第45話初めての哲学講座ニーチェ①

露天風呂は、メイドを含めて全員が入った。

紀州の爽快な青空と青い海、静かな波の音、山の方から可愛い小鳥の声も聞こえる。

今朝、直人を洗ったのは、沢田看護師。

やわらかな手、指の使い方が、やはり杉本瞳と南陽子とは違う。

(大人の女性との経験と技術の違いかもしれないと、直人は思った)


露天風呂の後は、新鮮なフルーツ、サラダ、パン、カフェオレの朝食を済ませ、2階の教室に向かった。

(案内は杉本瞳と南陽子)(沢田看護師は別件がある、ということで別れた)


教室に入ると、既に女性の聴講生が一人座っていた。

ただ、一見して、日本人学生。(直人は、1歳か2歳年上と判断した)


彼女から自己紹介をして来た。

「初めまして、田村涼子と申します」

「今は20歳、事情あって、このアフロディーテに」

「3年目になります」

(やや、関西訛りと判断した)(すごく上品な、小柄な和風美人)

直人も自己紹介。(同じように全てを言わず、ここに来て、まだ数日とだけ告げた)


直人は手招きされて、田村涼子の隣に座った。

(上品ながら、人懐こい感じもある、と思った)

座ると机の上にテキストがあった。

(田村涼子が直人のために、準備してくれたようだ)

テキストには「ニーチェ 超人思想」と書かれているだけ、ほぼ白紙だった。


目を丸くする直人を、田村涼子が笑った。

「直人君、わかる?」


直人は、思い切り首を横に振った。

「いや・・・ニーチェは名前だけですから」

「ドイツの・・・神は死んだとか・・・」

「ツァラトゥストラはかく語りきとか」

「ニヒリズム、永遠回帰とか、言葉だけです」

「ワーグナーの・・・影響とか」

(ただ、受験勉強上の単語を並べただけ、誰でも知っている程度と思った)

(直人は、言って恥ずかしかった)


田村涼子も、テキストに目を落とした。(腕組みまでしている)

「うん、私もそんな程度、単語は聞いたことある」

「ヘーゲルの考えとは違うの」

「でも、その意味を考えたことないの」

「哲学には、まるでなっていない」


直人は、そんな田村涼子を見て、驚いた。

今まで出会った女性と全然違うと思う。

小学校、中学校、高校、そしてここのアフロディーテで出会った女性と、全く違う。

思索が深い女性で、とにかく、ただものではない、と感じた。

少なくとも「ヘーゲルの名前」を言った女性は、初めてだった。


直人は、恐る恐る、言葉を出した。

「確かに、ヘーゲルの弁証法は、理想的に過ぎるような気もしますし」

「考えが浅いかもしれませんが」

(田村涼子からは、何の反応もなかった)


教室のドアが開いて、白髪の「いかにも学者風」の人が入って来た。

大人しい声で、話を始めた。

「正田晃と申します」

「T大で哲学を長年研究してまいりました」

「・・本日は・・・田村涼子君と・・・井上直人君ですか」

「若い二人に」

「ニーチェの超人思想について、概説を申し上げます」

「もちろん、そこに至った背景を含めて」


正田講師は、そこまで言って、深く息を吐いた。

「どこまで語れるのか、も短い時間では不明ですが」

「まずは、聞いてもらうことといたします」


直人は、姿勢を正した。

とても居眠りなどできない、そんな重要性を秘めた話であると、まだ講義が始まる前から、強い予感がしていたから。

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