悪魔と呼吸を合わせれば

ハロイオ

第1話

「お願いします」

「何度言われても、それは出来ません」

「何故私達は代わりになれないのですか」

「あなた方とご子息では、そもそも条件が違うのです。我々の部署の原理から不可能です」

「その仕組みを説明してください、と何度も申し上げました」

「何度も話しましたが、あなた方に理解出来るものではありません。これはあなた方の知性の問題ではなく、100年以上前の人間に機械の使い方を教えるようなものなのです。ああ、気を悪くされるかもしれませんが、これはあなた方の責任でも、我々の落ち度でもありません。不可抗力です」

「何故息子が、息子が…よりによって、あなた達に…私達の息子を何だと思っているのですか…」


 泣き崩れる声。


「…では、逆に私達の部署が何なのか、おふたりはお分かりですか?私達を何だと思っているのでしょうか?」

「…それは…」

「あなた方の表現で構いませんよ」



 2人は顔を見合わせた。言いづらそうな表情である。


「では言います。あなた方は悪魔なのでしょう?息子の魂を死後手に入れる契約をして、利用するつもりなのでしょう!それを死んだ私達2人の魂で代わりになれないか、とお願いしているのです!」



「何を根拠に、そう思われましたか?」

「一目瞭然ですよ」


 その「部署」の担当者は全てがそろっていた。革のような翼、頭からの角、尖った尾。まさしくその表現しか、2人には思い付かなかった。

 担当者は続けた。


「私達はご子息と、魂というものだと確信して契約をしたわけではありません。ただある夢を見せて、ある種のエネルギーの交換をする契約を、死後行うと決めたに過ぎません」

「それが魂でしょう!あなた方が何の夢を見せたか、私達は見ていました!あれは明らかに、幽体離脱でした!」


 この「2人」は命を落としたのちに、息子を「観測」出来るものの、息子を含む人間、そしてあらゆる物体に触れられない状態になっていた。

 奇妙な「風」が吹く空間から、息子を「観測」していた。風に乗れば息子の周りのあちこちに行けるのだ。

 その何年かあと、息子はこの「担当者」に「夢」で出会い、同じ「風」に乗り、「自分の体」を浮遊して観測したり、そのまま街中や地底や海底、そして宇宙にまで飛び回ったりする体験をした。

 それに喜んだ息子は、その「担当者」から未知の「知識」を授かる代わりに、死後ある「エネルギー」を交換する契約をした。そうすれば、死後も意識が残ると言われていた。

 両親はそれを観測して、止めようとしたが、息子にも担当者にも聞こえず、契約後に、何故かようやく担当者と会話出来るようになった。そうして契約の取り消しを頼んでいたのだ。


「今の私達が幽霊でなくて何なのですか!あなた方が悪魔でなくて何なのですか!魂の契約をしたんでしょう、はぐらかさないでください!私達2人の魂なら差し上げます、1人より2人の方が良いでしょう!」




「私達がご子息と交換するエネルギーが、魂と言われるものの正体かは、まだ分かりません。否定的な学者も我々の中にいます。そういった条件を調べるためにも、ご子息に協力していただきたいのです」

「ですから、何故私達では出来ないのですか!」

「あなた方は、ご自分の状態を幽霊と呼んでいらっしゃるようですが、そこに誤解があります」

「誤解?」


「この素粒子をご覧ください。あなた方と同種の方々が『生まれる』瞬間です」

「素粒子?」


 この2人は驚いた。これまで宗教的な概念になったと認識していた自分達、目の前の相手の正体、さらに息子の実状に。


 宇宙の質量のうち、現在見つかっている通常の素粒子、レプトンという粒子に分類される電子や、クオークという粒子による陽子や中性子で構成されているのはわずかしかなく、銀河系の回転速度と重力の関係などから、電磁波で観測出来ない「暗黒物質」という未知の素粒子が大量にあるとされる。

 それらは電気的な性質を持たないため、反応しにくく、重力を無視するほどの速度で宇宙から降り注ぎ、地球や人体を貫通し続けているとされる。

 その素粒子の中に、中性子と未知の反応をするものがあると、まだ人間の多くは気付いていないが、「担当者」は知っていた。何故なら、「担当者」の種族の体は元々それで構成されているためだ。「担当者」はこの素粒子を「マナイノ」と呼んでいる。

 中性子は、様々な化学反応とも関係する。

 陽子を6個持つ炭素のうち、原子核内の中性子が6、7、8個で異なる同位体と呼ばれる炭素12、13、14は、それぞれ独自の性質がある。

 12と13は、質量の違いから化学反応のしやすさに差があり、植物が二酸化炭素から炭素を集めて光合成するときの濃度にも差があるため、12と13の比率で、光合成の詳細を調べられる。

 また、14は不安定で、約5700年で半分が窒素に変化して中性子に関わる変化をする性質がある。空気中の二酸化炭素は宇宙からの放射線の影響でほぼ一定の濃度の14を含むが、炭素を固定した生物の体内の14は、その生物が死んで呼吸を止めると、空気の交換がなくなるため徐々に減って行き、化石の年代の測定に使える。

 「マナイノ」は中性子と作用し合うため、この炭素とも敏感に反応する。地球や生命、人体を貫きながら、呼吸や光合成などの化学反応によって、その状態や変化を「記録」する性質があった。まだ人間は気付いていない。人体を構成する通常の物質のうち、中性子はクオークによる電気が相殺されているため周りと反応しにくく、分析もしにくかったのだ。

 地球の生物が死ぬとき、中性子を通じて、マナイノがその形状や状態を情報として記録していた。人間はその情報の一部をマナイノの集まりに写し取られて、保存されていたのだ。

 「両親」も、元の体が命を落としたときに呼吸が停止して、素粒子の情報として保存された存在だったのだ。そしてその「情報」の塊が、外部の新しい情報を取り込む、つまり観測も出来るらしい。

 「両親」は自分達と同じように、無数の人間の情報が素粒子によって保存されるのを見た。

 奇妙な風の正体は、通常の物質をすり抜ける素粒子のシャワーだったようだ。「担当者」の翼はその滝のようなシャワーを「泳ぐ」ためのものらしい。

 というより、人間だった頃の「両親」の無意識が、素粒子の塊である自分達や「担当者」を、それぞれ人体や悪魔の形に捉え直しているらしい。






「人間が幽霊と呼ぶものの正体は、この素粒子だったのですか?」

 両親の問いに、「担当者」は答えた。

「まだ断定はされていません。この素粒子への変換は基本的に一方通行で、そこから生身の人間に探知出来る情報に変換される現象は確認されていません。しかし人間が幽霊と呼ぶ伝承が、あなた方と同じ状態になった人間の、我々も知らない原理により情報を送り込んだ結果でないという証明も出来ません。また、あなた方が何故今私と会話出来るのかの原理も不明です」



「息子があなた方とした契約というのは…」

「ご子息が幽霊と言えるかもしれない状態になるとき、我々にその新しい活動の情報を提供してほしい、という実験の依頼に過ぎません。あの幽体離脱のような体験も、素粒子を応用した観測を、見せて差し上げたのです」

「何故息子はそんな…」

「この素粒子は地球すら貫き、様々な生命活動を、同位体の中性子を通じて観測出来ます。たとえばサンゴによる二酸化炭素から炭酸塩への固定などです。また、気温による酸素同位体の変化も分かります。あなた方は理解出来なかったようですが、ご子息は素粒子を通じて同位体を、地球環境や医療、行方不明者の探索などのために研究していらっしゃったのです。サンゴと二酸化炭素と地球温暖化の関係などです。その研究に協力する代わりに、我々は死後の被験者になっていただきたかったのです。確かに魂の利用と言えるかもしれませんが、環境問題や医学や救助活動のために、我々とご子息が互いを知ることが人類のためでもあると判断しました。この実験は、生前の契約でなければ体に干渉出来ず、あなた方では手遅れなのです」




 両親は言葉に詰まった。この「状態」になってから、息子の心配ばかりしていたが、息子や「担当者」はそれより大規模な心配をしていたのだ。地球環境や医療のことを、何となくニュースや新聞で危機感を持っていたものの、自分達が何か出来るとは思っていなかった。そして息子がその研究をしていることも理解していなかったのだ。

 宗教的にしか自分達やこの「担当者」達の状態を解釈していなかった両親が、「担当者」には技術的に遅れて、あるいは目が曇って感じても無理はない。確かに説明しにくいだろう。




「何千年もの間、我々の部署はあなた方人類を観測して、近年ついにその原理を理解出来るところまで人類の技術が進歩しました。しかしおふたりのような状態の方に実状を伝えると、『幽霊』が科学技術を生身の人類に伝えて文明を混乱させるおそれがあり、これまでお教え出来なかったのです。人類はご子息を通じて、ようやく我々の種族と本格的に協力し合えますから、おふたりにもお伝え出来ると判断しました」


 両親は質問を変えた。とにかく話題を作らなければ、精神が持たなかった。また、この質問で反論になるかもしれないと考えた。


「…では、あなた方のその姿が、何故我々にとって恐ろしい伝承のもとになったのです?何があったのですか?」

「我々が人類を調べる中で、出来る限り配慮はしたのですが、素粒子の都合から呼吸などの生命活動が停止する寸前でなければ交信出来ず、いわゆる走馬灯のような状態で人間に我々が観測されてしまうことがありました。どうしてもそのときにばかり我々を見て、死や恐怖のイメージと重なってしまうのです。いわゆる臨死体験や何らかの病気のときに、生還した人間が我々の姿の記憶を持ち帰ってしまうのかもしれません」





 相手に悪いところを見出せず、両親は途方に暮れた。何と反論して良いか分からない。

 「担当者」は続けた。その表情は人間と異なる状態で、精一杯の善意を示していると、両親には感じられた。



「仏教で輪廻と呼ぶ概念も、この素粒子による、言わば生まれ変わりを指していたという説も我々にあります。また、インドのヨガによる呼吸の技術も、同位体を通じてマナイノと相互作用をしている可能性があります。人間の宗教も、我々の技術と繋がるかもしれません。しかしこの素粒子にも寿命があり、それに写されたあなた方人類の意識が、やがてどうなるかは、物理的には分かりません。それこそ通常の人類にとっての死と同じく不可知論なのであり、我々はそれを少しでも知るためにもあなた方から学んでいます」

「我々は、ただの素粒子でしかないというのですか?」

「元々人類の体の材料がクオークや電子なのであり、それが暗黒物質に置き換わったとしても、物質を超えた神秘的な本質があなた方にあると信じていれば、それはその状態でも変わらないかもしれません」





 「担当者」がどこからともなく出した奇妙な機械を動かすと、突然「突風」が吹いた。


「な、何ですか!」

「あの風の向かう先の渦をご覧ください」

「あれは…」



 今まで気付かなかったが、夜空にこの「風」の向かって行き、集まる渦があったと、「突風」により明示された。



「あの渦は、あなた方がいずれ組み込まれるかもしれない、素粒子情報の集合体です。現在まで命を落とした無数の人間の一部の情報を、量子力学の状態の重ね合わせという現象によって、あの素粒子の渦がまとめ上げているのです。あの集合体の1つ1つは元の人間の情報の欠片でしかありませんが、集まると想像を絶する知性を持ちます」

「あれは、神や仏だというのですか?」

「分かりません。ただあの中をご子息が、我々の補助で調べれば、同位体を通じて地球環境や医療の研究をさらに進められるかもしれないと予測されています」

「私達も、元の人間の欠片や分身に過ぎないのでしょうか?」

「元々人間は少しずつ記憶を失っていきます。その一部でも残っていれば、あなた方はあなた方だと言えるのではないでしょうか?」





「息子とあなた方のしたいことは、少しは分かりました。息子が熱中するのも分かって来ました。しかし、私達はあくまでただの人間の心のままでいたい。我々は、息子のために、人としてどうしてあげられるでしょうか?」

「この素粒子幽霊の方々の全員が出来るわけではありませんが、何故かあなた方はご子息を観測出来ます。見ているしか出来ないならば、出来る限り見ているべきでしょう。いつまでその関係が続くか、我々にも分かりませんから」

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