辺境の魔術師と月下の花嫁

愛崎アリサ

婚礼

第1話 クレアの秘密

 婚礼の日は大雨だった。


 私は私室の窓から、雨に煙る中庭を眺めている。大好きなこの庭とも、今日でお別れ。ウェディングドレスを着た私に、幼い頃からずっと私に仕えてくれている乳母のメアリが言った。


「クレアお嬢様。遂に、お嬢様をお送りする日がやって来たのですねえ。これまでお嬢様にお仕えすることが出来て、メアリは本当に、本当に幸せ者でした。どうぞ、旦那様と末永くお幸せに……うっうっ」


 涙もろいメアリは、言い終わる前に早速泣き出した。年老いた彼女は、年々、涙腺が脆くなっていく気がする。私は白い手袋をしたまま苦笑した。


「泣かないでよ、メアリ。それに、そんなお別れの挨拶をしたって、すぐにまた帰ってくるかもしれないのよ? ううん、むしろ、帰って来る可能性の方が高いわ。そうしたら、またあなたのお世話になってもいいかしら」


「何を仰います、お嬢様! 婚礼の日に離縁の話だなんて、縁起でもない!」


「……いいのよ、メアリ、気を使わなくても。あなただって分かるでしょう? 私はなのですもの。世間でも、『モーガン家の長女は行き遅れ』って笑われているじゃない。本当よね。私の可愛い妹は二人とも、もう結婚して家を出て行ったわ」


「冗談じゃない! メアリに言わせれば、こんなに美しくて利口なお嬢様は、モーガン家の中でも、それどころか、世界中どこを探しても、クレア様ただお一人です! 全く、あんな阿呆みたいに着飾った娘どもなんぞ、発情した孔雀と同じだというに、世の男どもの目は節穴に違いない! とにかく、クレアお嬢様を悪く言った奴らは、このメアリが許しませんからね!」


「わ、分かった、分かったわ。ありがとう、メアリ。でも、本当に、まさか私に縁談が来るなんてね。相手は変わり者と噂の魔術師さんらしいけど……どんな人なのかしら」


 私の結婚は、国王陛下から命じられたものだった。私の家は、代々この地域を治める地方領主の家系で、それほど高位の貴族というわけではない。だが、私の父は、少し運が良かったのだろう。若い頃に国王陛下の遠征軍が領土を通過した際、彼らを過剰なほどもてなしたことで、陛下への覚えが良くなった。支配地域を少し拡大してもらえ、表立っては明らかにされていないが、金銀等も密かに下賜かしされたらしい。その古いご縁から、今回の縁談が成立したと聞いている。


 私の婚約相手は辺境に住む魔術師で、天才だが得体の知れない人物と噂されていた。国王陛下の腹心なのだが、その素顔は誰にも知られていない。いつも気味の悪い仮面を被り、丈の長い術衣に身を包んでいるために、誰もその姿を見たことはないし、声も聞いたことがない。これまで幾度か結婚もしていたのだが、その度にすぐ離縁をしていて、離縁された元妻達ですら、その顔を見たことがないと言われている。


 今回は、彼がよわい二十五になるのを契機に、主である陛下が、どうにか身を固めさせようと無理に縁談を推し進め、なぜか本人の希望で私に白羽の矢が立ったらしいのだが……。メアリが目をキラキラ輝かせて言った。


「ワクワクしますね、クレアお嬢様! お嬢様の魅力に気づいて縁談を申し込んでくるとは、そりゃあいい男に違いありませんよ! ええ、ええ。このメアリが保証しますとも!」


「あのねえ、メアリ。私の魅力に気づいて、って、そんなはずがないでしょう? 私と彼は会ったこともないし……大体、私の姿を知る者は、あなたと、私の父しかいないのよ。それに噂によれば、その人は、これまで何度も結婚と離婚を繰り返しているらしいじゃない。私が言うのもなんだけど、なんだか怪しい男よね。きっと彼だって、『モーガン家の長女は何か訳アリで人前に姿を現わしたことがない』と言う噂を聞いたことがあるはずよ。それなのに私に求婚してくるなんて、怪しいとしか言えないわ」


「そうでしょうか」


「そうよ。とにかく、私のこの姿を見たら、どんな男だって即刻逃げ出すか……下手をしたら、殺そうと斬りかかって来るに決まっているわ」


 私は、全身を映す大鏡の前に立ってため息をつく。メアリが「お嬢様……」と言って悲しい顔をした。


 私の姿は、昼と夜とで、とても異なる。一体どうしてそうなったのか、私には分からない。生まれつき、ずっとそうなのだ。私の父が言うには、私の亡き母は少し特殊な血筋の者だったらしいから、その血を引いたのだろう、ということだったが……私は、幼い頃亡くなった私の母が、こんな風に姿が変貌するところなど見たことが無いし、父もそんな母の姿は知らないと言っていた。そして、父と再婚相手との間に出来た二人の妹たちには、当然ながら、こんな不気味な特徴はない。なぜ私だけが、こんな忌まわしい特徴を持って生まれて来たのか、父にも私にも分からなかった。

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