第18話
『本日十三時からプラネタリウムの第二幕を開演します』
どうやらいまは開演時間ではないらしい。
寿々春がパソコン室の引き戸を開く。促されるままに入室すると、天井に星が浮かんでいた。
「わ……」
飛び込んできた光景に、
後ろで引き戸が閉じられる音がして、教室内は星以外にほとんどなにも見えなくなる。
寿々春がだれかに話しかけた。「いるか?
話しかけられた影がさっと動く。パチッと音がした後に、教室の明かりがついた。星が消え、つい先ほどまでは影だった男子生徒の姿があらわになる。
パソコン室の全体が見えて、少し驚いた。あったはずの机とデスクトップPCや付属機器が撤去され、タイルカーペットの上には椅子だけが並べられている。
「あれ、ハルじゃないか。どうしたの?」
癖のない優し気な顔立ち。あまり目立った特徴はない。だけど。
不思議な雰囲気をもったひとだな、と亜弥瀬は思う。どこか、流れている時間がちがうような感じがする。
「急に邪魔して悪い。ちょっと用があってさ」
「ふうん? まあ、昨日丸一日手伝ってもらったし、全然構わないけど。そっちの子が関係してるのかな?」
「ああ。文化祭実行委員の
「へえ、実行委員さんがどうしてここに?」陸は面白がるように言った。「もしかして、いっこうに文化祭で活動していない部活の様子でも見に来た?」
む、と亜弥瀬は思う。見た目とは裏腹に、けっこういい性格してるじゃない。
「その通りだけど。なんで準備が遅れてたのか、実行委員にもまったく伝わっていないのか、ちゃんと説明してもらえない?」
亜弥瀬が強気に出ると、陸はきょとんとして寿々春を見る。
「いまのは陸が悪い。真面目にやってる人間を、そんな茶化すもんじゃない」
寿々春からそう言われて、陸は亜弥瀬に目を向ける。すると、納得したように「そっかそっか」とつぶやいた。
「そういえば、ハルはそういうの嫌いだったね。悪いね、松橋さん。つい八つ当たりしちゃって」
すぐ謝られると、なんだか毒気を抜かれてしまう。
「別に、あたしも怒ったわけじゃないけど」
「いや、悪かったよ。ハルがここに連れてきたってことは、松橋さんは信頼に足る人物なんだろう。ただ、そのうえで言うんだけど、やっぱり地学研究部のことは教えられない。というか、聞かないほうがいいと思うよ」
「……どうして?」
「例えばそうだね……地学研究部には、部員が僕一人しかいない」
一瞬なんの話かわからなかったが、すぐにピンとくる。
「それって、おかしくない?」
亜弥瀬が訊くと、「うん、そうだね」と陸は平然とうなずく。
「でも事実だよ。実際に予算も出てるしね」
寿々春に目を向ける。すると寿々春は、「本当だ」とでも言うように小さくうなずいた。
部活動として学校から認められ、その上で予算を部費として振り分けられるには、最低三人の部員と、そこまで厳しくはないがある程度の活動実績が必要だ。
陸は続ける。「それに、この文化祭でもおかしいことがあるよね。実行委員には各団体の活動を監視しておく義務がある。それなのに、その監視から逃れられている部活動があって、それはよりにもよって準備さえまともに進んでいない地学研究部。――不自然だとは思わない?」
ぐうの音も出ない。ありえないことではないだろうが、だれかの意図的なものであると考えても不自然ではない。
部活動の承認に携わっているのは生徒会しかいない。そして、生徒会はある程度文化祭の運営にも携わっている。陸が示唆しているのは、ルールを破っている存在が生徒会内部にいるということにほかならない。
亜弥瀬はため息を吐いて言った。「……聞きたくなかった」
「まだいまなら、僕らの共犯にならずに済むよ」
「もう共犯みたいなものでしょ。あたし、心当たりあるし」
「へえ、というと?」陸は愉快そうに尋ねる。
むすっとして亜弥瀬は答えた。「……
七瀬生徒会長は、おおよそおしとやかな人物だ。美人で愛想がよく、物腰も柔らかい。しかし、必要に駆られれば常人にはない行動力を発揮することもある。「規則は破るためにある」だなんて嘯くひとではないけれど、おかしい規則に対して「それはおかしい」とはっきり言えるひとではある。そこに合理性を見出し、倫理道徳に反しなければ、校則を破る程度のことをいとわないだろう。
「正解」陸は破願する。「すごいね、松橋さん。七瀬生徒会長のこと、よくわかってるんだ」
「あたし生徒会だから、多少はね」
なんだかどっと疲れがきた。七瀬先輩、ひとを振り回してくれるなあ。
「それで」と亜弥瀬が続けようとしたところで、キーンコーン……と間延びしたチャイムの音が鳴った。十二時。
時計に一度目を向けてから寿々春が言った。
「陸、まだ話が続きそうだし、とりあえず俺、なにか昼飯調達してくるよ。おにぎりとかサンドウィッチとかでいいよな?」
「悪いね、助かる。適当に任せるよ」
「ん。松橋さんは? だれかと約束とかないなら、松橋さんの分も適当に買ってくるけど」
「えっと、うん」もともとは生徒会室で生徒会長あたりととるつもりだったが、恒例ではあっても約束というわけではない。「特にないからお任せしちゃっていい? お金はあとで渡すから」
「わかった」うなずいて、寿々春はパソコン室を出ていく。
パソコン室に二人取り残される。沈黙が降りる。
それを破ったのは、亜弥瀬だった。早速話を再開する。
「で? 七瀬先輩が、地学研究部を部活動として認めることと、地学研究部の文化祭準備の遅れを認めることには、なにかしら合理性があると思うんだけど、それってなに?」
「話が早くていいね」陸はにこやかに言う。そして、意外な返答を寄越した。「どちらの答えも、地学研究部が学校の一部のLANを管理してるからだよ」
「LAN? LANってローカルエリアネットワークのLANだよね? その管理を瀬村くんがしてるの?」
「うん」
意味が分からない。「なんで?」と亜弥瀬は訊く。
「さあ。僕もそのへんはよくわかってないんだけど。ただ、もともとパソコン室のLANの構築は地学研究部の顧問の先生がしてたらしくって、生徒にも手伝わせてたみたいなんだ。その流れでいまは僕がやってる。
もう少し言うと、いまの生徒会室のLANを構築したのは僕だよ。地学研究部が部活動として認められているのは、交換条件として生徒会のネットワークの面倒を見ることを七瀬生徒会長に持ち出されたからだね」
「えっ、知らなかった……」愕然とする亜弥瀬。
「まあ、バレないようにやってたからね。七瀬先輩の横紙破りで部活動として認められている地学研究部の存在って、やっぱり知っているひとが少ないほうが都合がいいし。
それでさ、先々週くらいにパソコン室に置いてあるPCが三台立て続けに壊れたんだよね。電源が入らなくなっちゃって。もう十年は使ってるし、というか、OSのサポートがもう切れるしってことで、そもそも今年の夏休み中にここの全機器を更新する予定はあったんだけど、その予定が授業のない文化祭期間中に早められちゃってさ。
もー、まいったよね。文化祭初日の前日まで情報の授業でパソコン室を使ってたから、準備期間中にはなにも動かせないし。もともと文化祭じゃ机の上のPCだけを前日のうちに隣のサーバ室に移すつもりだったのに、更新時期が早められたせいで、せっかくならこの機会にとか言って、PCは全部撤去、LANケーブルも新しく敷設するから机を動かして既設のLANケーブルとL2スイッチ、ルータも撤去、そしたら文化祭の振替休日の月曜日に、業者が機器の設置をするだけでよくなるから、って七瀬先輩が。しかも、四十台くらいある新しいPCの設定も全部僕任せだし、そのうえで部活動である以上、実績を残すために文化祭で活動したほうがいいとか言ってくるんだよ? あのひと、人使い荒すぎだよ」
愚痴が出てくる出てくる。どうやら、陸も生徒会長に振り回されているクチらしい。
「な、なんかゴメン……」
話を鵜吞みにするわけにはいかないが、七瀬先輩の性格を考えるとそれくらいやりかねない。いまの話が事実であれば、確かに陸は悪くない。
「それでなんとか間に合わせるために、
「うん。昨日、ハルが手伝ってくれてね。しかも新しいPCとかルータとかの設定も手伝ってくれるっていうし、大助かりだよ」
「ふうん」
話を聞きながら、少し気になるところがあった。
「というか、大森くんって、そういうネットワークのこととかに詳しいの? 瀬村くんはすごく詳しそうな感じするけど」
「先に断っておくと、僕は詳しいってほどじゃないよ。もちろんサーバの運用やLANの構築に最低限必要な部分は抑えてるけど、その程度だから。その辺の知識をハルに教えたのは僕だし、ハルもそう変わらないんじゃないかな」
「へえ。でも、あたしなんかぜんぜん無知だし。大森くんの意外な面を見た気分……」
「あはは、ああ見えて、なかなかのエンジニアなんだよ、ハルって。けどまあ、知らないのも無理はないだろうね。ハルが僕とつるんでた期間って、中学の頃野球部をやめてから受験期間に入るまでだからそんなに長くないし、同じ中学出身のひとでもほとんど知らないんじゃないかな。
もう卒業したから言えるけど、中学のホームページを二人で好き勝手いじくって、ぜったいに要らない機能をコッソリ組み込んでさ。入力フォームにあいことば入れたら、自作のゲームにとぶようになってるんだよ。あれ、まだ生きてるんじゃないかな」
なにをやってるの、この二人。せっかくのスキルの活かし方を間違えている。
っていうか。
「大森くんって……」
野球を一度やめてたの?
そう訊こうとしたタイミングで、ガラッとパソコン室の引き戸が開いた。右腕で胸の前に紙袋を抱え、左手に袋を持った寿々春がいる。
「話、終わったか?」
「終わった終わった。とっくに終わって、いま中学のホームページのゲームの話してた」
寿々春は顔を引きつらせる。「陸、あれを教えたのか?」
「うん」
はあ、と寿々春はため息をつく。「あんまりだれかれ教えるなよ。あのゲーム、数人が同時にやるだけでサーバが落ちるんだろ?」
言いながら、寿々春は椅子の上に買ってきたものを並べていく。お茶が二本、ブラックのコーヒーに、おにぎりや菓子パン、サンドウィッチなどだ。おにぎりはすべて海苔が巻かれた状態で包装されたもので、海苔が床に散らからないように配慮したのだろう。意外と気遣いだ。
「地学研究部の存在を松橋さんにほのめかしたハルには言われたくないね。っていうかそれも、いたずらに話を広めるようなひとじゃないって、松橋さんのことを信頼してるからでしょ」
「まあ、そうだけどさ」ふつうにうなずく寿々春。
「だから、僕もハルの判断を支持しただけだよ」
「あ、そ」
いい加減に相槌を打ちながら寿々春は、亜弥瀬におしゃれな感じのする小さい紙箱を「ん」と言いながら手渡してくる。
「なにこれ?」
「パンケーキだって。家庭科室でもらった。もしかして苦手だったか?」
箱を開けてみると、甘い香りが漂った。見た目からしてふわふわとした食感なのがわかる。おいしそう。
「ううん。たぶん好きだと思うけど」
「ならよかった」表情を少し和らげる寿々春。
「あれ? でも、二人の分はないの?」
椅子の上に並べられた品物の中に同じ紙箱はほかに一つもない。
「陸と俺は、甘いもの苦手だから」
見ると、すでにおにぎりを頬張っている陸もうんうんとうなずいている。ふうん、大森くんって、甘いもの苦手なんだ。
「そっか。ありがとう」
亜弥瀬が微笑むと、寿々春は少し顔を赤らめて顔を背ける。
「いや、まあ、賄賂みたいなところもあるから、あんまり気にしないでくれ」
陸が忍び笑いをしながら皮肉る。「ああ、これでひとつ、いろいろと秘密を黙っておいてくれってことだね。気が利いてるじゃないか」
「うるさい」視線を明後日に向けながら言う寿々春。
照れくさいのをごまかしているのがバレバレで、亜弥瀬もなんだか微笑ましく思ってしまう。
「ね、瀬村くん。せっかくだし、いまプラネタリウムって見られない?」
「ああ、いいね」陸はうなずく。「僕も、お客さんの前で説明する練習したいんだよね」
食べていたサンドウィッチを口いっぱいに詰め込んでから、陸は立ち上がって教壇のところに置いてあるPCをなにやら操作し出す。投影機からパッと光が発せられる。そして、教室の明かりを消すと、天井に星空が浮かんだ。
口の中のものを飲み込むと、陸は口を開いた。
「松橋さん、この空はいつの季節かわかる?」
亜弥瀬はそこまで星に詳しいわけではないが、それでもすぐにわかった。良く目立つ三ツ星が並んでいる。
「冬、だよね」
「ご名答。なにがヒントだった?」
「やっぱりオリオン座かな」
「だね。特に有名なのは、冬の大三角に数えられるベテルギウスかな。さそり座のアンタレスなんかもそうだけど、寿命が近い星、あるいは寿命を迎えていてすでにない星だってよく言及される」
「それ、聞いたことあるなあ」
その亜弥瀬の言葉に暗がりの中で微笑みを返しながら、陸は寿々春に水を向ける。
「ハルはどう思う」
「……なにが」
「ベテルギウスはいまもあると思う? ないと思う?」
「さあ。どっちでもいい」寿々春はじっと室内に敷き詰められた宇宙を眺めている。
「張り合いがないなあ」と陸は嘆く。「もうちょっと、観客らしくノってくれると助かるんだけど」
「じゃあ、あると思う」
「じゃあ、って……」苦笑しながら亜弥瀬が寿々春の顔を見ると、寿々春はやはりただただ天井を見つめていた。
亜弥瀬はふと思った。寿々春が会話に乗ろうとしないのは、面倒くさいからとかそういう理由じゃなくて、目を奪われているからじゃないだろうか。この夜空に。満天の星空に。見蕩れているからではないだろうか。
少し時間をおいて、淡々とどこか感情の欠落した声音でふと寿々春は言った。
「なんというか、どうしてもそういうふうに聞こえる言い方を選んでる感じがする」
「そういうふうに聞こえる?」亜弥瀬は首をかしげる。
「結局は、『現在』をどう定義するか次第だから」
惰性で会話するように、淡々と寿々春は続ける。
「例えばベテルギウスが本当は消えてるかもしれないって言われても、その星空をいま現在観測できるわけじゃない。俺にとっては、いま見えてる星空が『現在』だ。そんなことを言われても、宇宙を謎めいて見せたり、感動させたりするための言葉にしか思えない」
なるほど、と亜弥瀬は納得する。
「ひねくれてるっていうのとは違うんだろうね」と陸が言った。
うん、そうだね。心の中で亜弥瀬は同意する。
本人は否定するだろうから言わないけれど、むしろ寿々春のほうが、純粋で、ロマンチストなのだ。
だってきっと、わざわざ意味を付け足さなくても、星空とはひとを魅了してくれるものだから。
そこに言葉なんて要らない――と、彼はそう言いたいのだ。
ひととおりプラネタリウムを堪能して、「よし」と亜弥瀬は立ち上がる。
「じゃあ大森くん、そろそろ行こっか」
思いのほか居心地がよくて長居してしまった。
「わかった」ん、と伸びをして寿々春も立ち上がる。
「あれ」きょとんとして、陸が亜弥瀬と寿々春を交互に見る。
「どうかしたか、陸」
「んー、いや、無粋なこと訊いてたら悪いんだけど」
「うん」
「二人、一緒に文化祭まわるの?」
「そうだけど……」寿々春は眉間にしわを寄せる。「言っとくけど、色っぽい理由じゃなくて俺が実行委員の仕事を手伝うだけだぞ」
「ああ、そうなんだ」陸があはは、と空笑いを浮かべる。「悪いね。なんとなくそういうことじゃないかなとは思ってたんだけど、なんか二人がお似合いの感じがするから邪推してしまったよ」
お似合いって……。瀬村くんも反応に困ることを言ってくれる。
返しに困って寿々春の反応をうかがうと、寿々春はやれやれとばかりに「はあ」とため息をついた。
「俺なんかが松橋さんの隣にいても、釣り合ってなさ過ぎて違和感しかないだろ」
そんなことない、と亜弥瀬は否定しようとしたのだが、先に陸が話を続けてしまう。
「まあそれはさておくとしてさ。ハルも大概お人よしだね。うちだけじゃなく、実行委員のお手伝いまで」
タイミングを失って、そのまま亜弥瀬は口をつぐむ。
「文化祭がモブキャラの扱いまで考えてくれてるイベントだったら、そんなことする必要もなかったんだけどな」と冗談めかす寿々春。
「そんなに暇を持て余しそうだったら、グラウンドの裏で素振りでもしてたらよかったのに」
「……」
陸から言われて、寿々春はなぜか押し黙る。「どうかしたの?」と訊いてみても寿々春は「なんでもない」とかぶりを振る。まあ気にすることでもないか。
「じゃあまたね、瀬村くん」
パソコン室を出る亜弥瀬と寿々春を見送りながら、笑いを堪えて陸が言った。
「やっぱり、お似合いだと思うけどな」
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