4話「リカルドの作戦」

「ゴナン、また倒れたのか?」


 リカルドに背負われて帰ってきたゴナンの姿を見て、アドルフが驚いて飛び出してきた。


「大丈夫ですよ。多分、今日のは、お昼寝です」

「お昼寝…?」

「それより、早速届いているみたいですね」


 リカルドは、家の奥で他の家族がワイワイと騒いでいる様子に気付いた。

「ああ、お屋敷様からだそうですよ。リカルドさんの滞在に不都合がないように、と」

 昨日、応接してもらった部屋に所狭しと積まれた水の樽と、食材が詰まった箱が5箱。いったいどれだけ食材を備蓄しているのだろう。ミィはピンク色の果物をつまみ食いして、母に咎められている。賑やかしい雰囲気にゴナンは目を覚まし、リカルドに背負われていることに気付いて、わっと飛び降りた。


「あれ、俺、寝てた? というかこれ、どうして…」


 涸れた泉のほとりにいたはずの自分の身が家に戻っていて、そして水と食糧で部屋が埋め尽くされている光景に驚く。

「あの老人、こういう手配は早いんだなあ。流石、賄賂で身を立てていただけある」

「いったいどういう手を使ったんだ? あのお屋敷様が、他人のためにものを差し出すなんて…」


長兄のオズワルドが興味深く尋ねてくる。

「まあ、たいしたことではないのですが、彼が王都にいたころの振る舞いを聞いていたので、その話を少ししただけですよ」

 もっと詳しく言えば、彼が王都での政争に破れたうえに、汚職にも手を染めていてへき地に逃げ出した哀れな貴族だということを知っていた。彼がここに住んでいることを教えてくれたのも、彼を追究し追い出した貴族、張本人だ。

「彼はここに住んでいることを、王都の人々にあまり知られたくないようですね。私は別に、彼をどうこうしようと思っているわけではないのですが」

「あらかじめ、調べていたのか」と感心するアドルフ。

「必要かどうかは分かりませんでしたが、何があるか分からないから、念のため。役立ってよかったです」

にこりと笑うリカルドを、驚きの表情で見上げるゴナン。

「悪い大人だ」

「えっ、僕が?」

「アドルフ兄に教えてもらった。この世界には悪い大人がいるって。実物は初めて見た」

「いや、待て。その認識は間違っている…と思う、よ、ゴナン。というかアドルフさんも、どういう教え方を…」

 自分のハンモックの方へと向かうゴナンを追いかけるリカルド。アドルフは二人のその様子を、くすくす笑いながら面白そうに見ていた。



 奥では兄弟と母が、水と食材の取り扱いについて議論している。

「他のお家にも分けてあげたいけど、それには十分な量じゃないわねえ…」

「そうだな…、うちにだけこれだけ届けられているのが知られると、よくは思われないかも知れないな。そもそもリカルドさんのためのものだし」

 母と長兄のこの会話に、「独り占めしようなんて発想は、最初からないんだな」とリカルドは驚いた。幸いこの家は集落から外れていて、おそらく他の家には気付かれていないのに。彼らも十分、善良だ。


「僕はどう扱ってもらっても構いませんよ。ただ、気持ちとしては、この家の皆さんでいただいて欲しいとは思っています。押しかけてしまっているのもあるし、ご迷惑でなければこのまま何泊かさせていただきたいし。それに、他にもお願いしたいかもしれない、こともあるので」


 妙な含みを持たせて、リカルドは彼らに伝えた。

「例えば、お屋敷様のところで食材と交換したことにして、水を村の人へ少しわけてみてはどうでしょうか? たぶん、この調子だと水は毎日届くと思いますよ」

「そうだね、それでいこう。母さん、いいかな?」

「そうね、食べ物は保存できるものも多そうだから、いざとなったとき用に蓄えておいてもいいわね」

そうして母は、腕を組み可愛らしく微笑んでリカルドを見る。

「…ひとまず今日は、リカルドさんのおもてなしね…!」


+++++++


 夜、この家で、本当に久しぶりに、笑顔と会話が溢れる食事の時間が溢れた。久々の潤沢なご飯、痩せ細っていた胃はあまり多くの食べ物を受け付けなかったが、それでも心が満たされた。双子がはしゃいで冗談を言い合い、ミィをからかっている。オズワルドはあきれ顔ながら笑顔で眺め、アドルフは初めて見る珍しい果物の何らかのうんちくを語っている。横でゴナンは、相変わらず無言ではいるが、食事が進んでいるようだ。


(これでお酒でもあれば楽しい宴会だけど…)


 心が高揚したリカルドは、ふと、自身のバックパックにキィ酒の小瓶が入っていたことを思い出した。キィという穀物で作られた、度数が高い酒。寒い土地に行った時用にと備えていたが…。


(今日だけは、少しくらい、こっそりとなら、いいかな?)


 そっと場を離れて、外に張ったテント内のバックパックから瓶と盃を取り出し、テント外に布を敷いて腰掛ける。

月が無く、雲一つない真っ黒な空に満天の星。

ちょうど南の空には、赤い「彼方星」が煌々と浮かんでいる。

リカルドはこの星がとても好きだ。夜空を眺めながら小瓶を傾けて少しだけ酒を注ぎ、口に含んだ。


「ああ、きれいだなあ…」


 そのままゴロンと寝転がる。のどからじんわりと酔いが染みてくる。この地が、水の一滴すら惜しむ干ばつの最中にあるということを、少しだけ忘れそうになっていた。


「今日は彼方星がよく見えますね」


アドルフが外に出てきた。

「あ、自分だけすみません、こちらを一口だけ…」と酒瓶を見せる。

「…これはキィ酒ですね。実物を見るのは初めてです」

「飲んでみますか?」

「では、一口だけ、こっそり」

いたずらっぽい笑顔で、盃に少し口を付けたアドルフは、うわっと声を上げる。

「これはかなり強いですね、あ、でもキィの香り…。雑味もない。おいしいなあ」

 この地域では酒と言えば、家庭で作る濁酒(どぶろく)のことだ。純度が高く薫り高いお酒に、アドルフは感激していた。あまりお酒に強くないのか、今日の食事を得たとはいえ体には酷な度数だったのか、金色の目がとろんとしてくる。


「鳥の伝承も興味深いですが、彼方星の赤い光の中に登ることができれば、そこに楽園があるという伝承もありますよね」


 アドルフが星を見上げながら語り始めた。少し饒舌にもなってきたようだ。


「ああ、聞いたことがあります。あの、一つだけ赤く大きな光を人間は恐れて、夢を見てしまうんでしょうね…」


 彼方星は、他の星よりもまばゆく、大きい。他とは違う赤々とした異様な光は美しくもあり、おどろおどろしくもある。土地によってはその輝きが吉兆とも凶兆とも捉えられている。人々は自らを投影しながら、それぞれの解釈と願いを乗せるのだろう。


「でも彼方星の伝承は、隣国のエルラン帝国の、ごく一部の地域でいわれているものだったような…。キィ酒のこともご存知でしたし、アドルフさんは本当に博識なんですね」

「腕力や体力で役に立たないものでね。知力だけでも磨かないと。『知っている』ことが時に大きな武器になると、今日も教えていただきましたから」

そう言ってアドルフは、リカルドのマネをして横になった。

「それに、俺はいろんなことに興味があるんですけど、星のことを一番に知りたいんですよ」

 頭の後ろで腕を組んで、金髪の柔らかなくせっ毛を少し揺らす。


「…俺はね、ちょっと驚いているんです、ゴナンが」

「ゴナン君?」

「ええ、昨日もあなたにうちの家のことを話していたり、さっきも軽口をたたき合っていたりして。ゴナンがすごくしゃべっているじゃないですか」

「…えっ、あれでですか?」


リカルドの中では、十分無口な印象だが。


「普段はもっと静かですよ。兄弟が多いせいもありますが、生まれつき弱々しかったし、こういう厳しい環境なので心配していたんです。干ばつが始まって、俺たちと同じ量食べているはずなのに、もっと弱ってしまっていたので。心配して多めに食事を渡しても、あの子はミィにあげてしまうんですよ」

そうして、リカルドの方を見る。

「リカルドさんにはとても懐いているようだし、元気が出ているようで、少しほっとしているんです」

「そうですか…」

 自分がいなければ食い扶持が減る、といったことを口にしていたゴナンを思い出していた。


「……私は研究であちこち旅して回っている身ですが、ゴナンくんも付いてきてはどうかな?と思っているんです」

「あの子を? なぜ?」

「うーん、なぜ、と言われると…。

最初は彼の境遇に同情したというのもあるけど、ゴナンくんには何かきっかけが必要な気がしたんです。今のままだと彼の人生は、何も欲さないまま、ただ命を少しずつ削り落として行くだけのように見えてしまって」

「……」

無言でいるアドルフに、リカルドははっとする。

「…ああ、失礼な言い方でした。好んでそうなっているわけではないのは、理解しています」

「…いえ、あなたのおっしゃる意味は、よく分かります。そうか、旅…。それは、いいかもしれませんね」

アドルフはふう、と息をつく。


「だけど、それは難しいです。兄たちが、決して許さないと思います」


 アドルフがはっきりと断言したのが、リカルドは意外だった。理由を知りたかったが、あまり踏み込みすぎるのは良くないように思える。多少、気心知れた雰囲気になってはいるが、リカルドと彼らはまだ昨日出会ったばかりの他人にすぎない。

「…まあ、この村でしたいこともあります。明日、相談させてください」

リカルドはアドルフにそう伝えた。彼の瞳がまた、好奇心でキラリと光る。


「あは、次は何だろう。楽しみです」


アドルフはそう口にして、彼方星の真っ赤な輝きに、また目を遣った。懐かしい何かを見るような、遠い遠い眼差しだった。


++++++++++++


 翌朝。

いつもならミィを除く兄弟達は、食材や水を手に入れにほうぼうに出かけるところだが、もちろん今日はその必要はなかった。その代わりリカルドが「ちょっと相談をしたい」と兄弟を奥に集めた。ゴナンも珍しく早くに目覚めて、その輪の中に入っている。母とミィは、土間で食事の準備だ。


「僕は鳥の研究をしているとお話ししましたが、そもそもは自然環境や地質学を専門としているんです。昨日、ユートリア卿のお宅で井戸を見せてもらって、泉や村の地形も見せてもらって、この村のために自分にできることがあると確信しました」

 アドルフがちらりと長兄の方を見る。オズワルドは厳しい顔だ。

「まあ、大体、察しはつくが…」

「でも、その前に、いくつかあなたたちに確認をしないといけない、そしてその回答によっては、それを僕は行わない方がいいかなと思っています。僕は決して、この村の平穏を崩したいわけではないんです」

 双子も何の言葉も口にしない。

「昨日、村の人々とお会いして話もしました。皆、飢えて痩せ細っていました。皆さんは、彼らよりは少しだけ元気そうだ。それに皆さんだけが鳥の伝承をあまり信じていないし、お屋敷様への目線も全く違った。視野の広さを感じます」

 オズワルドが厳しい顔のままで話を聞いている。


「私はどうにも不思議で。あなたたちはその気になれば、ユートリア卿の屋敷を制圧して、井戸を解放させるだけの力だって十分に持っているように見えます。きっと彼を追い出すことだって」


 昨日、屋敷で見かけたのは、門番としてリカルド達を出迎えた壮年の男性と、召使いの老人だけ。あそこに食材を運ぶ者など、あと何人かは関係する人間がいるかもしれないが、全く不可能な話ではない。


「命の危機に瀕してまで、あなた方が“善良”である理由は、何なんでしょう?」


 オズワルドは、ふうっと息をついて、応えた。

「そこまで深い意味はありません、あなたと同じで、この村の平穏を崩したくない。それに、あなたには信じられないかもしれませんが、あのお屋敷様もおそらく同じです。ああいう人ではあるけど、村に何かを強いたり、村人を虐げたり、理不尽を押しつけることはないんです。ここは、彼がようやく辿り着いた平穏の地でもあるのかもしれない。干ばつさえ来なければ、でしたが」


「そこまで村のバランスに気を使うのは、あなたたちがこの村の外から来た、よそ者だからではないですか?」


一堂がはっとリカルドを見る。

「それは…、それも、あります。分かりますか」

「ああ、やっぱり」

 浅黒い肌の人間が多いこの村の中で色素が薄いこの兄弟の見た目は余りにも違ったし、村人はユーイやミィのようなシンプルな名前なのに、兄弟の上4人が妙に大仰な名前であることにも違和感を感じていた。1軒だけ不便な村の外れに家があることも。


 だからこそ、不思議だったのだ。昨日村人達から聞いたこの一家の話を聞いても、この兄弟達は一歩引いたところから村人に“奉仕”しているようにすら見える。


「ついでに言えば、この村の人たちは20歳過ぎれば結婚適齢期で、独身の方は少数派のようなのに、誰一人結婚せず家も出ていないというのも、不思議ではあるんですが…」

「…それは、まあ、甲斐性の問題ですかね…」

困ったように笑う長兄オズワルドに、次男三男の双子が

「兄貴は出戻りだよ!」「いろんな人の世話を焼き過ぎて、外出が多すぎたから、奥さんに愛想をつかされたんだよ」

と余計な情報をつけ加えた。

「お前達はそんな風に落ち着かないから、誰も認めてくれないんだろう! 俺はいいんだよ、この家を守らないといけないから」

まあ、そのあたりは色々あるだろう。そもそもそこに関しては、オズワルドより1歳年上のリカルドも言えた立場ではないのだけれども。


おほん、と咳払いをして、オズワルドは話を続ける。


「私たちの父親も、あなたのように、旅をする学者だったんです。

その…、ちょっと変わり者の。

だからこんな所に住むことになったわけですね。ずっと家族で旅をしていたんですが、あまりにも自然体のままのこの土地に価値を感じたとかで。ですから、今でも我々は『自分たちがこの村では異物である』ということは忘れないようにしているんですよ。私たちが入り込みすぎると、きっと村を変えてしまうので」

「そう言う意味では、あの『お屋敷様』も異物では?」

「ええ、ですから注意深く見てはいました。でも、彼にとっては屋敷の中の世界が、全てのようなので」

 厳しい顔に戻るオズワルド。あるいは、何か村に害をなすような人物であったのなら、また違った振る舞いだったのかも知れない。リカルドは続ける。

「お父さんは、亡くなられたとお聞きしましたが」

 ゴナンから聞いていた情報だ。

「ええ…。私たちが父に連れられてこの村に来たのは、ちょうどゴナンが生まれる少し前です。末っ子のミィが生まれた直後に、あちらの山で滑落してしまいました。遺品のノートを見ると、珍しい生き物を追っていたようでした」

 そう振り返るオズワルドに、アドルフは懐かしそうな眼差しで続けた。

「だから、あなたが鳥を追ってこの村に来た、旅をする学者だと聞いたときには、少し驚いてしまって。なあ、ゴナン」

「いや、俺は父さんのことはほとんど、覚えてないから…」

 ミィが生まれた直後と言うことは、ゴナンが5歳の時。彼の記憶にあるのは、金髪の大きな男性の、ボンヤリとしたシルエットと、大きな手だけだ。自分たちが外からやって来たという記憶も、ゴナンの意識には薄い。


「ああ、話がそれてしまいましたね…。それで、要は、新たに井戸を掘りたい、ということなんですね」


長兄オズワルドが、ギラリと茶金の瞳をリカルドに向けた。


「ええ、そうです。掘れば確実に水が出るというものでもないですが、水が出そうな場所の大方の目星は付けられています。

ただ、どうしても1人でできる作業ではないので、できればあなた方の力を借りたい。でも、井戸ができることで、あなた方が保とうとしているバランスを崩してしまいかねないのではないかと」

「まあ、もともと村人の側には泉があったのだし、命には替えられない。

井戸ができるのならば、それを拒否する理由はありませんよ。確かに、お屋敷様には、多少は刃向かっているかのように見えるかも知れませんがね。命の前には、小事です」

 それならば…、とリカルドは考える。

「深い穴を掘らないといけないので、皆さんだけでは大変な作業になってしまうかもしれません。本当は村人総出でできるといいんですが…」

 今日見てきた村人の痩せ細った姿を思い出すと、それはとても難しそうだ。

「ひとまずは、こちらに届いた水と食事でみなさんに力をつけていただいて、それで井戸掘りに貢献してもらう、というのでどうでしょう?」

「それで水が出れば、間接的にこの水と食材が村みんなのためにもなるな。少し回りくどいけども、それでいこう」

オズワルドがうんと頷き、家族一同も応えた。




「……リカルドさん」


 兄弟達がほうぼうに散ったところで、話を聞いていた母・ユーイが隣の土間から来て、そっとリカルドの手を握った。

「あなたには、いろんなことを感謝しないといけないですね。旅する学者なんて根無し草で、1箇所にとどまらない人種だとよく知っています。その足を止めてまで、あなたには何の益もないことに、尽力してくださって…」

「…いいえ、益はありますよ。ここは人が生きるのにはとても厳しい土地ですが、新しく知ることがたくさんあるんです。それは、何にも勝る私の喜びでもあります。…きっと、あなたのご主人と同じ思いだと、想像します」 

 痩せてシワが目立ってしまった顔をゆがめて、ユーイの瞳は少しうるんだようだった。

(ああ、そういえば最初に、学者なんて人種は、という話をしていたな…)

リカルドがこの家族にいだいていた違和感はほとんど消えた。何よりも、この状況下でなお自律的な振る舞いに徹する一同に、恐れすら感じていた。


 と、話し合い中、ほとんど無言だったゴナンが、母の脇からそわっとリカルドの方に近寄ってきた。「てことは、リカルドさんは当分、この村にいるんだな」「あ…ああ、そうだね。もう少し調査して、掘る手伝いもしないといけないし…。君の住み処の隣のテント、まだ張ったままでもいいかな?」ゴナンは無言で頷く。無表情に見える顔の少しの変化に気づき、リカルドはやさしい微笑みを浮かべていた。

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