⑤ ご賞味くださいっ

 快晴の続いたこの週の末に、挙式の時が訪れた。


 サーベラス以下大勢の警備兵、侍女に囲まれ私は、大聖堂前に移動している。


 転ばぬようゆっくりとした足取りで、侍女らが案内してくれた先にいらしたのは、ラーグルフ様であった。


『ご機嫌うるわしゅう、ユニヴェール様。あの、ご尊顔を拝することができないのですが』


 重ねヴェール作戦に抜かりはない。


『おはようございます、ラーグルフ様。諸事情により、このままでご挨拶させていただきます』


『…………。失礼』


 彼の一言から多少の苛立ちが感じ取れる。


『あっ』

『新郎以外の男がヴェールをあげる無礼をお許しいただきたい。どうしてこんなに分厚いヴェールをお被りになられているのか』


 ああ、ラーグルフ様の紫がかった御髪おぐしは綺麗だな。初対面では、その紫みが私の髪色の系統のように思えて、少し親近感が湧いたものだ。

 でも、完全に非なるもの。


『ご容赦ください。人の目が気になるのです』


 幾重にも重ねて透明感を失ったヴェールを自分の面前に戻した。ラーグルフ様は呆れ、ため息をつく。


『このたびは私が祭壇までのエスコート役を仰せつかりました。私のような者では不足でしょうが』

『いいえとんでもないです!』


 ヴェールで彼の顔は見られないが、急に声を張り上げた私に目を丸くしたような。


『あのっ、頼もしいです、とても』


 サイズ直しの最中、侍女たちが話してくれたには、ラーグルフ様はダインスレイヴ王子の乳兄弟で、職務においても武芸においても才覚にあふれ、王子にとって幼少から頭の上がらない存在だとか。


『新郎の元までは、前方の見えないあなたの目になりますから。ゆっくり行きましょう』


 頼りがいのある兄がいるっていいな。


『しかしの方のご前に立たれたら、心のヴェールをお取り払いくださいね。彼は今日の日を楽しみに、目下にクマを作ってあなたをお待ちです』


 ……社交辞令? ああ、そちらの国としても、私を取り込んでおいて損はない、か。




『病めるときも……愛し慈しみ……』

 牧師の畏まった声が大聖堂に響く。窓からの陽光が春のぬくもりを連れてくる。


 このヴェールの向こうではきっと、光の中で粒子がふわふわと舞い、荘厳な美しさに満ちた空気が流れるのだろう。


 ふっと小さく息を抜いた。


 こんな私が、その中心にいるなんておかしい。私の世界はいつも……厳重な壁に閉ざされ、よどみ、風のない────


「!」

 ヴェールがふわっと飛んでいった。このとき視界に飛び込んできたのは。


「…………」

 考え事をしていて意識が散漫だった私。この瞬間、息をのんだ。


 目の前の人、きらきらしてる、綺麗……!!

 白銀の衣装に身を包むこちらの方が、私の旦那様になる人……?


 天頂から星が落ちるように、透きとおる銀の髪がきらきら瞬く。

 切れ長の瞳、高い鼻梁、妖艶な唇のライン……。天から遣わされた彫刻家の手による作品かしら?


 そんなふうに見惚れていたら。

 澄んだ水面みなものような瞳が、私をめがけて矢を放つ。わたしとの距離をぐっと詰めてくる。


 逃げ場がなくてソワソワしてしまい、慌ててぎゅっと目を閉じた。


 あ、でも今、ふいに見えた。目の下のクマ……。


 その刹那、ふっと柔らかな唇が私の頬に触れる。唇の端をぎりぎり、外して。


────触れるか触れないかの、儀礼的なキス。なんだかぎこちないような……。


 私には挨拶のキスの経験もなくて、これが初めてだったけれど、実感した。

 どうやってもこの憂鬱な呪いは隠しきれなくて、この方にとっても私は異端で、これ以上、私には触れたくないのだと。


 私と会うのが楽しみなんてあるわけない。こんな、押し付けられた花嫁なんて。


 行き場のない失望感が私を襲う。私だってこの方とお会いするのを、楽しみにしていたわけではないのに。


 だけど、きっと、どこか期待していた。


 私でも妻として、この国の一人民として、人と人との絆を育める、


──“夫婦”という間柄に。





 自室の窓際でひとり、この佳き日に薬指の輪で結ばれた人を待つ。


 紺碧の夜空を、朗月がそぞろに渡りゆく。清々しいその姿、私の目には孤月に映る。


 この夜のために、ベッドに赤薔薇の花ぶさを散りばめながらアンジュが言っていた。


────「ユニ様、すべてダインスレイヴ様にお任せすればよいのです! 逆に言うと反抗してはなりません!」


 いつもより上調子で、忌憚のない助言をくれている。そこにラスが乗り出して来て。


「いや、王子の行いに我慢がならなければ、××××を蹴り上げ、なんとしてでも逃亡をお図りください!」

「それはだめです! 国家間問題に発展しちゃいます! ラスさんの首100回落としても足りませんよっ」


「でもね、ダインスレイヴ様は私になんて触れたくないのじゃないかしら。この髪を目にしたら、きっとがっかりされるわ」


 初夜は慣例ということで白い衣装をまとったが、これは身体のラインに沿ったフォルムのドレス。トータルデザインとして大げさなヴェールを被るわけにいかないし、一時的に隠したところで仕方ない。


 髪は結わずに、あえて下ろしておくことにした。どうせ失望されるなら早いうちに。


「いえ、据え膳食わない男性はいないです!」

「こら、アンジュ! ユニ様を据え膳などと無礼が過ぎる!」

「超高級シャトーブリアン・ステーキでも据えていれば据え膳ですっ」────



 私は据え膳、据え膳……。心を押し殺して、据え膳に擬態してみせる。そのために今からでもできることって?


“他者に取り入るにはまず、笑顔と心得よ”


 こんな時にお父様の言葉が蘇る。私からそれを奪ったのはどこの誰よ……。


 でもここで実家スコルの娘として、役割を果たせることができたならば。


 ……私のお母様にした仕打ちを遠くから……後悔させてあげる。


「…………」

 なのに、なんで私の表情筋は頑として動かないの……。


 トントントン── 項垂れたこの瞬間、扉をノックする音が部屋にこだました。


 ああ、ついにこの時が。

 婿君が訪れたらどうすればっ……。もう頭が真っ白よ。

 椅子に腰掛けて待っているのが普通? それともベッドで横たわってるほうが意欲を買っていただける? ここは奥ゆかしさが必要? でも私もう28歳だし、扇情的な雰囲気が正解? 彼はどちらがお好きなの??


 とりあえず座って待っていることにした。扇情を求められても無理なものは無理、火を見るより明らかだわ……。


「…………」


 ノックから3分が経過した。


「…………?」


 トントントン── あ、迎えに出るのが正解でしたのね。

 お相手が王家の人だからと、こちらの返事を待たず突進してくるだなんてひどい思い込み。偏見は良くないわ。


 私は意を決し、おもむろに扉を開けた。


『……お待たせいたしました』


 目を大きく見開いたダインスレイヴ王子がそこに。後ろには幾人かのお供をお連れで。


『ああ、良かった。逃亡されていて、ここは既にもぬけの殻ではないかと心配だった』

『ご心配をおかけ……っ!』


 彼は右手で私の手を唐突にとり、そして回した左手でこの腰を支えたら、ゆっくりと、でも力強くエスコートしながら前進するのだった。

 扉から離れ行く中でそれの閉まる音が聞こえた。


 若干強引な彼のその行為は、決して私の足をもつれさせるようなことはなく、進む先は、薔薇の香りに満ちた私の寝床。


 ……今からはふたりの……。


「きゃっ……」


 これには声を上げずにいられないほどの衝撃だった。


 彼は私をベッドに……放り投げた?


 ベッドはふんわり柔らかく、どこも痛くはないけれど、一瞬空を飛んだような感覚に。


 この直前、私は彼のエスコートに心地よい酔いを感じていた。だからもう、あっけにとられてしまって。油断をついたような策に嵌り、激しく押し込められたと思ったら、次に彼は私の上に覆いかぶさり……


 叫ぶのだった。


『君が欲しい!』


『は、はい!』


 軍兵のように返事をした。


『君に拒否権は多分ない』


『は、はい』


 もう、ぎゅっと目を閉じた。


 据え膳! 据え膳!! 私は据え膳!!!


「……?」

 しかしすぐ真上の彼、微塵も動く気配がない。


「?」

 恐る恐る目を開けた。


 すると至近距離に飛び込んできた、なんて美しいかんばせ。このご尊顔にぼーっと見入ってしまっていた。


『君を王立学院中等部国際交流科の言語文化専任教師に任命する!』


『は、はい!』


 え、今、なんて?? ちょっと聞き慣れない言葉の羅列で、うまく聞き取れませんでしたので……


『もう1回おっしゃってください……反抗しませんので』


 ものすごく滑舌よくおっしゃっていただいたのに、言い直しを要求してしまって


 すみません。


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