第三章 出版 春①

1 春


 翌日、私は大急ぎで東京に戻り、大学の部室で奏さんと合流した。

「本当に、実は名前を変えていたとかではないんですね?」

「ああ、絶対ない。そもそも本当に書籍化するなら、俺に連絡がなきゃおかしいだろう?」

「やっぱりそうですよね。ということは、やっぱり……」

「……、あまり考えたくはないが」

 たぶん今、二人の頭の中にある言葉は同じだ。

「悪い、お待たせ、奏、朱美ちゃん」

「あ、尊さん! お久しぶりです!」

 私たちが合流してから約三十分後、尊さんも来てくれた。

「あれ、朱美ちゃん、コンタクトにしたんだ」

「はい、一応……」

「……ごめんね。ホントは色々言ってあげたいんだけど、こんな状況だから、その……」

「いえ! 全然大丈夫です!」

 確かに今日は、変化した自分を見せるには最悪のタイミングだ。尊さんにも、先に会った奏さんにも、変に気を遣わせてしまっている。こんな状況ということもあり、今日に関してはいつも通り眼鏡で行こうかとも考えたが、こんなときだからこそ、変化した証の勇気を持つのだと、奏さんはあの小説の中で登場人物に言わせていた。実際それが今の私に当てはまるのかは、私はおろか、二人にもわからないだろう。

 しかし今、その小説は、私たちの手元にはない。

「……やっぱり、それは盗作の可能性が高いね」

 尊さんには既に電話で大まかな事情は伝えてあるが、改めて私たちから説明すると、やはり私たちが想定していたものと同じ結論に至った。

「……信じられない」

「……中学のときに読んだラノベで、そんな展開あったな」

「こんなときに何言ってるんですか……!」

「とにかく──」

 尊さんは、私たちの会話を切るように言った。

「奏が年末に会ったって言ってた出版関係とかいう男、そいつに会って確かめるのが一番手っ取り早いけど」

「電話も繋がらないし、SNSのアカウントも全部消えていた」

「やっぱりそうか……」

 尊さんは奏さんの言葉がわかっていたように、早くからため息をついた。

「何か、心当たりがあるんですか?」

 そのリアクションの真意を問いかけてみる。

「……半年前くらいに何かの飲み会で聞いたんだけど、学生をターゲットにして原稿受け取って、自分の作品として出してる詐欺師みたいなのがいるらしくて、そいつ、出版社の編集者をかたってるとか……」

「え!?」

「……本当にごめん。俺、今回の件聞くまでこの話すっかり忘れてて、本当は奏がそいつと会う前に言うべきだったのに……」

 尊さんは初めて、私の目の前で弱音を吐きかけた。

「いや、尊は悪くない。作品の出来次第じゃそのまま出版するかもなんて甘い言葉に釣られて、何も考えずにどう見ても胡散うさん臭い男を信頼した俺がバカだった。おとなしく、新人賞に応募するべきだったんだ……!」

 机を殴りかけて、やめた。

「奏さん、大丈夫ですか……? 目、真っ赤ですけど……」

「……大丈夫だ。ただの花粉症だから」

 こんな奏さんを見るのも、今が初めてだ。

「……でもとにかく、これからのことを考えましょうよ! こんなの、絶対許されるわけないじゃないですか!」

 異なる感情を抱く二人を励ますように、私の声が響いた。一年前までだったら、まずありえない行動だ。

「……ああ。すまん、朱美。取り乱してしまって」

「俺からも謝るよ、朱美ちゃん。そうだな、これからのこと考えるために、今日は集まったんだもんな」

「はい!」

 頼もしい二人の声が戻ってきた。私の今の行動は、この二人がいなければ、決してこの世には存在しなかった。

 だからこそ私も、わずかでも、二人の背中を押したくなった。

「それにしても、なんで作者名が女なんだろうな。カモフラージュか?」

「あ、そのことなんですけど、その人、何かのインタビューにも顔出しで答えてるらしくて」

「え? 覆面ふくめんじゃないのか? てか、ホントに女だったのか」

「みたいです」

「奏が会ったのは男だったんだろ? てことは、原稿盗んだ奴と作家は別ってことか」

「ややこしいが、その女の顔がわかるだけでも見つける当てはできるな」

「ていうか、盗んだくせによく顔出せるな。そいつ相当厚かましいだろ」

「全くだ」

 工場の機械のように、次々と言葉を繋げる二人を見るのは久しぶりだった。状況が状況だけに、その速度も上がっている。

「その二人に直接会うのはやっぱり難しいか?」

「調べてみないとわからないけど、朱美ちゃんの言ってたインタビュー記事見る限り、顔以外のプロフィールは出してないっぽい」

「そうか……」

「……出版社に直接掛け合うっていうのはどうでしょうか?」

「出版社? 今度出版されるってところの?」

「はい。でもやっぱり難しいですよね……」

「いや、悪くないかも」

「え?」

 尊さんは何かをひらめいたように、そう呟いた。

「就職先の人なら、その業界と繋がりある人がいるかもしれない」

「ホントですか!?」

「ただ、実際にいるかはわからないし、もしアポを取れたとしてもだいぶ先になっちゃうかもしれないけど、それでもいい?」

「もちろんです! ね? 奏さん!」

「ああ、もちろんだ。素性も知らない奴らに会おうとするより、尊の力を借りた方がよっぽど可能性が高い。本当に、お前と友達でよかった」

「……、まあ俺も、お前たちの力になりたいからな」

 今日一番嬉しそうな顔をしながら、私だけに聞こえるように、そう呟いた。

「じゃあ尊、その方向で頼んでいいか?」

「私からも、お願いします!」

「うん。とりあえず、できる限りのことはやってみるよ」

 少しだけ、春の嵐に背中を押された気がする。



「ええどうも。本日はわざわざお越しください、ありがとうございます。私、紅白書房の大槻おおつきと申します」

「中明大学文学部四年の遊佐です。よろしくお願い致します」

「同じく中明大学で、文学部二年の夏目です。本日はお忙しい中、わざわざ時間を取っていただき、本当にありがとうございます!」

 三人で会ったあの日から僅か一ヵ月足らずの三月下旬、尊さんは提案通り、本当に出版社とのアポを取りつけてくれた。

 あの後、私と奏さんはできるだけその二人の情報を集めてみたが、度々インタビューを受けている女はともかく、男の方は全くと言っていいほど尻尾が掴めなかった。その一方で、顔を出している女の外見に奏さんは心当たりがあるようだったが、いまいちその確証が持てず、新社会人として既に動き出し忙しそうだった尊さんを頼るわけにもいかないため、結局話が進展することはなく、もどかしい日々を過ごしていた。

 だがそんなある日、尊さんから今日のアポの連絡がきた。正直、あるとしてもゴールデンウイーク以降だと思っていたので、私と奏さんはかなり驚嘆した。

 くして今、私は奏さんと共に、江東区内にあるその出版社のオフィスにいる。オフィス自体はそれほど大きくなかったが、今私たちがいるような会議室やフリースペースがたくさんあり、他の部屋でもこのような話し合いがいくつも行なわれているようだった。

 私たちの話を聞いてくれることになった大槻さんは、三十代半ばくらいの男性で、一見お堅く取っ付きにくい印象を持ったが、どこか話し方が尊さんに似ていた。

「ああ、中明なんですね。ウチにも何人かいますよ。確か、キャンパスすごい遠いんでしたっけ?」

「あ、はい! そうなんです! なので、ここまでだとたぶん一時間以上かかっちゃうんですよ!」

「そんな遠くから、わざわざありがとうございます」

「いえいえ! こちらこそ会っていただき、本当にありがとうございます!」

 何気ない小話で柔らかい空気を作り出すことには成功した。幸先はまあまあいい。

 一方、その横で黙っていた奏さんは、醸し出す緊張感が私にも伝わってきた。

「あ、すいません、いきなり脱線しちゃって。それで、ウチの出版物に関するお話ってなんでしょう?」

「え、えっと、」

 唐突に話が本題に入り、少々慌ててしまった。

「あの、とある小説がですね……」

「『月が、綺麗ですね。』って小説、ありますよね?」

 さっきまで沈黙していた奏さんが、急に声を上げた。

「ああ、一応、今度ウチで出す予定になっているものですが、それが何か?」

「単刀直入に申し上げます。あの小説の作者の五木あおいという女性は、本当の作者ではありません」

「ちょっと奏さん! いくらなんでもいきなりすぎですって……!」

 黙っていた初対面の男から突然そんなことを言われたため、当然大槻さんは唖然とした顔をしている。

 それでも奏さんは、アクセルを緩める気はなさそうだった。

「五木あおいが本当の作者ではない? それは、どういうことですか?」

「もう一度単刀直入に言うと、あれは、我々の小説です。五木あおいは我々が作り上げた小説を、自分の小説だと騙っているんです」

 依然としてメインは唖然としているも、奏さんの単刀直入が効いてきたのか、少しずつ理解したような顔を見せ始めた。

「えっと、要は、お二人は『月が、綺麗ですね。』を、五木あおいに盗作されたとおっしゃりたいのでしょうか?」

「はい。そういうことです」

 ようやく理解してもらえた返事に追い打ちをかけるように、奏さんは素早く応対した。

「す、すみません。いきなりこんな畳み掛けちゃって……」

「い、いえ。まあでも、趣旨は理解できましたから……」

 内面が柔らかい人でよかったと、心底思った。

 ただもしかしたら、奏さんは彼の内面を早々から見越して、あえて序盤から畳み掛けたのかもしれない。

「それでお二人は、『月が、綺麗ですね。』を取り返したいと?」

「そうです」

「夏目さんの方も?」

「は、はい! そうです!」

 奏さんの勢いに乗り切れず、足を引っ張りそうになる。

「……なるほど。正直、急にそんなことを言われて困惑してますが、まあでも、うーん、そうだな……」

 何かを考えるように、大槻さんは頭を掻いた。

「ぶっちゃけた話、そういう話って、結構あるんですよ。まあオフィスで直接されるのはあまりないですし、普段だとお断りしてるんですけど」

「そうですよね。いきなりこんなこと言って、本当にすみません……」

「いえいえ。でも本音を言えばね、そういうのは当事者同士で解決してほしいっていうか、まあ普段だったら取り合わないんですけど、今回に関しては、ちょっと思い当たる節がありまして……」

「本当ですか?」

 奏さんが即座に反応した。

「まああくまで私個人の感想なんですが、五木あおいとは何度か打ち合わせをしたんですけど、正直、あの小説を書いた人物だとは思えない部分がいくつかあって」

「というと?」

「少し言葉が悪いですけど、彼女、どう見ても作家っぽくないというか、街を歩いてる今時の女子、って感じなんですよ。服装とか言葉遣いとか、あと考え方とか。もしかしたらそれは私の偏見で、本当はしっかりしてる娘なのかもしれないとも思ってるんですけど」

「なるほど」

 奏さんはいつになく、大槻さんの目をしっかりと見据えている。

「ただもし仮にそうだったとしても、私らにはどうしようもない要素もありまして……」

「え?」

「彼女、あの小説の権利関係の登録をもう済ましているようなんですよ。だからまあ、ウチには手出しできない領域というか」

 大槻さんは申し訳なさそうに、視線を落とした。

「なのでそれが事実ならば、本人同士で直接話し合った方がいいと思います。私も一応あなた方の話をちゃんと精査したいので、何か制作途中のデータみたいなものってあります?」

「あ、はい」

 そのやり取りを待っていた奏さんは、持ってきた大きめのバッグから、いつものノートパソコンを取り出した。

「これが一応、執筆のデータです」

「なるほど……。確かに私としては納得する部分もありますが、投稿サイトに載った時点でそういうのもだいぶ緩くなってしまうので、もしかしたらこれだけだと、証拠としては難しいかもしれませんね」

「そうですか……」

 稀に見せる奏さんの悲しげな表情は、どんなものよりも、私の心を貫通していく。

「ただまあ、彼女とはまだ話の折り合いがついていない点も多いので、今日の話も含めて、出版までは先送りするかもしれません。できればそれまでに、本人同士で話をつけてもらいたいです」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

「私も一応、あの小説には感銘を受けましたからね」

 さらっと放たれた言葉だったが、プロの人から言われたのは初めてだったので、内心かなり歓声が湧いた。

「そういえば、彼女、今日来る予定ですよ。よかったら会ってみたらどうですか?」

「え?」

 不意すぎる展開に、奏さんは凍らせたゼリーのように固まった。

「本当だったらもう来てる時間なんですがね……。まあ正直、もう慣れてきました。あ、でもさっき来たみたいなんで、よかったら会っていかれます?」

 だが段々状況を飲み込めてきたようで、その作用で、私の方を振り向いた。

「行こう、朱美。五木あおいに会いに行こう」

「はい!」

 言葉を交わした後、改めて大槻さんの方を向き直り、

「本日は本当にありがとうございました。また機会があればよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ。力になれず申し訳ありません。彼女、ここの二つ右隣のフリースペースにいるようなので、そちらで是非」

「はい、ありがとうございます! 本日は、本当にありがとうございました!」

「もし出版の日程が決まったらご連絡しますね」

「お願いします」

 私と奏さんで交互に挨拶をして、会議室を出た。

 そのまま大槻さんから言われた通り、二つ右隣のフリースペースの前まで行くと、ガラス越しに、女性が一人でスマートフォンを触りながら待機している姿が見えた。

 そこにいたのは、想像していた五木あおいに相違なかった。インタビュー時よりは化粧を落とし半ば別人のようだったが、去年の夏の美月を思い出させるような派手派手しい服装と、他所の共有スペースでも堂々と我が家のようにくつろぐその風采が、大槻さんの言っていたイメージと完璧に合致した。

「奏さん、どうします……? 会いに行くって言っても、いざ対峙したらなんて言えばいいか……、あ!」

 奏さんは私の弱々しい引き留めに耳を貸す気配もなく、ドアを勢いよく開けて、部屋に入っていった。

「え……? ちょっと、入るときはノックぐらいしてくださいよ。遅刻したのも私の所為せいじゃなくて電車の遅延なんですから。って、あれ、大槻さんじゃないの?」

 中にいた五木あおいと思われる女性は、突然の見知らぬ男の乱入に動揺を隠せていない。

「やっぱり、お前だったんだな」

 しかし奏さんはそんな動揺を裂くように、女性に対して言葉をぶつけた。

「お前だったって? 奏さん、この人、知り合いなんですか?」

「俺たちの小説、返せよ!」

 彼女と同様に動揺している私に目もくれず、奏さんは声を荒げた。

「ちょっと、なんなんですかあんた……。マジ怖いんですけど。てかそもそも誰なんですか?」

「とぼけるんじゃない。相変わらず、高校の頃から何も変わってないな」

 高校の、頃? 

 どこかで聞き覚えのあるワードに引っ掛かりつつも、その答えを導き出すまでには辿り着けない。

「ちょっとホントに怖いんで、……失礼します」

「あ、おい! 待て!」

 彼女は我々の隙をつき、軽い身のこなしで、我々の脇から部屋の外に出た。

 そのまま階段を駆け下り、オフィスの外まで逃げた。さっきまでいた会議室やフリースペースは二階にあったので、外にはほぼノンストップで出ることができる。

「くそ……、あいつ、どこ行きやがった」

 女性を追って同じく外に出た我々だったが、完全に見失ってしまった、と思った矢先、

「あ! 奏さん、あの人じゃないですか!?」

 彼女は私たちを待ち構えていたかのように、近くの道路にたたずんでいた。

「あの女、どういうつもりだ?」

 彼女の方に向かうと、彼女は私たちを誘導するように、人通りの少ない裏道に入っていった。

「奏さん、あの人は一体……?」

「話は後だ」

 脇目も振らず、彼女の誘導に従う。

 そのまま我々も裏道に入っていくと、やはり彼女はそこで待ち構えていた。

「ここなら、会社の人には誰にも聞かれないでしょう」

 彼女は変に堂々と、私たちを見据えている。

「やっぱりお前、俺のこと、覚えていたか」

「まあね。てかあれ、やっぱあんたの文章だったんだ。もしかしたらとは思ってたけど」

「……え!?」

 彼女の一言は、色々な因果で酷く鋭利になり、私の心を突き刺した。


「お二人は、知り合いなんですか!?」

「まあ、ちょっとな」

「高校の同級生よ。それも元クラスメート。それで充分?」

 彼女は私を挑発するように、上目遣いを仕向けた。

「もしかして、奏さんが色々あった人って……」

「何を聞いたかは知らないけど、たぶん私。確かに色々あったね、色々」

「くっ……」

 そうして、悪戯いたずらっぽい笑みを奏さんに向ける。

 その挑発は奏さんに刺さったようで、視線を落としてしまっている。

「そんなことはどうでもいい! 俺のことを覚えているなら話は早い。さあ、あの小説を返してもらおうか」

「えー、やだなー。あれのお陰で稼がしてもらったし、また稼げそうだし、今度テレビにも出れそうだし。やっぱ却下」

「お前……!」

 奏さんの怒りが、普段はそんな感情など生まれない私にまで伝染してくる。

「こっちにも執筆のデータやら色々証拠があるんだ。今返すなら特に問題にはしないから、さっさと返せ」

「たぶん、無理だと思うよ。そういうのは証拠能力としては弱いって聞いたし、第一、著作権か何か知らないけど、もう法的に権利は私のものになってるらしいからね。たぶん、問題にしても無駄だと思うよ?」

「なっ、こいつ……」

 その簡潔な話し方は、すべて言われることを予想していたかのように、無駄と隙がなく、我々をいらつかせた。

「なんで、こんなことするんですか!?」

「てか、あんたは誰? まさか、こいつの彼女ってわけはないよね?」

「違います! 質問に答えてください!」

「まあまあ、そう熱くならないでよ」

 落ち着き払っている立ち振舞いが、余計に私の心の炎をくすぐってくる。

「そもそも、私がやろうって言い出したんじゃないんだからね? たまに会うキープしてる男がいるんだけど、私がそいつにさ、なんか小説家ってカッコいー、なってみたいー、って言ったらさ、勝手にどっかから原稿持ってきて、私の名前で出せ、って言うからさ、軽い気持ちでやってみたらなんかバズっちゃってさー。マジビックリしたよー!」

 何も悪びれる様子を感じさせず、淡々と自分のペースで話している。

「なんだっけ、タイトル。『月が、綺麗ですね。』、だっけ? なんかそれって、特別な意味あるんでしょ? なんだったっけ?」

「お前に教える筋合いはない」

「あっそ。ま、別にいいや。ぶっちゃけ、中身もほとんど読んでないし。なんか、むずがゆくなるんだよね、あれ読んでると。ホント、一瞬であんたのこと思い出したよ。やりそうな感じしてたし」

「うるさい! そうやっていつまでも自分と違う人間をバカにしてればいい!」

「それはあんたでしょ? 正直、あんな気持ち悪い文章、なんで世間でウケてるかわかんないんだよね。だからインタビューとかもホント困っちゃうんだよ。書いたときの気持ちなんて知らないし、知りたくもないし。ま、テレビに出れるなら我慢するけど」

「あの!」

 何を言い返されてもいい。今の気持ちを、私たちの約一年分の想いを、この人にぶつけないと気が済まない。

「あなたは、小説を書くことを、何かを創るということを、なんだと思ってるんですか! あの小説は私たちが、いろんな経験をして、いろんな試行錯誤を重ねて、いろんな想いを込めて、やっと完成した作品なんです……! それを何も知らないあなたなんかに取られるどころか、気持ち悪いなんて言われる筋合いは、全くないんです!」

「あのさ、言っておくけどさ、」

 彼女は涼しい顔をしながら、私をする態勢に入った。

「今の時代、そんなもの、誰も求めてないよ? 今の時代は何を書いたかじゃなくて、誰が書いたかの方が価値が高いの。だってそうでしょ? 可愛い女子高生が書いたハチャメチャなSNSの文章と、中高年のおっさんが書いた難しい本の文章、どっちの方が人は見たいと思う? 女子高生のSNSには男が群がるけど、おっさんの書いた難しい本なんて、一部の興味ある人しか読まないよ。その女子高生がおっさんの成りすましだとしてもね。だから最近、インフルエンサーなんてもんが流行ってるんだよ。今の人はみんな、中身じゃなくて、見えやすくて評価しやすい外身しか見てないんだからさ」

「でも、それは五木さんのやってることとは矛盾してると思います……!」

「は?」

 彼女は私を睨み付けた。

「だって、あの小説は、顔を出す前のあなたの名前でも話題になって、書籍化まで話がいった。ということは読者の人たちは、あなたの書いた『月が、綺麗ですね。』じゃなくて、『月が、綺麗ですね。』の内容そのものを評価してくれたんです! もしあなたの言う価値観だったら、誰が発表しても同じなんてことにはならないですし、そもそも、私たちやあなたみたいな無名作家の作品が評価されるなんてことはないんです! だから──」

「あーうるさいな……。そんな男の近くにいるんだから、あんたも相当気持ち悪い考え方してるんだろうね!」

「なっ……」

 生まれて初めて、こんなにストレートに人格を否定され、声が詰まった。

「とにかく、これをやろうって言い出したのも、権利関係とかの手続き済ましたのも、全部あの男が勝手にやったことだから! 文句あるならそいつに言いなよ!」

 誰か第三者の人に、今の彼女の言動を逆ギレだと客観的に評価してほしいぐらい、今の私たちは、正気を保てる状態ではなかった。

 同時にそのとき、彼女のスマートフォンが鳴り、即座に電話に出た。

「はいもしもし。あ、大槻さーん! ごめんなさい、今、ちょっとコンビニ行ってて。はい! すぐ戻ります! ちょっとだけ待っててください! それじゃ!」

 耳を疑うほど柔らかく甲高い声を出して電話に応える彼女を見て、益々目の前がかすむ。

「……チッ。ったく、なんで毎回毎回私が出向かなきゃなんねーんだよ。髪もメイクも崩れちゃったし、ホント最悪。あんたの顔もう一回見させられたのはもっと最悪だけど」

 そう言いながら、奏さんに向けて指を差した。

「あ、録音されてるかもしれないから言動には気を付けるよう言われてるんだった。ま、あんたら鈍そうだし大丈夫だと思うけど」

 隠す様子もなく毒を吐く彼女は、もはや一人舞台を楽しんでいる。

「それじゃ、執筆活動、これからも精々頑張ってね。また文句言ってくるなら次は容赦しないから。あ、別の作品作るなら、また私の名前使ってもいいよ?」

 冗談めかしたわらい声を浴びせ、私たちにとどめを刺した。

 いつもとは違う、時間と共に我々を押しつぶすような沈黙が、知らない街の一画にただよう。

「奏さん……」

 何も言葉が見つからない私は、彼に助けを求めることしかできなかった。

「奏さん……?」

 しかしそのとき、彼の様子がおかしいことに気付いた。

「奏さん! どうしたんですか! しっかりしてください!」

 過呼吸になりその場に倒れかけた彼を抱え、私は知らないこの街の一画に、独り取り残された。

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