第2話

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 それから僕らは三人並んで自転車を押し押し、バケツを片手にうちの店まで戻ると、父さんと母さんに訳を話して、釣り上げた大量の魚を受け渡した。


 父さんも母さんもあまりの魚の量にちょっと困ったような顔をしていたけれど、処理した魚を数尾でも優斗が持って帰ることを条件に了承してくれた。


 そのあと優斗の怪我を水で洗い流し、消毒してから傷テープを貼ってやった。


 鼻に貼った傷テープがちょっとばかし滑稽に見えたけれど、あえて口にはしないでおく。


 昔々、爺さんが読んでいたらしい漫画に出てくる、悪戯好きの少年みたいな見た目になってなかなか愉快だ。


 僕ら三人はそれからうちでお昼ご飯(父さんが作ってくれたまかない料理)を軽く摂ったあと、商店街の方へと繰り出した。特にこれといった目的地があったわけでもなく、暇だからどっか行こうぜ、とそんな軽いノリだった。


 どっか、と言っても昨日みんなでプールに行ったばかりだったし、陸や優斗もそうそう毎日ゲームセンターに行けるほど小遣いが潤沢にあるわけでもない。というわけで、本当に何の目的もなくただ商店街をぶらつくだけ、ということになったのだった。


 古臭い商店街ではあったけれど、ここ最近の再開発でそこそこ綺麗にはなっていたし、面白そうなお店が新たに何軒かできていたので、それらをわいわい見て回るだけでもそこそこ楽しかった。


 本屋で雑誌や漫画の新刊を立ち読みしたり、お土産用(なのかな?)のネタTシャツをたくさんぶら下げた怪しげなTシャツ屋を覗いてみたり。


「そういえば千花ん家の花屋も行ってみるか?」


 陸が言い出したので立ち寄ってみたのだけれど、あいにくお客さんが多くて話しかけられそうになかった。


 千花が両親と一緒に真面目に家の手伝いをしているところを見ていると、なんだか自分ももっと真面目に家の手伝いをしなきゃなぁ、と思わされた。


 思わされるだけで実行に移せるとは到底思えなかったのだけれど。


 たぶん、千花はこのまま実家の花屋を継いだりするんだろうな、と漠然と僕は考える。


 逆に僕は両親の居酒屋を継ごうなんてことは全く考えたことはなかった。


 と言って、何かやりたいことがあるわけでもない。


 将来に対しては漠然としか考えておらず、それゆえにどこの高校を受験しようだとか、大学に進学しようかとか、そんなことだってまだまだ何も考えていなかった。


 早い奴だと今のうちから考えて行動しているんだろうけれど、今の僕にはまだ自分の将来の姿なんて、想像することすらできなかった。


 仕方がなく、僕らはフラワーCHIKAをあとにすると、すぐ近くのコンビニでアイスを買い、それを齧りながら再びぶらぶらと商店街を歩き始めた。


 商店街のアーケードが強い日差しを遮ってくれてはいるけれど、やはり暑いものはどこに居ても暑い。


 僕らは三人並んで他愛もない会話――どこどこのクラスの誰誰が何某と付き合っているとか、自分も彼女が欲しいだとか、学校の先生が実は何とかいう女の子に手を出しているらしいとか、噓か真かよく解らない、どうでもいい他愛もない会話を交わしていると、


「――あら、こんにちは。晴人くん」


 すれ違いざまに声をかけられて思わず立ち止まり、顔を向けるとそこには真帆さんの姿があった。


 真帆さんは淡いクリーム色のひらひらのついた袖のないシャツを身にまとい、ほっそりとしたデニムのジーンズを履いていた。右手には例の虹色ラムネを掴んでおり、にっこりと優し気な微笑みを浮かべている。


 僕はそんな真帆さんに、わざとらしく、

「……本当によく会いますね」

 と言ってやる。


 すると真帆さんは「ぷぷっ」と変な笑い声をあげてから、

「まぁ、この辺りをあっちこっち行ったり来たりしてばかりですから」

 それから僕の隣の陸や優斗に目をやってから、「ちょうど良かった」と両手をぱちんと叩き、

「あなたたち、何か変わったことはありませんでしたか、ここ最近で」


「変わったこと?」

 と陸は首を傾げて、

「それって、つまり、例えばどんなことですか?」


 すると真帆さんは「なんでもいいんです」と口にする。


「普段とは違うことです。例えば猫がワンと鳴いたとか、犬がニャーと鳴いたとか。カラスの大量発生だとか……そうですねぇ、或いは死んだ人の霊を見たとか、学校の体育館に大量の達磨が現れて運動会をやっているとか、化け猫が踊り出したとか、そんなのでも良いです」


「つまり、怪談的な話……?」


 僕が訊ねると、真帆さんはこくりと頷いて、

「そうですね、その類です」


 そう言われても、って感じだった。


 そんな話、聞いたことなんて一度もない。


 そもそも、自分の通っている学校にそんな怪談話があるかどうかすら知らないのだ。


 普段とは違う変わったこと、なんて言われたって、そんなもの思い浮かびもしなかった。


「ないですねぇ」

 僕は答えて、陸や優斗にも顔を向けて、

「お前らは?」


「いや、特に何も……」

 陸が言って、

「俺も、別になにも思い浮かばないけど……」

 優斗も困ったように首をひねった。


「それは残念」

 真帆さんは本当に残念そうに肩を落として、

「なにかあったら、ぜひ私に教えてくださいね。しばらくこの町に滞在していますので」


 それじゃぁ、と言って真帆さんは僕らに小さく手を振ると、長い髪を揺らしながら、まるでスキップでもするかのように、ふわふわと歩いていってしまったのだった。


 その後ろ姿を見送っていると、陸が少しばかり興奮した様子で、

「おい、誰だよ! あの綺麗なおねぇさん!」

「晴人、お前どういう関係なんだよ、あの人と!」


 優斗にも迫られるように訊ねられて、僕はふたりの気迫に正直ドン引きしながら、

「あ、あの人は楸真帆さん。旅行者だってさ。数日前からこの辺りをぶらついてるっぽいけど、俺だってよく知らないよ」


「数日前から?」

 陸は首を傾げて、

「こんな小さな町にそんなにいてどうするんだよ。一日もあれば十分だろ」


「知らないよ、そんなこと」


 続いて優斗も食い気味に、

「どこのホテルに泊まってんだ?」


「だから、知らないってば!」

 思わず眉間にしわを寄せてしまう。


 そんなの知ってどうするつもりなんだ、このふたりは。どうだっていいじゃないか、ただの旅行者のことなんて。いったい何がそんなに気になるってんだよ。


 そんなことを思っていると、陸の目がきらりと光り、優斗と顔を見合わせ頷きあって、

「よし! 何処に泊まってんのか、尾行してみようぜ!」


「はぁ?」

 と僕は思わず声をあげる。

「な、何言ってんだよ、お前ら。本気か?」


「なんだよ。どうせ暇だろ? あんな綺麗なおねえさんとお近づきになるチャンスかもしれないんだぞ? 解ってないなぁ、お前!」


「いや、解るわけないし解りたくもないって!」


「良いから良いから! ほら、見失わないうちに早く追いかけようぜ!」


 僕は陸と優斗に連行されるように、真帆さんのあとを、三人して尾行することになったのだった。

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