過去の亡霊

「まあ、単なる空き巣でしょうな」

 黄ばんだ歯を覗かせながら、赤ら顔の刑事は言った。注射器のようなもので刺されそうになったと伝えても、最近の空き巣は巧妙化してますから、の一言で片づけられてしまった。

 警官たちを連れて戻った室内は、箪笥たんすの引き出しやクローゼットの扉などが開け放たれており、いかにも空き巣に入られたかのような様相を呈していた。今は数人の鑑識官が、箪笥たんすやクローゼットなどから指紋を採取している。犯人のものと区別するため、藤原の指紋と掌紋も事前に採取されていた。刑事に促されて紛失物の有無を確認したが、消えたものはとくになかった。

「藤原さん。どうやら物色中にあなたが帰ってきたせいで、犯人たちは何も持ち出せずに逃げ出したんでしょう。帰宅時間はいつも同じですか? なら、ろくに下調べもせずに犯行に及んだんでしょうな。それで彼らにとっては運悪く、帰宅したあなたと鉢合はちあわせしてしまった。まあ、そんなところでしょう。相手は三人組だとおっしゃってましたよね? ならきっと、中国系の窃盗団か何かだと思いますよ」

 当然、藤原は、そんな説明には納得いかなかった。ところが、赤ら顔の刑事は、中国人の窃盗団だと決めつけていて、他の可能性はまったく考慮しようとしていない。怨恨えんこんの線は、まず百パーセント考慮されそうもなかったが、藤原の中ではある懸念が生じていた。とはいえそれは、この場でおいそれと話せる話ではなかったから、今は胸にしまっておくしかなかった。

「まあ、金目のものを盗まれなかったわけですから、不幸中の幸いというところですかな」

 赤ら顔の刑事はそう言って卑屈に笑った。その卑屈な笑い方には、さっきからいちいちイラつかされていた。赤ら顔の刑事が、人差し指の第二関節で自分の鼻の頭を掻く。どうやらそれは彼の癖のようで、言葉を発するたびに掻いていた。酒の飲み過ぎで肝臓でも悪くしているのか、鼻の頭はトナカイのようにまっ赤だ。よく見ると、白目も、不健康そうに黄色味がかっている。そんな顔によれた背広は妙にマッチしていた。

 ここで刑事は、鼻をつまんで鑑識の様子を興味なさげにうかがう。藤原は彼の鼻に注意を向けた。白髪混じりの鼻毛がびっしりと鼻の穴を塞いでいた。

 刑事が赤い鼻に手をやりながら聞いてきた。

「あの、藤原さん。お近くに、ご家族か、ご親戚、または親しいご友人などはおられますか」

 藤原が首を横に振って見せると、刑事は今度は耳をかきはじめた。耳からは太い毛が何本も飛び出ていた。

「そうですか……。では、今日のところは、近隣のビジネスホテルにでも泊まられたらどうですか。鍵を交換しないうちは、安心して眠ることもできないでしょうから」

 藤原は気のない返事をしたが、今の刑事の提案は、今夜も当たり前のように自宅で寝るつもりでいた自分の考えを変えた。鍵交換は、取り引き先の業者に朝一番で依頼すればいいだろう。しかし、ディンプルキーでもピッキングは可能なのかと訝ってしまう。もしかすると、妻が在宅していたときの癖で、鍵を掛け忘れた可能性もあった。

「被害届は出されますよね? ではこちらの用紙に、必要事項を記入してください」

 リビングのテーブルで被害届を書きながら、こんなものを出したところで犯人が捕まるとは思えなかった。なぜなら、目の前の刑事や鑑識官たちから、熱意といったものがまったく伝わってこなかったからだ。とくに、よれた背広を着た赤ら顔の刑事からは、いささかもやる気は感じられなかった。彼らにとっては事件の解決など二の次なのだろう。刑事らがやって来てからずっと、不満しか募らなかった。想像はしていたが、お役所仕事的な熱量の低い対応に心底辟易へきえきさせられた。


 現場検証は三十分ほどで終了した。

 刑事らが退散したあと、赤ら顔の刑事の勧めに従い、藤原は近隣のシティホテルに部屋を取った。

 ホテルでシャワーを浴びて、すぐに酒をあおった。ところが、いくら飲んでも酔いは回ってこなかった。あんなことがあったあとでは当然だったかもしれない。現場検証中に浮かんだ懸念が頭の中でぐるぐると回っている中、間一髪で危機を回避した場面がリアルに思い出され、興奮から股間が熱くなった。下着の中に手を入れてみる。勃起した性器は芯から硬くなっていて、力を入れてもまったく折れ曲がらなかった。この様子では、簡単にはしずまりそうもなかった。そこで、地元のキャバクラで最近知り合った女に連絡を取ることにした。いまだ肉体関係こそなかったがノリのいい女だったため、用事さえなければ百パーセント誘いに応じると踏んでのことだった。

「いくらでやらせてくれる?」

「顔がタイプだからタダでもいいよ」

 店でのそんなやり取りを思い出す。そのときは、勃起不全が原因で手は出さなかったが、今なら心配無用だった。相手は電話をかけるとすぐに応答した。

「なあ聞いてくれよ、今さっきとんでもない目に遭ってな。交通事故? 違う違う、その程度じゃ連絡しねえよ。あのな——」



       *  *  *



 翌朝、店舗の鍵を開けるためにいったん出社して、部下の出社を待ってから、鍵交換のために自宅に戻った。警察関係者が出入りした室内は、いつもと違って空気が張りつめているように感じられた。藤原はリビングのソファに座って業者の到着を待った。

 昨夜は、ホテルに連れ込んだキャバ嬢と熱い時間ときをすごした。いつもながらアバズレ感のある女との相性は抜群だった。相手は、歯茎はぐきが目立ち、目が離れていて、間近で見れば見るほど不細工な顔をしていたが、からだに関しては申し分なかった。美容が趣味というだけあって、肌は白くスベスベで、恐ろしく細いくせに胸は巨乳クラスで、きれいなピンク色の乳首は、感度も舌触りも良好だった。顔のマイナス面を、からだで充分に補っていた。久々の裸体を前にして藤原は、ベッドの上で半ば興奮気味に乳房をしゃぶり尽くし、手マンで何度もイカせ、気持ちよく二度発射した。

 女は藤原のペニスを握りながら、このちんぽ、超どストライクなんだけどぉ、と評し、パイズリのあと口の中にぶちまけた精液は、飲んじゃった、と言って嬉しそうに笑って見せた。行為後、彼女はいつでも呼んでね、と目を輝かせながら言ったが、今夜にでもさっそく呼びつけたいくらいだった。とはいえ、昨日の今日ではさすがに節操がなさすぎると思い、今夜は我慢することにした。

 藤原は昨夜の一場面を思い起こしてニヤッとした。

「しかしあの女、首を絞めてほしいと言うからそうしてやったら、すごい顔してヨガってやがったな」


 業者による鍵交換が済むと、藤原はペンとメモ帳を用意してリビングのソファに座った。これから仲間たちの安否確認を行うのだ。本当は昨夜のうちに済ませたかったのだが、夜も遅かったため、はやる気持ちを抑えて日付が変わるのを待った。

 まずは実家に連絡を入れた。母親に中学の卒業アルバムを用意させて、仲間たちの連絡先を聞き出した。三人の連絡先を入手すると、一人ずつ電話をかけていった。

 結果は予想通りだった。山本、林、高木の三人が三人とも謎の失踪を遂げていた。もう、疑いようはなかった。。湧き上がった興奮でからだが震える。久しく刺激のない生活を送ってきただけに、置かれた状況に不安になるどころか、かえって気分は荒ぶった。自ら策を練り、指揮を取り、見事なまでに事を運ぶことができた高校時代の一幕を思い出す。再び手腕を試す機会が訪れたかと思うと、武者震むしゃぶるいが止まらなくなった。

「のぞむところだ。あの三人とはモノが違うってところを見せてやるぜ」

 こちらに有利な点があるとすれば、敵の正体を把握していることだ。これは大きなアドバンテージに違いない。それに敵がわかったことで、得体の知れない不安は消えていた。

 今後の身の安全を確保するためには、あの男の死以外はないだろうと思った。黒幕がこの世を去れば、もう自分を狙う者はいなくなるのではないか。少し甘い考えかも知れなかったが、今はその可能性に賭けるしかなかった。

 警察に駆け込むという手も考えられた。学生時代の罪を告白して、警察に動いてもらうのだ。すでに同級生の三人が失踪しているのだ、腰が重い警察といえど、さすがに何らかの捜査を行うはずだ。だが、一度警察に情報を提供したあとでは、自ら手を下せなくなってしまう。警察が動けば向こうも慎重になるだろうが、捜査が打ち切られたら終わりだ。頃合いを見て、また狙われる可能性は高い。やはり、警察に頼るのは、万策尽きてからだ。それに昔から、死ぬまでに一度、自分の手で人を殺してみたいと思っていたのだ。いい機会だった。

 あの男を殺すと決めたはいいが、すぐに行動に移せないのがもどかしかった。はやる気持ちを抑えて、ざっと青写真を描いてみる。噂では、日本にいる東南アジア系の外国人なら、殺しを安く請け負ってくれると聞く。だが、そういう連中に、まともな倫理観など期待できないから、頼んだら最後、死ぬまでその件で脅される危険もなくはないだろうと思った。それに、そもそも、そういう筋にコネがあるわけでもなかったから、やはり自分で手を下すしか今のところ方法はなさそうだ。

 計画を立てるに当たっては、相手の詳細な情報を知る必要がある。これは相手の素性がわかっているのだから金を使えば何とかなりそうだと思った。

 また、犯行の計画だけでなく、自分の身を守る必要もあった。昨夜は運良く難を逃れたが、次はどうなるかわからない。一度の失敗で、あの男があきらめるとは思えなかった。必ずまた次があるはず。これは確信に近かった。なぜなら、あの男の憎しみの大半はこちらに向いていて、他の三人は単なるオマケに過ぎないのだから——。

 マンションの管理人に事情を説明して、掲示板に空き巣の警告を促すポスターを貼ってもらってもいいかもしれない。効果のほどはわからないが、マンションの住人が多少なりとも不審者を警戒するようになれば、それは自分の安全につながる。他にも具体的なアイデアがいろいろと浮かび、それなりに手応えを感じると、万事首尾よくいきそうだなと思った。



       *  *  *



 昼食を済ませてから、午後からのんびりと出社した。出社早々、職場の人間たちから質問攻めにあった。昨夜の詳細を語って聞かせるうちに、間一髪で危機を回避した場面がリアルに思い出され、藤原は軽い興奮状態になった。

 質問攻めから解放されたあとも、まるで夢の中にいるようなフワフワした感覚が続き、まったく仕事に身が入らなかった。おざなりに仕事をしながら頭に浮かぶのは今後のことだけ。敵を完封するための計画を頭の中で練り上げていく。浮かんだアイデアや検討事項は、忘れないよう手帳にメモしていく。護身用の武器も必要だろう。


 検討事項 → 移動手段、アリバイ工作、調査費、Xデイ……。

 変装 → 帽子、サングラス、マスク、サマーコート……。

 武器 → 催涙スプレー、スタンガン、警棒、バタフライナイフ、防刃ベスト……。


 仕事中熱心にメモを取っている姿を見て、同僚たちは不思議に思っているに違いなかった。さらに集中していたせいで時間が経つのがいつもよりも早く感じられた。いつの間にか日が暮れ、小腹が減りはじめたころ、例のキャバ嬢からLINEが届く。彼女は遠慮がちな文面で、今夜も会いたいと伝えてきた。もちろん断る理由はなかった。グラマラスな白猫がウインクしている動くスタンプが、妙になまめかしかった。

「なら今夜は、自宅に呼んで楽しむとするか」

 嬉々としながら、自宅のアダルトグッズを使ったプレイを思い描く。不細工だが細くて肌のきれいなキャバ嬢は、アンダーヘアを永久脱毛していた。無毛ゆえに丸見えの恥部に電動バイブを出し入れしているところを想像すると、仕事中にもかかわらず勃起した。早くも亀頭の先が濡れだしてるのがわかる。電動バイブの卑猥な振動音が頭の中で鳴り響き、ベッドの上での一戦が待ち焦がれた。

 相手の気持ちが変わらぬうちにさっさと返信しておこうと思い、藤原はスマホを手に持つと奥の休憩所へと向かっていった。

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