第44話 炎の魔術師

 ベスビアの森、通称『灰色の森』を、馬に乗ったルークは全速力で駆け抜ける。途端に、辺りの灰色の木々が音を立ててこちらに群がって来るが、ルークは鼻で笑って炎を放った。植物は火に弱い。ルークに襲い掛かった木々はあっという間に燃え上がり、熱を感知した辺りの木々は、怯えたように退却して行く。ルークは馬足を緩めることなく呟いた。


「つまらない仕掛けだな。だが……フロガーを追って来たクレアが、ここを生身で通って行ったとなると……」


 クレアに、怪我はないだろうか。あの娘は強い、それは分かっていても。ルークは、再び沸き上がって来た怒りに身を震わせた。体内の魔力が高まり、胸が、首筋が、じりじりする。


「……サイラス! お前だけは、絶対に許さないぞ……!!」


 手綱を握る手に力がこもる。ルークは、更に馬足を速めた。火トカゲの魔女の館は、もう間近だ。


 レンガ造りの巨大な館は、無数の茨に守られるように、陰鬱に沈黙していた。ルークは息を弾ませながら、馬を下りる。


 ここに来る途中、闇魔法で焼き払われた形跡のある空間を発見した。ニコが言っていた、対岸に見えたと言う火柱は、きっとその場で上がったものに違いない。馬を下りて軽く検分してみたところ、そこに、割れた小瓶が落ちていた。先日ルークが作った、ニガヨモギの薬瓶だ。クレアが持って出て行った、とニコに聞いている。


「……恐らく、あの場で、クレアはフロガーに追いついたんだろう。そして、二人揃って、何らかの方法で魔女に捕まった、と見るのが自然だな……。そうでもなければ、クレアはとっくに、フロガーを連れて戻ってきているはずだ」


 ルークは魔女の館を見上げた。たまに火トカゲが辺りをチョロチョロしているだけで、人気は無い。静かだ。この陰鬱な石造りの建物のどこかに、クレアとフロガーは囚われているのだろうか。ルークは、鼻で笑った。


「下級魔女など、僕の敵じゃないが……。そうだな。まずは、軽く挨拶でもしておくか」


 そして彼は、両手を突き出し、素早く印を結んだ。呪文を詠唱するまでもない、火の魔術は、我と我が身に沁みついている。途端、両手のひらから巨大な火柱が放たれ、ドーン!という爆発音とともに、館の壁に絡みつく無数の茨がごうごうと燃え上がる。爆風で、ルークの黒髪が月光に揺れた。ルークは無感情に言った。


「ああ、そうだった。仮面もメイルバードも、すっかり忘れてたな。まあいいさ。どうせ、あの魔女は今夜限りの命だ。この顔も声も、気兼ねなく晒してやれ」


 バサバサ、と館の上の方から何羽かの鳥が飛び立つ。ルークは気にも留めず、再び炎を放った。ドーン!という爆音が辺りに響き、石造りの館の壁がぴしぴしと音を立てる。


「……これ以上やると、建物が破損するな。まあ、挨拶はこのくらいにして、っと。そろそろ、性悪な魔女に会いに行くとするか。クレアとフロガーを捉えた代償……キッチリ払ってもらわないとな」


 ルークは、ごうごうと燃え盛る火を背景に、戸惑いもなく館へと入って行く。


 大きな正面玄関は難なく開いた。というよりも、中から、腰布だけを巻いた人間の男達が数人、剣を手に躍り出て来たのである。ルークは口笛を吹いた。


「へえ! こいつらが、魔女の愛人ってやつか? ……ふうん、使役の魔術か」


 ルークはそう言って、自身に斬りかかって来る彼らに手を向けた。手のひらが、ぽうっと白く光る。


「『天の光 聖なる光 我に浄化の力与え給え 悪しき魂よ 消え失せよ』」


 真っ白な強い光がルークの手から放たれ、男らの腹を貫いた。彼らはその場で暫く硬直したのち、力を失ったようにバタバタとその場に倒れ伏す。彼らの背から、シュウウという音と共に、黒く細い煙が上がった。彼らの体内の魔法虫マジック・ワームが消滅したのだ。


魔法虫マジック・ワームをこれだけ大量に使役していたか……魔女の奴、やはり、サイラスの魔力増幅の術を受けているのは間違いないな。しかし、サイラスも手の込んだ真似を。わざわざ僕が王都に行くのを見計らって仕掛けて来たと言うわけか。……相変わらずムカつく奴だ……世の中にあれほど不愉快な人間がいるなんて、全く信じ難いな!」


 サイラスの名を口にするだけで怒りが沸き上がる。ルークは深呼吸をして呟いた。


「だから、落ち着け。クレアとフロガーを助けるまでは迂闊なことは出来ない。くそっ。二人さえこちらに戻れば、こんな屋敷など魔女ごと一撃で燃やし尽くしてやるのに!」


 ルークはブツブツ言いながら、エントランスホール奥にある石造りの大きな階段に向かった。階段の下で、これだけの騒動を起こしているのに未だ姿を見せない魔女に呼びかけようと息を吸い込んだ時。ふと、口を噤んで耳をそばだてた。


「……泣き声? 女か……?」


 微かに聞こえる、若い女の泣き声。ルークは眉を潜めた。


「若い女……? 確か、魔女は森で迷った女を捕まえて奴隷にしていると聞いていたが。まさか……この声が、クレアだなんてことは無いよな?」


 声が小さすぎて、判別出来ない。声は上から聞こえてくる。石造りの薄暗い階段には火トカゲの不気味な彫刻がこちらを見下ろすように配されていて、おどろおどろしく上まで続いていた。先は闇に沈んでいて見えない。クレア程の鋭敏な聴覚を持ち合わせていない自分に腹を立てつつ、ルークは慎重に広い階段を上って行った。

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