⑪ またチャラ男が出てきた!?
正午の鐘が鳴った。廊下は他愛ないおしゃべりで溢れる。
どの教室から出てくる生徒も軽やかな足取りで食堂へと向かう、解放感に満ちたひと時。
しかし私の担当したクラスの生徒たちはみな、生気を失った顔で、言葉なく移動していた。
私はというと、今、マルグレット先生の教官室にて事件の経過を聞いているところだ。
『一命は取り留めたと報告は入ったけれど、まだ予断を許さない状況よ』
『やはり彼は、病気などではなく、何者かによって?』
『殿下率いる部隊が調査をしている最中だけど、十中八九……』
被害生徒の首筋に、小さな外傷が発見されて……
『遅効性の毒が使われた可能性が高いようね。それも、摂取後1時間程度で効果の出る毒だとかで』
あの1時間前、生徒たちはとうに教室に集い、各々静かに自習をしていたということだから。
『生徒の中に、彼を狙った者が……?』
先ほどから感じていた。マルグレット先生はどうも、それほど慌てていない。教師たるものいかなる時も、平静を保つべきだろうとは思ったが。
『教員の間では、これは起きうる事態だったのですか? 何か思い当たるふしが?』
マルグレット先生は私の問いに一瞬、目を丸くした。そして、渋々なのだろう、口火を切った。
『この国はまだ、戦争の火種を抱えていてね……』
不穏な世相だ。父兄である上位貴族の間でも、子らを外に出すことに、頭を抱える現状ということだ。
よって学院内を不安に陥れることは避けたく、このたび起きたことは内密に処理するよう箝口令を敷くと、彼女は歯切れの悪い物言いで続けた。
この国がウルズとの断交を急いで切り上げたのは、北方との情勢悪化が予測されたから、といった理由が主だったのか。
『北からの刺客が、この学院に? いいえ、私の学級に……』
『要人の子女が集まるこの学院は、まさしく我が国の宝庫。宮廷よりは潜入難易度が低いのも付けこまれた隙ね』
恐ろしさで黙りこくってしまった私を、マルグレット先生は諭す。
『担任であるあなたがそれでは生徒が不安になるわ。これはあくまで事件ではない、ままある生徒の体調不良。平常どおりに午後は授業を進めて。あとはダインスレイヴ様の下のみなさまに任せましょう』
『は、はい……』
そろそろ昼時を仕切り直す鐘が鳴る。
『お、お任せください……。し、自然体を努めます……』
震えを自覚しながら、教室に戻ろうと立ち上がった私。
そこで先生はそんな私を引き止め、こんなことを言い渡してきたのだった。
『ルリ先生、放課後は部活動の顧問を担当してもらうわね』
『……ブカツドウ?』
『ええ』
『コモン??』
私は学校に通ったことがなかったので謎の言葉。
端的に説明を受けた。
『放課後、生徒が得意なことや興味関心のあることに、同士で集まって切磋琢磨する活動なんですね』
学校に通わせてもらえると、若年期にそういう体験もできるのか。
ん? 教師の監督のもと……?
『監督って、生徒の自主的な活動をただ眺めて見ているだけで……?』
『ふふふ、まさか』
マルグレット先生の笑顔、笑っていない。
『教師も参加したり、それどころか指導したりするってことですか!?』
無理だわ! 私、淑女教育受けてないから、特技なんて何もない。
真っ青になった私の顔色で察したか、マルグレット先生は思いあぐねる。
『そうねぇ。急な話だし、準備なしでも面倒見られそうで、今、顧問を必要としている部活はあったかしら……あらっ』
手元のバインダーをじっくり見つめて、そして晴れやかな顔をした。
『あったわ。先月、顧問の先生が退職してしまったのよ。今日の放課後からよろしくお願いしますね』
私はどんな役目を言い付けられるのか、次の彼女の言葉を緊張して待った。
『あなたにお任せする部活動は────』
**
午後の始業ベルが響き渡る中、私は胸元で一度こぶしを握り、教室の戸を開けた。生徒たちはみな静かに着席している。
品行方正な貴族の子女だから、というのもあるが、やはり午前の出来事からの不安が糸を引いているのだろう。
私まで
『それでは授業を始めます』
『起立! 礼!』
学校って軍隊みたいなのね。
ええと、マルグレット先生から預かった学習シートは、と。
ん、これこれ。
先ほど、授業で使用する教科書はどうすれば、と相談をしたら、正規版が準備ができるまではこちらの即席のもので対応して、と渡された。一応、国家間会議で実務に当たった通訳士が監修したものということだ。
内容を確認する時間がなかったから……仕方ない、今回は同時に読んでいこう。
『プリント、全員に渡ったわね? まずは……この
この指示に、緊張の糸の、張り詰めた音がした。
当然だ。みなが、この教室に殺人未遂犯がいるとクラスメイトへの警戒を強めている。そもそもこのクラス自体が即席だ。まだ生徒同士が連携できるほどの交流を持てていないと聞いた。
『ではまず、学級委員のふたりに手本をお願いしましょうか。ふたり、起立!』
『はい』
『……』
責任感のありそうな彼らだ。居ずまいからして聡明な雰囲気を醸しているし、ここで実力を存分に見せつけてもらおう。室内の空気をどうにかして変えないと、授業にならないから。
『ええっと、ブラギ君が“銀行職員の男性”ハドソン、イリーナさんが“母子家庭の娘”ララね』
あら、人物設定がなかなか細かいわね。
『お任せください』
ブラギ君は予習で磨いた腕の見せ所、といったふう。
気位の高そうなイリーナさんは、シートをじっと見つめ返事もない。だが、すでにスタンバイOKといった様子だ。
『お昼時、ララの家の前で、ハドソンとララが出会った
ハドソン(ブラギ):「おかあさまはいますか?」
ララ(イリーナ):「いません」
ハドソン:「あなたは、なんさいですか?」
ララ:「……ごさいです。あなたは?」
え? ダイアログには
ハドソン:「さんきゅーでーす」
あれ、39歳でしょ? ……こちらも「じゅー」が読めないのね!?
というかブラギ君には、初対面の挨拶のこともあって、軽薄男の印象が……いえ、本人になんの責任もないわ。
ララ:「いえいえ」
?? 会話が正しいんだか、正しくないんだか……。
実際のダイアログは……「39です。独りでお留守番、偉いですね」「いえいえ」か……。
一文抜かしていたけどちゃんと会話になってた!
ハドソン:「おかあさまはなんじにかえりますか?」
ララ:「……くじです」
「19時です」とあるけど、2時間くらいのズレはいいかしら?
ハドソン:「じゃあ、に……じにいきますね」
20時のところが、14時に伺うことになった!
ララ:「たのしみです」
お母様19時にしか帰ってこないのに。中年男性と15歳のお嬢さんが5時間も家にふたりきりなんて、よろしくないわ!
……はぁ。ちょっとヒヤヒヤする、このダイアログ。
『はい、そこまで。ありがとう、ふたりとも』
ふたりは“やりきった”という達成感を顔に浮かべ、ゆるりと席に着いた。
『みんな、聞いていたわね? 彼らのようにやってみて……』
ジロ、ジロ……じりじり……って、みんなお互いを意識してばかりで何も聞いてない……。もう、学習どころではないわこの状態。
どうしよう、なんとかしなくては。
……よし、こうなったら。
みんな、聞いて!
『みんなで、
自分の中ではありえないほど、声を荒らげた。
すると、各々がザッと一気に、教壇の私に注目したのだった。
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