に溺死に違いない。


「■■■――!」

「……っるせぇ! どっから声出してんだよ畜生!」


 水の【魔物】が俺を捉える。

 またも咆哮が響き渡るが、先程と比べれば随分と控えめであり、行動不能に陥るほどではなかった。

 キーンと響く耳鳴りに顔を顰めながらも、【魔物】に接近した俺はとりあえずで斬撃を浴びせる。

 あの植物型の【魔物】とは異なり、身体を構成しているのはただの水であるため、斬撃の衝撃で上がった飛沫を頭から被ろうが大して支障はなさそうだ。

 とはいっても向こうもそれは同様であり、やはり普通の攻撃では損傷を与えられそうにない。

 巨体故に動きが遅く、加えて激しい動作のたびに身体のどこかしらが崩れかけるため、一人であれば攻撃を避けることは造作もないのだが、このままでは俺の体力が先に尽きてしまうことになる。


「コッチでも、試せる方法は試してみるか」


 俺が思いついた案は四つ。

 まず一つ目が毒物による汚染だ。

 これまで調合してきた効果の様々な毒の中で、互いの効能を相殺しないモノを片っ端から取り出し、攻撃を避けながら薬瓶ごと次々にぶつけていく。

 色のついた薬品が割れた瓶ごと取り込まれるが、すぐに消えて見えなくなってしまう。

 その後も同じことを繰り返し、数十にも及ぶ毒を取り込ませたのだが、やはりというべきか、この水量と巨躯が相手ではいずれも効き目はなさそうだ。


「毒を取り込ませたが意味ねぇ! 今後、水被るときは気ぃ付けろよー!」

「何してくれてんの!?」


 青髪の女の悲鳴が返ってくるが、無視。

 念のためというコトで情報を共有しただけであり、どうせ、あの水量に混ざってしまってはどの毒も効能は失っているはずだ。

 コレで成功するとは思っていなかったものの、コツコツ作ってきた薬のほとんどが無駄になってしまったのは少しばかり精神的な損傷を否めない。


「■■――ッ、■■■―――!」

「うおぉ、あぶねぇ!」


 大きく振るわれた尾から放たれる水の針を、反射的に取り出した大盾で受け止める。

 これまでは前脚による踏みつけのみの単調な攻撃のみだったのだが、ここへきて新しい攻撃方法を見せてきやがった。

 所詮は液体であるために分厚い金属で受け止めてしまえば問題はないが、いかんせん、射出速度が凄まじく、生身で受ければ肉体など簡単に貫いてしまうだろう。

 扇状に広範囲へ放たれるこの攻撃を一発も食らわずに回避するのは中々に難しそうであり、こればっかりは先程のように大きなモノに身を隠してやり過ごしたほうが良さそうだ。


「さぁ、どんどん行くぞ!」


 続けて二つ目。

 【魔人】が言っていたように、液体でダメなら個体にしてしまえばいい。

 次に取り出したのは、家屋の鍵を開ける際に使用したジャックフロストの鱗粉と、切断対象の熱を奪う湾刀『熱刃・フリドゥ』。

 氷塊を産み出す武具は数多くあれど、対象を直接凍らせるようなモノはコレしか思い浮かばなかった。

 手持ちの鱗粉をすべて水の身体へとぶつけ、握った湾刀でがむしゃらに斬撃を繰り出す。


「『凍れ』、『凍れ』、『凍れ』――くそっ、面倒くせぇ発動方法にしやがって、恨むぞ先祖!」


 二代前のグラウス――つまるところ俺の祖父さんが作ったらしいこの湾刀だが、とにかく使いづらい。

 効果の発動には斬撃を与えた後に『凍れ』と口に出す必要があり、刃を振るうたびにそう叫ぶ俺の姿ははたから見れば滑稽極まりないだろう。

 常に接地している後ろ脚に対象を絞って湾刀と鱗粉を使用したのだが、絶え間なく水が動いているというコトもあり、一向に凍る気配がない。

 単純に出力が足りないというコトもあるのだろうが、やはり流水を完全に凍らせるのは難しいようだ。

 せめて一か所でもいいから固まってほしかったのだが……これでは三つ目の案であるところの、グレイプニルで拘束して【魔力】を吸うという方法も取れなくなってしまった。

 懸命に攻撃を繰り出している最中にも、水の【魔物】による反撃は徐々に苛烈なモノへとなっていく。

 これまで四肢を破裂させて起こしていた津波は形状を保ったまま発生させられるようになり、脚を修復させるという休息期間を挟まなくなっている。

 加えて厄介なのが――


「■■■■■■――――!!!」


 この咆哮である。

 初見の攻撃方法でも大ぶりな動作であるために対処はそう難しくないが、この咆哮ばかりは何度聞いても慣れない。

 たとえどれだけ構えていたとしても、耳にした直後には全身の毛が逆立って強張り、強制的に身体がひるんでしまうのだ。


「ぐっ――つぅ!」


 尾から放たれる水の針が太腿を穿つ。

 盾を出している余裕なんてなく、大慌ててで近くにあった家屋の陰に身を隠したが、完全には避け切れなかったようだ。

 銃弾や矢などと違って、放たれたのはただの水であるために、体内に物体が残らないコトに関しては不幸中の幸いとでも言うべきか。

 多少痛むが、この程度の傷に回復薬を使えるほど備蓄に余裕はないので、とりあえずは放置しておくしかない。

 あまり長時間姿を隠していては、攻撃対象が俺から他の三人へと移りかねないため、小休止も程々にして再び【魔物】の前へと姿を現す。


「さぁ、これが最後の案……俺の大本命だ、ちっとは痛い目見てくれよ?」


 バチバチと黒い稲妻が激しく明滅するのと同時、両掌の窓から姿を現した両刃の大剣が地面へと突き刺さった。

 取り出したのは、異界の地にて巨人が所有していたとされる剣を元に自分なりの解釈を加えて再現したモノであり、俺が持つ武具の中で文字通りの最高力を誇る、異界兵装『レーヴァテイン』。

 あまりの火力故に能力を発動すれば細かな制御が出来ず、耐熱性の手袋をいとも容易く貫通して手を焼かれてしまうのだが、コレであれば水を瞬時に蒸発させてしまうなんて造作もない。

 一度使用すれば、俺自身にも少なからずの代償が生じるため、出来る限りは使用したくなかったのだが……未だにあの三人が動く様子もない以上、そう悠長なコトも言ってられないだろう。

 【魔物】の革を巻いている柄を両手で握り込み、地面に突き刺さったレーヴァテインを勢いよく引き抜く。

 真昼の湖のようにきれいな蒼の剣身には白の炎のような紋様が走っており、磨き上げられたその表面は鏡のようにして周囲の景色を映し出す。

 魔晶石を削って造り上げた鍔は剣身と対照的に禍々しい漆黒で、こちらもまた炎を彷彿とさせるような緩やかな曲線を描いていた。

 ――――いつ見ても、どこをどう見ても、思わず見惚れてしまうような会心の出来栄えだ。


「吠えろ、レーヴァテイン!」


 告げられた銘を合図にして、剣身から炎が噴き出した。

 魔晶石である柄が周囲の【魔力】を取り込み、炎と熱へと変換していく過程で、真っ赤な色から橙、白と段階を踏んで変化していき、炎は最終的に剣身と同じ色へと至る。


「……っ、おうおう、今日は随分と機嫌がいいじゃねぇか」


 【魔力】が満ちている【異界ダンジョン】の中だからか、ごうごうと燃え盛る炎は普段の何倍もの大きさとなっており、レーヴァテインを握る俺の両手を容赦なく焼いていく。

 痛いし、熱い――が、しかしそれ以上に、己の武器の性能を十二分以上に引き出されているこの状況が、場違いな自覚はありつつも嬉しくてたまらない。

 ――これならもしかすると、イケんじゃないだろうか。

 そんな確かな予感を感じながら、俺はしっかりと水の【魔物】を見据える。


「さぁ、一片すら残さず蒸発させてやんよ」

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