刺繍聖女の平穏なる日々〜騎士団長様と結婚しましたが私は趣味に没頭いたします〜

楠千晃

第1話 結婚式は突然に

 空は晴れ渡り、地には花々が咲き乱れーー私は純白のウェディングドレスを身に纏っていた。最高級のシルクとレースをふんだんに使ったドレスは、まるで真珠のような光沢を放っている。

 私たちの式を見ようと集まった大勢の人々。それはすべて初めて見る人々で、私は名前さえも知らない。

 結婚式というのは一大イベントのはずなのに私にとっては特別な感慨もない。愛する人と結ばれる、とかいうのだったらまた違うんだろうなぁ。

 私は今日、異世界で知らない男と結婚する。



 私、柴崎悠里は綿のように疲れていた。ブラックな職場で毎日体力と精神をすり減らしているせいだ。

 先月、クライアントが急に無茶を言い出し、今日まで実に三十連勤するハメとなっていた。先ほどその仕事を無事に納品し終えることができたのだが、定時に帰るのはいつ以来だろうか。


「かーえーれーるー……」


 疲労感で身体はひどく重かったが、まともな時間に帰ることができるという喜びでちょっぴりテンションが高かった。

 久々に寄り道をしようと思ったのはそのせいかもしれない。この時間なら、まだあの店はギリギリ開いている。

 町の小さな手芸店。そこで色とりどりの刺繍糸を見るのが私の楽しみだった。

 刺繍は趣味というよりもはや生き甲斐で、時間があれば何かに針を刺している。

 手芸店には通い慣れたもので、目をつぶっていても辿り着くことができる。だからそのとき、私は歩きながら寝てしまっていたのだと思う。

 ふと目を開くと、光り輝く空間にいた。光の粒子がちらちらと顔を撫でて一気に頭が覚醒する。

 会社帰りだから今は夜のはずなのに、おかしい。こんなにも辺りが眩しいだなんて。

 商店街を歩いていたというのに、周囲にお店がない。お店どころか、建物の一つも見当たらない。

 ここはどこだろう。もしかして道に迷ったのではないだろうか。

 私は急に不安になった。光が私の周りを舞う様子は美しかったが、それはこの世の光景ではないような気もする。

 電柱か自販機……何か現在地が分かるものはないかと辺りを見回すと、そこに跪いて顔を伏せている男性の姿があった。私は思わず、彼の手を取って尋ねる。


「あのっ、すみません!ここはどこでしょう?!」


 男性はぎょっとして私を見つめ返した。

 ふっ、と辺りの空気が変わった。あれだけ辺りが眩ゆかったのに光度が落ち着いている。

 白く統一された天井に壁、柱……どうやら私は室内にいることが分かった。

 後ろを見れば大きな女神像が恭しく飾られている。それは水晶のような透明な鉱石でできており、窓からの陽光を受けて七色に輝いている。

 もしかして美術館にでも迷い込んだのかな?でもそんな場所、近所にあった?

 困惑していると、男は私の手を優しく握り返した。彼は銀色の髪と藍色の瞳、そして真っ黒なマントを身に纏っていて、喪女の私は自分の目を疑う。

 こんなイケメン、近所にいた?


「まさか聖女が私に降臨あそばすとは」


 え?聖女?なになになに?


「私の元に降り立ってくださった限りは、私が貴女をこの命をかけてお守りいたしましょう」


 三十連勤の仕事帰りーー私は手芸店に立ち寄るつもりが、異世界へと迷い込んだらしかった。


 その後のことはあまり覚えていない。私は異世界の神殿に辿り着いたらしく、神官さんになにやら色々と説明された。あまりにも突拍子もないことだったので、すべてを理解できたかは自信がない。

 そもそも聖女って。人違いでは?

 そう思ったけれど、私には間違いなく聖女であるという標が刻まれていた。右手の甲ーーそこにフリージアの花のような紋様が記されていたのだ。

 いつのまにこんなものが?分からない。もちろん、タトゥーなんか彫った覚えはない。

 神官さんたちが言うには、それはこの世界を守る女神の紋章らしい。聖女は女神が遣わした慈愛の代行人であり、その手には女神の標を宿しているのだと。だから私は聖女で間違いないのだそうだ。

 色々と説明されてとりあえず分かったことは、この世界が危機に瀕しているということである。危機というのは、世界に瘴気が溢れて魔物が活性化しているということ。そして私がその瘴気を薄めることができる聖女だということである。


「それって、この世界のために私は戦ったりしないといけない……ということですか?」


 剣を握って大冒険?いや、聖女という役職からして魔法を使ってなのかもしれないな。でもそんなこと、デスクワークと刺繍しかしてこなかった自分にできるわけがない。

 すっかり腰が引けている私を見て、おじいちゃん神官は穏やかに微笑んだ。


「そのような危険なことはこの世界の人間にお任せください。ただ……その、聖女様には好いたお方などはおられますかな」

「え?好きな人ですか?いませんけど」

「そうでございますか、それは重畳。それでは聖女様にはすぐにでもご結婚いただきたく」

「……は?え?誰と?」

「相手はこのクロスティ王国が随一の騎士でございますよ」

「え?騎士?私が知らない人ですよね?なんでです?」

「聖女様がこの世界の人間と結婚すること……それは聖女様がこの地に根付くことを意味します。それによって聖女様の力は遍く世界に広がりーー」

「分かりました」

「おお、よろしゅうございました。それではさっそく準備をーー」

「家に帰りまーす」

「おっ、おまっ、お待ちくだされ」

「好きな人がいないからって、いきなり知らない人と結婚なんてできませんから!」

「いえいえいえ、お帰りにはなれませんぞっ?!果たして聖女様は帰り道をご存知なのですかなっ?!聖女様は自らこの世界にやってこられたわけですがっ」


 帰り道?確かに私は寝ながらフラフラ歩いていたらいつの間にかここにいて……。いや、目を瞑って歩いていたから帰り道なんて分かるはずがない。

 そもそも女神像が安置されている大礼堂のどこにも、日本に繋がる道はなかったし……私ってば帰れないーー?


「そう落ち込むことはございませんぞっ!聖女様が結婚さえしてくださいましたならっ!あとはお好きに過ごしていただいて構いませんからあぁ!」

「え?」

「聖女様には任務などほぼございません!結婚の儀式の後は自由でございますぞ!のんびり過ごすもよし、趣味を楽しまれるもよし、友人を作られるもよし!」

「仕事が……ない?」

「はい!……三月に一度は聖女のお勤めのために神殿においでいただきますが、それ以外はもうご自由にお過ごしいただけますじゃ」

「仕事しないのに、生活は?」

「まさか、聖女様が生活の心配をされることなどございませんぞ。国と神殿が全面的に保証いたしますじゃ」

「……おお?!」

「3食昼寝付きで衣食住の心配無用、待遇よし、結婚後の時間はほぼ自由ーーいかがですかな?!」

「しましょう!結婚!!」

「ありがとうございますぅぅ!!」


 まあよく覚えていないけれど、私はこんな調子で結婚を承諾してしまったのだった。

 そのあとはあまりにも眠かったので、部屋を用意してもらって爆睡した。なにせ30連勤を終えたばかりである。私は疲れに任せて泥のように眠りーー起きた時には私がこの世界に迷い込んでから丸二日が経過していた。


「聖女様が目を覚まされたぞ!」

「良かった、このままでは式に間に合わないところだった」

「今のうちに採寸を!」


 神殿はやけに慌ただしかった。人がひっきりなしに現れては色々と打ち合わせをしている。私も軽食を摂ったらすぐに身体の採寸をされた。


「……皆さん、忙しそうですね?」

「それはそうでございますよ。だって式までは八日しかございませんから」

「えっ?!そんなに式を急ぐんですか?!」

「はい。この世界はかつてない危機に瀕しておりますからね。少しでも早く式を取り行わねばならないのです。ちょうど八日後は吉日でございますし」

「ええー……」

「ご安心ください。ドレスは少し調整をするだけで着られるようになっておりますし、当日までに針子を急がせますから」


 うわあ、お針子さんがかわいそう。私が二日も寝ていなかったらもう少し余裕があったのかな。ごめんね、どうしても眠たかったの。

 誰も彼もが結婚式のために奔走している。私は何もしなくても良いのだろうか。

 結婚式を挙げた友人に聞いたことがある。準備がどれだけ大変かということを。ドレス選びに参列者への招待状送付、引き出物選びに食事のチェック、などなどなど。

 じゃあ私は?私の結婚式なのに、私は何もしなくていいの?


「ございますよ!聖女様にしかできない重要な仕事がございます」

「や、やります!働くのはもう嫌だけど、それでも私、一応花嫁だから!」


 意気込んでみたのは良いものの、任されたのは「普通の結婚式準備」とはかけ離れたものだった。

 それは魔力を操るためのトレーニングである。なんでも聖女である私は特別な聖なる魔力を持っており、それを結婚式で披露しなければならないらしい。


「そんな不思議な力、持っているはずなんてないんですけどね?」

「そんなはずはございません。聖女は異界を渡る際、女神から大いなる力を授かると言われておりますので」


 なるほど、私はこの世界に来た時点で魔力をゲットしたということだろうか。

トレーニングはさして過酷なわけでも困難なわけでもなく、私は特別な苦労もしないまま結婚式当日を迎えたのである。


 祭壇を目指し、私と花婿は一歩ずつ歩みを進める。祭壇には巨大なクリスタルの女神像が祀られている。そう、ここは私がはじめに降り立った神殿だった。

 隣を歩く花婿の顔を見ることはできない。絹で織られたレースのベールがきらきらと光を放ち、視界を邪魔したからだ。だが若く背が高いこと、銀色の髪色をしていることだけは分かった。

 祭壇に辿り着くと、そこにはあのおじいちゃん神官が立っていた。普段の質素な神官服とは違い、金糸で装飾が施された冠やストラを身につけている。もしかして神殿のなかでも偉い人だったりするのだろうか。

 おじいちゃん神官が聖典を読み上げ終わると、花婿が私の左手の中指に指輪をはめる。大きな宝石があしらわれた重たいリングだ。普段使いには向かないな。そうぼんやり指輪を眺める。


「それでは、聖女よりこの世界に祝福を」


 おじいちゃん神官の指示を受けて私は前に進み出て、クリスタルの女神像に右手を触れた。

 練習通り、練習通りに。

 目をつぶって自分の体内に流れる魔力を感じ取り、それを右掌に集めていく。もうこれ以上は集められない、そんな限界を超えるまで。

 私の手の甲の女神の標が鮮烈な光を放った。それを合図に私は自分の魔力を女神像に預ける。すると私の魔力は女神像の身体の中で乱反射し増幅していった。やがて魔力の光は女神像を満たした。


「この世界が女神の慈愛で満たされますように」


 打ち合わせ通りの台詞を口にすると、その光は四方八方へと飛んでいった。この光は王国中を覆い、瘴気を薄めるのだそうだ。

 これが聖女としての最大にして唯一の仕事である。私は大役を果たし、安堵感に大きなため息をついたのだった。

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