第4話 その、新年のご挨拶は……3/3






 その後も、紘一と祥太郎は、久しぶりの父子の会話を小一時間ほど続けた。


 それがお開きになったところで、祥太郎はサシャと道子を探そうと腰を上げた。二人は、羽根突きを終えて、道子の部屋でコリントゲーム(注:盤に玉を転がして遊ぶ、現在のパチンコのようなもの)をしていた。


「あ、兄さん! サシャさん、すごいの! さっきまで母さんと三人でカルタ遊びしてたんだけど、あっという間に私たちじゃかなわなくなっちゃった!」

「そりゃそうだ。なんてったってサシャは、俺ら一高文乙クラスでも、トップに近い成績なんだからな。記憶力は相当いいはずだぞ」

「へええ、サシャさんったら、運動神経もいいけど、お勉強も優秀なのね! すごいわ!」


 眼を輝かせている道子に、サシャは照れ隠しのように頭をかいた。


「そ、そんなことないよ……」

「でも、最初は不愛想な方だなって思ったけど、お話してみると本当に面白い方ね!」


 それを聞いた祥太郎が、慌てて口を開いた。


「ば、バカ! 本人の前で言うなよ!」


 案の定、道子の言葉を聞いたサシャは、しゅんとしてしまった。


「えー? 僕って、そんなに不愛想かなあ……」


 道子が、慌てて取り繕うように言った。


「で、でもサシャさん、本当に綺麗なお顔をしてるわね! まるで、宝塚かSKD(注:松竹歌劇団)のスタァみたい!」

「そ、そう? いやあ、嬉しいな!」


 ややあって道子が、急にあらたまったように口を開いた。


「あの……サシャさんにお願いがあるの……」

「ん? 何だい? 何でも言ってよ!」

「えー……恥ずかしいんだけど……なんか、スタァの殿方役がやるように、跪いて手にキスとかしてもらいたいかも! 私、ああいうのに憧れていたの!」


 祥太郎が呆れた様子で口を開いた。


「おい、初対面だってのに、何を厚かましいことを……」


 しかし、酒のおかげでノリが良くなっているサシャは、さっそく道子の方へ身を乗り出した。


「フロイライン……道子さんがお望みとあらば」


 吐息が掛かるほどにサシャにすぐ近くに迫られて、道子がどぎまぎした様子を見せた。


「あ……やだ……ドキドキしちゃう……」

「どうして?」

「そんな綺麗な碧い眼で見つめられると……」

「何を言ってるのさ。道子さんだって、瞳が黒く澄んでいて綺麗だよ」


 そう言って、サシャは道子の左手をとって、その甲に軽く接吻した。


 途端に道子は、顔を赤くしてうつむいてしまった。


「おいおい、道子をあまりからかうなよ、サシャ」

「え? からかってなんかないさ」


 真顔で返してくるサシャ。


 祥太郎は思った……サシャがその気になれば、こいつは無垢な女の子を、幾らでも泣かせることができるだろう、と。




 *




 そして、元旦も夜になった。


 サシャが帰り、木下一家の夕食も済んで、祥太郎と道子は、二人食卓で駄弁っていた。しぜん、話題はサシャのことになった。


「でも、兄さんったら、あんな美人をエスコートできて、羨ましいわ」

「え?」

「え?」

「まあ……確かに、美男子だもんな」

「え?」

「え?」


 道子が、呆然とした表情を浮かべて、やがて口を開いた。


「……ええっ? サシャさんって……殿方だったの?」

「何言ってんだよ。当たり前だろ」

「そんな……私ったら、ずっとサシャさんを女性だと思ってた!」


 それを聞いて、食卓で新聞を広げていた紘一と、台所で洗い物をしていた清子も口を開いた。


「なんだ、男の子だったのか。外国人はよくわからないな」と紘一。

「あら、私も女の子だとばかり思ってたわ。そう、だからあんなスキンシップもできたってことなのね……」と清子。


 祥太郎は呆れかえって言った。


「はあ……自分のことを〝僕〟っていう女が、どこにいるんだよ?」


 道子が、ばつが悪そうに答えた。


「えっと……そういう人種の人なのかなあって……」

「お前なあ……だいいち、女が一高に来れるわけがないだろう?」

「だって……その……」


 道子が、また顔を赤らめた。


「まったく。また顔が赤いぞ。お前は信号機か?」

「実はその……今日、私、サシャさんの後に、入れ違うようにお手洗いに行ったんだけど……」

「それがどうした?」

「便座が、下がってたのよ」

「……それで?」

「だって……殿方なら普通、便座は上げて使うじゃない?」

「そんなの、大きい方だったかもしれないだろう?」

「そう……かしら……? 確かに便座、暖かかったけど……」

「まったく、女学校の生徒とも思えない発言だな。他人の便所事情を探るなんて」

「…………」

「何と言っても、お国が違うんだ。あの厳格潔癖と言われるドイツ人だぞ? 仮に小さい方だったとしても、終わったらちゃんと便座を戻す習慣なのかもしれないじゃないか?」

「そ……そうよね。やだ、私ったら、おかしなこと考えてたみたい!」


 道子のそんな言葉を聞きながら、しかし祥太郎は、サシャが留学してきてからのことを思い起こしていた。


 ……そう言えば。サシャが便所に行っているところを、ほぼ見たことがない。たまに行くとしても、個室だった。


 それにサシャは、思い返せば、ほとんどといっていいほど、一高内において水分を摂っていない。食堂での昼食の味噌汁もお茶も、サシャは口にしない。元々昼食は摂らないと言っていながら、昼休みのサシャはしぶしぶ祥太郎と一緒に昼食を共にするようになったものの、水分摂取だけは頑なにしようとしないのだった。


 サシャが、女……?


 確かに、かねてから、サシャは何かを隠している……そんな気はしていた。


 だが、いくらなんでも、性別を偽っていることはないだろう、と祥太郎は思い直した。


 だいいち、一高もそれなりに事前の身辺調査をしているだろうし、それに、女が男装してまで一高に来るなどということは、そもそも考えられなかった。


 そう思い直すことで、祥太郎は自分を納得させた。


 ……考え過ぎだ。サシャの中性的な美貌が、そんな疑念を抱かせているだけだ。そんなサシャに罪があるわけでも、何でもない。


 ……いずれにしろ、俺はサシャのご学友なんだ。これまでも、そしてこれからも。そうだ、それだけなんだ。





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